志波城跡(志波城古代公園)

志波城跡(志波城古代公園)

岩手県盛岡市にある志波城(しわじょう)は、胆沢地方において蝦夷の首長・アテルイを降伏させた翌年、延暦22年(803年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)によって造営された古代城柵の跡が志波城跡。発掘調査の成果をもとに遺構を真上に復元整備した歴史公園が志波城古代公園です。

坂上田村麻呂が築いた古代の城柵

平安京遷都の数年後に、朝廷の力が北上川北部にまでに達し、東北に律令制をもたらす拠点とまりました。
そのため志波城は行政としての機能も有し、役所の形は、もともと古代の中国やオリエントなどで見られた「都城制」と呼ばれる周囲に城壁をめぐらせた都市をモデルにしています。
とはいえ政庁や官衙(かんが)以外の兵舎や工房は竪穴式住居という粗末なものでした。

高さ11mの外郭南門、全長252mの外郭築地塀や櫓、政庁などが復元され、展示室ではコンピューターグラフィックで当時の姿を紹介しています。

志波城は、当時東北に居住し、朝廷への帰属を拒んでいた蝦夷(えみし)を鎮圧統制するのが築城の主目的。しかし造営後約10年で、雫石川の水害を理由に、徳丹城(とくたんじょう=現・岩手県紫波郡矢巾町徳田)に機能を移しています。
県道16号沿いにある駐車場からは南大路を北に300mほど歩くと政庁南門があります。

志波城跡(志波城古代公園)
名称志波城跡(志波城古代公園)/しわじょうあと(しわじょうこだいこうえん)
所在地岩手県盛岡市下太田方八丁
関連HP盛岡市公式ホームページ
電車・バスでJR盛岡駅から岩手交通バス志波城古代公園前行で26分、志波城古代公園前下車、徒歩1分
ドライブで東北自動車道盛岡ICから約5km
駐車場8台/無料
問い合わせ古代公園案内所 TEL:019-658-1710/FAX:019-658-1710
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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