グラバースカイロード
長崎県長崎市のグラバー園へのアクセスルートのひとつがグラバースカイロード。丘の上にあるグラバー園ですが、その最上部、旧三菱第二ドックハウス近くの第2ゲートへと到達する斜行エレベーターがグラバースカイロード。坂の多い長崎な…
長崎県長崎市のグラバー園へのアクセスルートのひとつがグラバースカイロード。丘の上にあるグラバー園ですが、その最上部、旧三菱第二ドックハウス近くの第2ゲートへと到達する斜行エレベーターがグラバースカイロード。坂の多い長崎な…
長崎県長崎市のグラバー園、グラバー住宅の背後にあるのが旧自由亭(自由亭喫茶室)。現存する建物は、西洋料理店「自由亭」として諏訪神社下の馬町12番地に建築されたもの。のちに検事正官舎としても利用されたが、昭和49年グラバー…
長崎県長崎市、グラバー園に移築保存される旧三菱第二ドックハウスは、明治29年に建てられた洋館で、木造2階建ての建物。ドックハウス(DOCK HOUSE)とは、船が修理のためにドックに入っている間、乗員が宿泊する施設のこと…
長崎県長崎市のグラバー園に移築保存される旧オルト住宅は、開港直後の慶応元年(1865年)頃、イギリス人設計で大浦天主堂を建築した小山秀之進が施工したという、高い天井を支えているタスカン様式の列柱が印象的な建物。イギリス人…
長崎県長崎市のグラバー園に移築された英国人フレデリック・リンガーの遺邸が旧リンガー住宅。明治2年に建てられた外壁石造りの洋風住宅で、国の重要文化財にも指定されています。長崎でグラバー商会に勤務後、独立してホーム・リンガー…
佐賀県唐津市肥前町にある伊万里湾を眺望する展望台がいろは島展望台。伊万里湾に浮ぶ松島、竹ノ子島、野島、ウシ島など大小50あまりの島の総称として使われるのがいろは島(イロハ島)。玄海国定公園の一角で、「いろはに・・・」と数…
長崎県長崎市、国の史跡となった出島和蘭商館跡(オランダ商館の復元)にある旧出島神学校は、明治11年に建てられた出島英和学校、聖アンデレ神学校の校舎として使われた出島神学校を修復したもの。2階には17世紀の商館員たちの遊戯…
長崎県長崎市の出島のオランダ商館を復元した出島和蘭商館跡。そのなかにある洋館、旧長崎内外クラブは、開港後の明治36年、長崎に在留する外国人と日本人の親交の場として、イギリス人貿易商のフレデリック・リンガーによって建てられ…
鎖国時代に日本と西欧を結ぶ唯一の窓口だったのが長崎・出島。扇形をした人工島は寛永18年(1641年)に平戸のオランダ商館を移してから安政の開国までの220年間、阿蘭陀屋敷と呼ばれていました。出島和蘭商館跡には当時の商館、…
長崎の出島は、寛永13年(1636年)に築造され、安政6年(1859年)に日蘭通商条約の締結でオランダ商館が閉鎖されるまで218年間にわたり、幕府の鎖国政策のなかで唯一西欧に開かれていた場所。平成8年から出島の復元が始め…
唐津から呼子、七ツ釜、波戸岬に向かう途中、佐賀県唐津市湊町、東松浦半島の北東にそそり立つ2本の巨岩が立神岩。玄海国定公園に指定されたリアス式海岸のハイライトで、玄海灘の荒波により浸食された周囲6m、高さ30mにもおよぶ巨…
佐賀県唐津市鎮西町、東松浦半島の先端に位置する岬が、波戸岬(はどみさき)にあるビーチが波戸岬海水浴場。汀線(浜の長さ)140mという小さなビーチですが、波戸海岸として「日本の渚百選」にも選定されています。また夕日の名所と…
佐賀県唐津市鎮西町、東松浦半島の最先端、波戸岬の周辺海域は昭和45年に指定された日本で最初の海中公園「玄海海中公園」(現・玄海海域公園)。そんな波戸岬にあり、海中の様子を観察できるのが玄海海中展望塔。高さ20mの位置に設…
福井県越前市余川町にある万葉菊花園は、武生(たけふ)市街を7kmほど東に行った場所にある千輪菊、懸崖菊など伝統的な菊栽培を一年を通して見ることができる施設。武生は秋に武生中央公園で行なわれる『たけふ菊人形』でも知られた町…
佐賀県唐津市鎮西町、東松浦半島の先端に位置する岬が、波戸岬(はどみさき)。玄武岩の台地が芝に覆われた岬一と周辺の海が玄海国定公園、玄海海中公園(玄海海域公園)に指定され、夏には波戸岬海水浴場や波戸岬キャンプ場、玄海海中展…
佐賀県有田町にある有田焼の原料となる陶石の採掘場が泉山磁石場(いずみやまじせきば)。元和2年(1616年)、李参平(りさんぺい/邦名・金ケ江三兵衛)が率いる朝鮮からの陶工集団が泉山で陶石を発見し、日本初の磁器焼成に成功。…
透明度が高く生物の豊富な海として知られるのが福井県若狭町の三方海域公園(三方海中公園)地区。より海に親しんでもらおうと平成11年に開館、平成26年にリニューアルした施設が福井県海浜自然センター。「うみ(海湖)の学びと癒し…
福井県鯖江市深江町にある曹洞宗の寺、萬慶寺(ばんけいじ)。享保5年(1720年)、初代鯖江藩主・間部詮言(まなべあきとき)が越後国村上藩から入封した際に村上の常福寺の僧・陽光が現在の桜町付近に万松庵を建立したのが始まり。…