運河水辺公園(利根運河)
千葉県流山市、利根運河の運河橋周辺の水辺、2.4haを整備した公園が運河水辺公園。利根運河(開通時は派川利根川)は、利根川と江戸川を結ぶ長さ8.3km、幅18mの運河で日本初の西洋式運河(野田市、流山市、柏市の3市を通過…
千葉県流山市、利根運河の運河橋周辺の水辺、2.4haを整備した公園が運河水辺公園。利根運河(開通時は派川利根川)は、利根川と江戸川を結ぶ長さ8.3km、幅18mの運河で日本初の西洋式運河(野田市、流山市、柏市の3市を通過…
香川県綾歌郡宇多津町、瀬戸内海に臨む道の駅恋人の聖地うたづ臨海公園に復元された入浜式塩田横にあるのが国の登録有形文化財・旧仲枡塩田水門(きゅうなかますえんでんすいもん)。長大な花崗岩の柱と梁を組み合わせて築いた大規模な塩…
日本有数の「塩の町」(天然塩生産)を誇った宇多津(香川県綾歌郡宇多津町)。道の駅恋人の聖地 うたづ臨海公園には、入浜式塩田を復元され、昔ながらの手作業で塩を造っています。900平方メートルの塩田と茅葺きの釜屋が復元され、…
明治時代後期から大正時代にかけて、日本一の産油量を誇った新津油田(にいつゆでん)。平成8年まで採油が行なわれていた金津地区の油井一帯を石油の里公園として整備。新津油田の歴史を紹介する施設が石油の世界館です。「新津油田金津…
福島県喜多方市熱塩加納町にあるのが日中線記念館。昭和13年8月18日に開業した日中線の熱塩駅(昭和59年4月1日廃止)を再生したもので、日中線に関する資料などを展示するほか、国鉄キ100形貨車(単線用ラッセル式雪かき車、…
福島県喜多方市、JR磐越西線(ばんえつさいせん)の一ノ戸川橋梁(いちのとがわきょうりょう)は明治41年に完成したボルチモアトラス橋(上路プレートガーダー)。16支間、橋長445mで、当時は東洋一の規模を誇り(現在でも磐越…
福島県喜多方市の郊外にある三津谷(みつや)の三津谷集落の煉瓦蔵群(若菜家)。4棟の煉瓦蔵(れんがぐら)を所有するのが若菜家で、アーチ型の窓や入口などがデザイン的にユニーク。本来は鉱山のトンネル、鉄道の橋脚用に焼かれた煉瓦…
愛知県半田市にあるレンガ造りの建物が半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)。明治31年に丸三麦酒のビール工場として建築され、「カブトビール」の製造が行なわれましたが、昭和初期に製造は終了し、戦時下では中島飛行機製作所の衣…
愛媛県新居浜市立川町、足谷川右岸の急峻な傾斜地に築かれたレンガ造りの発電所の跡が旧端出場水力発電所(きゅうはでばすいりょくはつでんしょ)。四阪島製錬所、別子銅山の坑内列車、社宅などへの電力供給を目的に明治45年に完成した…
愛媛県松山市の沖、瀬戸内海の釣島(つるしま)にある灯台が釣島灯台。明治6年に「灯台の父」と呼ばれる英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが建てた歴史ある灯台で、国の重要文化財。付属する職員の官舎である「吏員退息所」(…
「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるマイントピア別子東平ゾーン。明治時代後期から大正時代に別子銅山の中心地だった場所が東平(とうなる)地区。第三通洞内を走行する坑内電車(明治38年導入)の動力源となる電力、そして建ち並ぶ社宅…
愛媛県新居浜市に現存する日本最初に開通した山岳鉱山鉄道の橋梁が、旧別子鉱山鉄道端出場鉄橋(足谷川鉄橋)。明治26年、海岸の新居浜と銅山越の北、第一通洞の北口付近の角石原(かどいしはら/標高1100m)から上部鉄道、高架索…
愛媛県新居浜市にある日本の近代化にも大きく寄与した別子銅山(べっしどうざん)最初の坑道が歓喜坑・歓東坑。元禄3年(1690年)、鉱夫・切場長兵衛から足谷山(別子)に有望な露頭のあることを教えられた泉屋(住友)支配人の田向…
福島県郡山市熱海町安子島竹ノ内にある歴史ある水力発電所が竹之内発電所。安積原野の開拓のために開削された安積疏水(あさかそすい)ですが、猪苗代湖との落差を利用し、明治32年に沼上発電所が誕生、さらに郡山の発展を背景にした電…
福島県郡山市熱海町安子島にある歴史ある水力発電所が沼上発電所(ぬまがみはつでんしょ)。不毛の大地だった郡山の安積原野にオランダ人技術者ファン・ドールンの指導で明治15年10月1日に完成した安積疏水ですが、その安積疏水と水…
福島県郡山市開成の福島県立安積高等学校の敷地内にあるミュージアムが安積歴史博物館(あさかれきしはくぶつかん)。旧福島県尋常中学校本館を再生したもので、国の重要文化財。明治11年、明治政府の士族援産政策で開拓された安積。開…
愛媛県新居浜市の別子銅山(べっしどうざん)の跡、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれるマイントピア別子東平ゾーンにあり、最盛期の東平の鉱山、社宅、学校などをジオラマ、地形模型、写真などで解説するミュージアムが東平歴史資料館(と…
愛媛県新居浜市で別子銅山の採鉱本部跡のあった東平(とうなる)一帯が、マイントピア別子東平ゾーン。採鉱本部跡、貯鉱庫跡などが山中に残り、その雰囲気から東洋のマチュピチュとも呼ばれています。大正5年から昭和5年までの間、別子…