元八幡神社

718(養老2)年5月2日、能登国(のとのくに)と同時に設置されたのが安房国(あわのくに)。元八幡神社は安房国の総社として国司が赴任した国庁近くに創建された古社です。鎌倉時代に総社としての機能が衰微し、源氏の影響で武神である八幡神信仰が高まったため、総社から八幡宮となり、遷座して鶴谷八幡宮となっています。

安房国の設立と同時に創建された安房国総社が起源!

718(養老2)年5月2日、上総国から分離するかたちで設立した安房国。

諸国の役所である国府(国庁)には、朝廷から国司が派遣されましたが、国司は当初赴任した国内にある全てすべての神社を一之宮から順に巡拝。
それを簡略化するため国府近くに国内の神社に祀られる神々を合祀した総社を創建しました。

それが元八幡神社の起源です。
律令制の崩壊、源氏の隆盛で、武神である八幡信仰へと代わり、府中八幡となり、遷座して鶴谷八幡宮となったと推測されているのです。
鶴谷八幡宮の例大祭『国司祭(国府祭)』は、元八幡神社の神井戸でのお水取り神事で始まるのが習わし。

南房総市府中地区には安房国国府があった!

安房国の国府があったと推測されているのが南房総市府中地区。

元八幡神社北側にある宝珠院が安房国府の推定地とされていますが、まだその遺構は見つかっていません。
また宝珠院西に隣接の八坂神社は古墳時代の円墳。一帯が古くから拓けた地だということがよくわかります。

八坂神社の脇(西側)を流れる平久里川を隔てた対岸、館山市正木に鎮座する六所神社は、古代に安房国の6柱を合祀した「六所の宮」と推測され、一帯が古くから拓けた地だということがよくわかります。

阿波と安房の関係は!?
安房国を開拓した阿波忌部伝説

平安時代の807(大同2)年頃に編纂された神道資料『古語拾遺』(こごしゅうい)によれば、阿波国(あわのくに=現在の徳島県)で粟(あわ)や麻などを栽培していた天富命(あめのとみのみこと)は、肥沃な土地を求めて阿波忌部(あわのいんべ)を率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸し開拓を進めたのだとか。良い麻が生育した国は総国(ふさのくに=現在の千葉県北部)、阿波忌部が住んだところは安房(あわ=南房総)となりました。
ただし、古代に安房地域に勢力を有したのは膳大伴部(かしわでのおおともべ)であり、『古語拾遺』の阿波忌部の東遷説話は現在のところ歴史的な裏付けがありません。

律令制以前には、南房総には阿波国造(あわのくにのみやつこ)と長狭国造(ながさのくにのみやつこ)の2つの国造が置かれて支配していましたが、646(大化2)年に発せられた大化の改新の詔で、律令政治が始まり、現在の千葉県には上総国(かずさのくに)、下総国(しもうさのくに)が置かれ、それぞれの国府が設置されました。
安房国は718(養老2)年に上総国から分離して設置されています。

元八幡神社
名称 元八幡神社/もとはちまんじんじゃ
所在地 千葉県南房総市府中665
関連HP 館山市公式ホームページ
ドライブで 富津館山道路富浦ICから約5.7km
駐車場 なし(宝珠院駐車場を利用)
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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