蘇我入鹿首塚

645(皇極天皇4)年に起こった古代の日本を揺るがしたクーデター、乙巳の変(いっしのへん=大化改新につながる蘇我氏の暗殺計画)の時、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で殺害された蘇我入鹿(そがのいるか)の首が飛んできたといわれる地が飛鳥寺の境内の西側にある蘇我入鹿首塚です。

蘇我入鹿の首がここに落下という伝説の首塚

皇極天皇4年6月12日(645年7月10日)、中大兄皇子、中臣鎌足ら改革派は、蘇我入鹿の政権私物化にとどめを刺すため、三韓(新羅、百済、高句麗)から進貢(三国の調)の使者が飛鳥板蓋宮の大極殿に来る時を狙い、暗殺。
入鹿の父・蘇我蝦夷(そがのえみし)は、6月13日(西暦7月11日)、居館に火を放って自殺。
6月14日(西暦7月12日)、皇極天皇は軽皇子(かるのみこ=孝徳天皇に)へ譲位し、中大兄皇子が皇太子となり、一連のクーデターが成功を収めます。

飛鳥板蓋宮大極殿で討たれた蘇我入鹿の首が飛んだという首塚ですが、板蓋宮と首塚は600mも離れていますからまさに伝説。
蘇我入鹿と父・蘇我蝦夷の館のあった甘樫丘(あまかしのおか=国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区)を背にして首塚が造られています。
現存する五輪塔は、南北朝時代と推定される花崗岩製。

蘇我入鹿首塚
名称蘇我入鹿首塚/そがのいるかくびづか
Tomb of Soga-no-Iruka’s Head(Legendary)
所在地奈良県高市郡明日香村飛鳥682
関連HP明日香村観光ポータルサイト
電車・バスで近鉄橿原神宮前駅から奈良交通バス岡寺行きで12分、飛鳥大仏下車、すぐ
ドライブで西名阪自動車道郡山ICから約19km
駐車場飛鳥寺駐車場(30台/有料)
問い合わせ明日香村地域振興公社 TEL:0744-54-4577
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