三重県六大名城とは!?

三重県六大名城

戦国時代に織田信長が一揆軍に手を焼き、江戸時代初期には徳川幕府が大坂城へ睨みを効かせた三重県(伊勢・伊賀)。日本100名城に選定の伊賀上野城、松坂城、続日本100名城の津城、多気北畠氏城館、田丸城、赤木城が三重県六大名城で、築城の名手、藤堂高虎、蒲生氏郷ゆかりの城も。

伊賀上野城|日本100名城

所在地:三重県伊賀市上野丸之内106
築城年:天正9年(1581年)、大改築=慶長13年(1608年)
築城者:織田信雄(おだのぶかつ=信長の次男)の家臣・滝川雄利、大改築=藤堂高虎(築城の名手)
主な城主:滝川雄利、脇坂安治、
史跡:国の史跡
文化財:石垣、堀、武具蔵が現存
備考:戦国時代は大坂の豊臣氏を守るための城、関ヶ原の合戦後は大坂城の豊臣氏、西国の諸大名に睨みを利かせる城に
慶長20年(1615年)、大坂夏の陣によって豊臣家滅亡後は、津城の支城に
木造3層の模擬天守は、昭和10年に尾崎行雄の秘書から衆議院議員になった川崎克氏が建てたもの
三重県立上野高校の図書館横に建つ武具蔵が唯一の遺構

伊賀上野城

1581(天正9)年に伊勢に侵攻した織田信雄(おだのぶかつ=信長の次男)の家臣・滝川雄利が平清盛が建立と伝わる平楽寺跡に城郭を築いたのが伊賀上野城の創始。1608(慶長13)年、伊賀・伊勢両藩の藩主となった藤堂高虎は津城には手を加えなかった

松坂城|日本100名城

所在地:三重県松阪市殿町1385
築城年:天正16年(1588年)
築城者:蒲生氏郷(がもううじさと)が四五百森(よいおのもり)に命じて築城
主な城主:蒲生氏郷(商都・松阪発展の基礎を築く)
史跡
文化財:石垣のみ現存/昭和63年〜平成15年に11億の費用を投じて「平成の松坂城石垣修復」が行なわれ、美しい石垣が蘇る
備考:江戸時代初期には松坂藩の藩庁が置かれ、紀州藩領となって廃藩後は城代が詰めた城
一帯は松阪公園として整備
殿町ある御城番屋敷は、松坂城警護のため40石取りの紀州藩士20人とその家族が住んだ組屋敷で、文久3年(1863年)築

松坂城

1584(天正12)年、豊臣秀吉により近江・日野城主から伊勢・松ヶ島城に封じられた蒲生氏郷(がもううじさと)が、四五百森(よいおのもり)に、1588(天正16)年に完成させた平山城が、松坂城。江戸時代初期には松坂藩の藩庁が置かれ、廃藩後は城

津城|続日本100名城

所在地:三重県津市丸之内27
築城年:永禄年間(1558年〜1569年)、近世城郭に大改修=慶長13年(1608年)
築城者:細野藤光(ほそのふじみつ=長野工藤氏14代当主・長野稙藤の子)近世城郭に大改修=藤堂高虎
主な城主:細野藤光、織田忠寛、織田信包、富田一白(とみたいっぱく)、富田信高、藤堂高虎
史跡:三重県の史跡
文化財:石垣、堀の一部が現存
備考:江戸時代には津藩の藩庁
現在は本丸と西之丸、内堀の一部が残り城跡公園「お城公園」として整備
昭和33年にコンクリート製の模擬隅櫓(三重櫓)が復元

津城

津城

三重県の県庁所在地である津市は、中世、伊勢湾の交易を支えた三津七湊の一つ、安濃津(あのつ)に由来する地名。その安濃津を眼前に、戦国時代に築かれた城が津城(安濃津城)で、江戸時代には築城の名手・藤堂高虎により近代城郭として改修され津藩の藩庁と

多気北畠氏城館|続日本100名城

所在地:三重県津市美杉町上多気
築城年:興国3年・康永元年(1342年)
築城者:北畠顕能
主な城主:北畠顕能、北畠具教
史跡:国の史跡、北畠氏館跡庭園は国の名勝
文化財:北畠氏館跡庭園などが現存
備考:城域内に北畠神社が鎮座

