石舞台古墳

奈良県高市郡明日香村、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置する日本最大級の方墳が、石舞台古墳。巨大な両袖式の横穴式石室が露呈していることから、古くから石舞台と呼ばれてきました。世界文化遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産にもなっています。

前方後円墳の次世代、権力者を葬った墳墓内部を象徴

石舞台古墳

巨石30個を積み上げた横穴式石室を持つ古墳で、古墳時代後期のもの。
墳丘の盛土がまったく残っておらず、花崗岩でできた玄室が露出している特異な形状から石舞台と呼ばれています。

堀、外堀が存在すること、6世紀代の小古墳を壊して築造されていたことなどが確認され、築造は7世紀初め頃と推定されています。

朝鮮半島から伝わった古墳文化が日本に広がり定着したのは3世紀半ば頃から8世紀初頭くらいまで。
645(大化元)年の「大化の改新」では日本における最初の大改革が行なわれましたが、646(大化2)年には古墳の規模を縮小すべしという「薄葬令」(はくそうれい)も出されています。

石舞台古墳の近くにある都塚古墳は、石舞台古墳より古くに築かれているため、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓、蘇我馬子の父・蘇我稲目(そがのいなめ)の墳墓という説もあります。

『日本書紀』に「大臣(蘇我馬子のこと)薨(こう)せぬ。仍りて桃原墓に葬る」と記されることから蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と伝えられてきたため、蘇我馬子桃源墓という名も付けられています。
島ノ庄と呼ばれるこの場所に蘇我馬子の庭園があったことが、馬子の館は石舞台が借景とする甘樫丘にあったというのが馬子墓説の有力な根拠。
石舞台古墳の築造は7世紀の初めと推測され、蘇我馬子の没年である626(推古天皇34)年ともほぼ一致します。

明和9年(1772年)の『管笠日記』(本居宣長)には、石舞台古墳の南に位置する都塚古墳と対となって、都塚古墳が推古天皇陵、石舞台古墳が用明天皇陵という伝承が記されています。

石室の長さは19.1m、玄室は高さ7.7m、幅3.9m、奥行き7.6m。
横穴式の石室は8坪の広さがあり、古墳最大の巨岩である天井石は、なんと77tで、石の総重量は2300tと推定されています。

古墳時代の後半に造られた7世紀初めの方墳が、どうして石室がむき出しになったかといえば、蘇我馬子に汚名をきせるためとも、雨によって流出したともいわれており定かでありません。

巨岩は、陸路で転子(ころ)と木橇(きぞり)、川では筏(いかだ)を用いて数キロを運んだと推測されています。

画像協力/世界遺産「飛鳥・藤原」登録推進協議会

蘇我馬子

敏達天皇、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇の4代に仕え、54年にわたり権勢を振るい、蘇我氏の全盛時代を築いた飛鳥時代の大臣。
邸宅に島を浮かべた池があったことから嶋大臣とも呼ばれていました。
崇峻天皇の時代には政権を掌握し、推古天皇の時代には氏寺として飛鳥寺を創建しています。
推古天皇の治世では、冠位十二階制度や十七条憲法の創設、遣隋使派遣があり、蘇我馬子の功績だった可能性も大です。
父は娘3人を天皇に嫁がせた蘇我稲目(そがのいなめ)。
大化の改新の前夜「乙巳の変」(いっしのへん)で中大兄皇子に暗殺される蘇我入鹿(そがのいるか)は蘇我馬子の子。

石舞台古墳
石舞台古墳
名称石舞台古墳/いしぶたいこふん
Ishibutai Tumulus
所在地奈良県高市郡明日香村島庄
関連HP国営飛鳥歴史公園公式ホームページ
電車・バスで近鉄橿原神宮前駅東口、または飛鳥駅から奈良交通明日香周遊バスで石舞台下車、徒歩3分
ドライブで西名阪自動車道郡山ICから約21km
駐車場飛鳥歴史公園石舞台地区駐車場(30台/無料)
問い合わせ明日香村地域振興公社 TEL:0744-54-4577
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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