白石城
宮城県白石市にある続日本100名城にも選定される平山城が白石城(しろいしじょう)。仙台藩伊達氏の支城で、江戸時代の一国一城制の例外的な存在として明治維新まで存続しました。天守の代用として三階櫓が聳えていましたが明治の廃城…
宮城県白石市にある続日本100名城にも選定される平山城が白石城(しろいしじょう)。仙台藩伊達氏の支城で、江戸時代の一国一城制の例外的な存在として明治維新まで存続しました。天守の代用として三階櫓が聳えていましたが明治の廃城…
宮城県白石市にある武家屋敷旧小関家は、白石城主・片倉家の家臣・小関家の武家屋敷で、享保15年(1730年)の築。白石城の北(国道113号の南)、沢端川沿い(三の丸外堀沿い)の後小路(うしろこうじ)南側東端に建っています。…
宮城県白石市の坂上田村麻呂を祀る田村神社の境内にあるお堂が甲冑堂。堂内に源義経の家来、佐藤継信(さとう つぐのぶ)・忠信兄弟が着用したという甲冑が安置されていることが名の由来で、それを目的に、松尾芭蕉と曾良は、『奥の細道…
宮城県白石市の西側、白石城(仙台藩家臣・片倉氏の居城)を望む愛宕山の麓にある白石城主・片倉家の墓所が片倉家廟所。延宝8年(1680年)、片倉家3代の片倉景長(かたくらかげなが)が、この地を墓所に定め、初代・片倉景綱と2代…
宮城県松島町にある瑞巌寺の塔頭(たっちゅう=寺の敷地内にある子院)のひとつが円通院。瑞巌寺の西隣りに位置し、伊達政宗(だてまさむね)の孫にあたる伊達光宗(だてみつむね=江戸参府で体調を崩し19歳で早世、法名は円通院殿要山…
宮城県松島町にある双観山は、「松島四大観」のひとつ扇谷近く、松島海岸に突き出した景勝地。標高は43mと低いのですがその名の通り、松島湾と塩釜湾の双方を見渡すことができます。国道45号を走ると切り通しで素通りしてしまうケー…
宮城県松島町、松島観光の中心となる松島海岸のすぐ南にある小島の雄島(おしま)は、瑞巌寺の寺領で、全島が幽玄な雰囲気の漂う霊場。中世の松島は「奥州の高野」と称されたと死者供養の霊場でもあったため雄島の周囲には数多くの岩窟が…
宮城県宮城郡松島町のある松島湾眺望の公園が西行戻しの松公園。平安時代の末、西行(さいぎょう)が諸国を巡る漂泊の旅の途中、松の大木の下で出会った童子と禅問答をして敗れ、松島入りをあきらめたという伝説の地。ちょうど松島海浜公…
宮城県宮城郡松島町、双観山近くにの扇谷山(標高65m)の展望地で「松島四大観」のひとつに数えられているのが扇谷展望台(おうぎだにてんぼうだい)。国道45号の双観山分岐近くから西側の山側にダートの道を入ると駐車場です。扇谷…
宮城県松島町と東松島市の境に聳える標高116.8mの山が富山。山頂には富山観音が鎮座しますが、そこが「松島四大観」に数えられる絶景の地、富山展望台です。東南西の三方が一望にできるワイドビューが広がり、明治9年には、明治天…
宮城県宮城郡七ヶ浜町、松島湾に南側から突き出した大きな半島先端の展望地が多聞山展望台で、「松島四大観」のひとつ。すぐ近くに東北電力仙台火力発電所がありますが、多聞山周辺の自然はよく守られています。宮城県道58号(塩釜七ヶ…
宮城県東松島市、奥松島の宮戸島にある標高105.2mのピークが大高森展望台。松島四大観のひとつで、松島湾に浮かぶ260あまりの島々を一望する景勝地。日本三景・松島を箱庭のように見渡すことから、「壮観」と称されています。大…
富山県立山町、立山黒部アルペンルートの最高所である室堂平は8mもの積雪がある豪雪地帯。とくに室堂ターミナルに近い500mの区間は、吹き溜まりとなって20mを超える積雪があり、雪の大谷と呼ばれています。例年、立山雪の大谷ウ…
富山県立山町、立山駅から立山ケーブルカーで上った場所が、立山杉の生育する美女平。室堂から続く広大な溶岩台地の末端に位置し、トチノキ、ミズナラ、ホオノキなどの広葉樹、樹齢200年から300年のブナや立山杉の原生林に囲まれ、…
富山県立山町、立山黒部アルペンルート途中にある弥陀ヶ原(みだがはら)は約10万年前の立山火山噴出物によって形成された標高2000m内外の溶岩台地。日本国内では最も標高の高い所にあるラムサール条約登録湿地(「立山弥陀ケ原・…
富山県立山町、立山黒部アルペンルート途中にある弥陀ヶ原(みだがはら)は標高2000m内外の高原地帯で、溶岩台地に湿原が広がる雲上の別天地。「餓鬼の田圃」(がきのたんぼ)と呼ばれる池塘(ちとう)が散在し、高山植物の宝庫とな…
富山県富山市八尾町にある『おわら風の盆』を紹介するミュージアムが八尾おわら資料館。『おわら風の盆』の歴史は、江戸時代前期の元禄15年(1702年)に遡りますが、八尾おわら資料館は、おわら中興の祖といわれる川崎順二邸宅跡に…
『おわら風の盆』で知られる越中八尾(富山県富山市八尾町)。『おわら風の盆』は、五穀豊穣と永世の繁栄を祈る祭りで、歴史は古く江戸時代前期(元禄時代頃)からと伝えられています。その町流しが行なわれるのが石畳の敷かれた諏訪町本…