多気北畠氏城館

多気北畠氏城館

三重県津市美杉町上多気にある伊勢国司・北畠氏の城館が、多気北畠氏城館。南北朝時代に、南朝方として伊勢に入り、南北朝が統一後、伊勢国司としての地位を保ち、守護大名として室町時代を生き抜いた北畠氏の伊勢支配の拠点。国の史跡に指定され、続日本10

田丸城|続日本100名城

所在地
築城年:延元元年・建武3年(1336年)
築城者:『神皇正統記』で名高い北畠親房(きたばたけちかふさ)、次男・北畠顕信(きたばたけあきのぶ)
主な城主:北畠親房、田丸直昌(たまるなおまさ)、稲葉道通(いなばみちとお)
史跡:三重県の史跡
文化財:天守台などの石垣、外堀、内堀、堀切などが現存
備考:江戸時代初期には田丸藩の藩庁で、紀州藩領となって廃藩後は城代が詰めた城
旧三の丸御殿奥書院には、江戸時代の田丸城主・久野氏の居間・寝所の間が現存

田丸城

田丸城

三重県度会郡玉城町(たまきちょう)にある南北朝時代に南朝の拠点として築かれた城が田丸城。神宮(伊勢神宮)を抑える要衝で、戦国時代には北畠家の家督を相続した織田信雄(おだのぶかつ=織田信長の次男)の居城となり、近世城郭に改修されています。続日

赤木城|続日本100名城

所在地:三重県熊野市紀和町赤木
築城年:天正17年(1589年)
築城者:豊臣秀長(とよとみひでなが=豊臣秀吉の異父弟)の命で藤堂高虎
主な城主:浅野忠吉(あさのただよし=和歌山藩主・浅野幸長、浅野長晟の重臣)
史跡:江戸時代初期の北山一揆で処刑された刑場跡とともに、「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」の名称で国の史跡に指定
文化財:藤堂高虎が縄張りし、築城したという曲輪群が現存
備考:元和元年(1615年)の元和の一国一城令で廃城に

赤木城

赤木城

三重県熊野市にある中世から近世の過渡期に築かれた平山城が赤木城(あかぎじょう)。藤堂高虎が縄張りし、築城したという曲輪群が残され、続日本100名城に選定。江戸時代初期の北山一揆で処刑された刑場跡とともに、「赤木城跡及び田平子峠刑場跡」の名称

三重県六大名城とは!?
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愛知県七大名城

愛知県七大名城とは!?

地元で三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の出身県でもある愛知県。日本100名城選定の名古屋城、岡崎城、長篠城、犬山城(国宝天守)と、続日本100名城選定の小牧山城、吉田城、そしてちょっぴり無名の古宮城が愛知県七大名城といえる城です。名古

岐阜県六大名城

岐阜県六大名城とは!?

肥沃な濃尾平野の扇の要となる美濃国(岐阜県南部)は、斎藤道三、織田信長の覇権争いの地。信長が天下布武を掲げた岐阜城、日本三大山城の岩村城が日本100名城。続日本100名城選定の郡上八幡城、苗木城、美濃金山城、大垣城の計6城が岐阜県六大名城と

静岡県七大名城

静岡県七大名城とは!?

旧国では県の西部が遠州、東部が駿河と伊豆に分かれる静岡県。戦国時代には今川氏の領有ですが、今川家滅亡後に徳川・武田の激戦地に。日本100名城の駿府城、掛川城、山中城、そして続日本100名城選定の興国寺城、諏訪原城、高天神城、浜松城の合計7城

大阪五大名城

大阪五大名城とは!?

大阪府下にある日本100名城選定の城は、国の特別史跡にもなっている大坂城、そして楠木正成ゆかりの千早城の2城。続日本100名城選定の芥川山城(あくたがわやまじょう)、飯盛山城(いいもりやまじょう)、岸和田城の3城を加えた中世から近世の5つの

奈良県三大名城

奈良県三大名城とは!?

奈良県で日本100名城に選定されるのは、高取町の高取城だけですが、日本三大山城に数えられる名城。さらに城下町が宇陀松山伝統的建造物群保存地区となる宇陀松山城、江戸時代に郡山藩の藩庁となった大和郡山城が続日本100名城で、この3つの城が、奈良

和歌山県二大名城

和歌山県二大名城とは!?

和歌山市は、徳川御三家・紀州徳川家の城下町。藩庁となった和歌山城は、日本100名城に選定。続日本100名城に選定されるのは、一国一城令以降も、支城として認められた新宮城。水野家3万5000石の居城ですが、大名には数えられていません。この2城

日本100名城 東海地区11城

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の地に建つ「日本100

 

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