蹴上ねじりまんぽ

蹴上ねじりまんぽ

三条通から南禅寺に抜ける歩行者用の小径にあるレンガ造りのトンネルが蹴上ねじりまんぽ。その上には琵琶湖疏水(びわこそすい)が通り、船を運んだ傾斜鉄道、インクラインがありました。「ねじりまんぽ」とはレンガの組み方で、大きな負荷に耐えられるよう、通常のレンガ組みと違ってねじらせた形で組み上げていくもの(煉瓦斜架拱)。

上にはインクラインがある琵琶湖疏水の人道レンガトンネル

蹴上ねじりまんぽ
トンネルは南禅寺への近道に
蹴上ねじりまんぽ
レンガのねじり具合にも注目を

トンネルの上に粟田焼(京都・粟田の地で焼かれる陶器)で焼かれた文字は、琵琶湖疏水を開通させた京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)筆による「雄観奇想」(素晴らしい眺めと優れた考えの意)。
琵琶湖疏水の開通で、都が東京に移り、さらには廃仏毀釈の荒波で寺が廃れて経済的にも困窮する京都に、琵琶湖の水が引かれて、電力供給が始まり、開通を契機に殖産興業の時代となるという希望が込められたもの。
レンガ造りの美しい疏水が京の伝統的な町並みマッチし、さらにこの疏水が新しい産業を築くという思いにあふれた言葉です。

琵琶湖疏水の施設にはそれぞれ、伊藤博文や山県有朋など、明治の元勲による揮毫が篆刻されています。
北垣国道は田辺朔郎(たなべさくろう)の疏水計画に賛同し、伊藤博文や山県有朋など中央の政治家に働きかけて疏水を完成させた知事として有名。

山県有朋(やまがたありとも)は、蹴上インクライン近くの南禅寺参道前に別邸「無鄰菴」を構え、新進気鋭の庭師だった7代目・小川治兵衛(おがわじへえ)とともに琵琶湖疏水の水を庭に引き込んだ名園、無鄰菴庭園を築いています(庭園は明治29年完成)。

ちなみに「まんぽ」は、京都や滋賀の方言で小さいトンネルのこと。
坑道を表す「まぶ(間歩)」が「まぽ(間歩)」への転訛だと推測できます。
明治時代の鉄道敷設の際に、道路や用水を分断する際に、道路や用水が斜めに通る際、レンガにもねじりを入れて強度を保ったもの。
よく見ると、蹴上のねじりまんぽも、南禅寺へと続く参道が疏水に対して直交せず、ほんの少し斜めに伸びています。

蹴上ねじりまんぽ
入口に「雄観奇想」の扁額が懸かる
蹴上ねじりまんぽ
名称蹴上ねじりまんぽ/けあげねじりまんぽ
所在地京都府京都市東山区東小物座町
電車・バスでJR京都駅から市バスで34分、南禅寺永観堂前下車、徒歩8分。または地下鉄東西線蹴上駅からインクラインをくぐり歩行者専用道で徒歩5分
ドライブで名神高速道路京都東ICから約14km
駐車場南禅寺駐車場(50台/有料)
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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