【旅】”鳥取たのしー”ツアーに行ってきた(2日目その1)

この記事は「イカズブログ」から寄稿していただきました。
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さて、1日目の夜、大山レークホテルの豪華フレンチレストランでの夕食で、隣の席に座ったのが、著名な旅行・温泉ジャーナリストで山岳家のIさん。

Iさんは日本百名山の踏破を目指しており、今回のツアーに参加したのは、そのうちの一つ”大山(だいせん)を登るため”と、最初から公言しておられました。その登山の前日。レストランで、鳥取の地酒をクイクイとあおりながら、

「いかちゃん、明日は頼んだよ。俺ぁ病み上がりだからさ」

Iさん、数年前に大病され、生死をさまよったとか。

元気に復活 したいま、だからこそ”やりたいことをやろう”と、念願だった日本百名山完全踏破を目指しているそう。残りは数えるほど、だそうです。

それはそうと、 すっかり、私も登るものと、勘違いしておられます。

しかし、私も天性のお調子者。

「そうですね〜」

なんて、否定もせずに、話を合わせているうちに、

「じゃあ、明日ロビーに6時で」

と、出発の打ち合わせまでしてしまいました。

うー、こうなったらもう行くしかない。

タフとはいえ、Iさんは病み上がり、ちょっと心配です。

登山に関して私は素人ですが、

何かあったら、荷物ぐらい背負えるんじゃないか?

翌日の朝は原稿がありましたが、午前3時に起きてなんとか書き上げ、午前6時、初めての大山登山に出発した──

《大山の歴史を学ぶ》

──その、14時間前。

実は1日目の夕方、大山の歴史を学ぶため、大山町の「鳥取県立大山自然歴史館」にお邪魔していました。

1階奥の特設会場では、日本遺産認定記念の特別展示「地蔵信仰が育んだ日本最大の大山馬市」を開催中。
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大山がどんな歴史を経て、百名山の1つになったのか、写真やイラストのパネルで、わかりやすく説明されていました。

今思えば、これは、”大山に登れ”、という暗示だったのかも…。

せっかくなので、ここから先は、展示を見てわかった「大山のヒミツ」をご紹介します!

●大山のヒミツその1「大山は溶岩でできた山だから水がおいしい!」

その昔、海底の火山が噴火して、その溶岩が隆起してできたのが大山。

1729メートルのほとんどが、溶岩石でできているということです。
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溶岩石は水を浸透しやすい。

なので、水は山の奥深くに染み込み、やがて湧き水となって地上に出てくる。

大山は良質な水の産地といわれていますが、火山でできた山だったからなんですね。
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●大山のヒミツその2「大山にはお地蔵さんが多い!」

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大山が開かれたのは1300年前。

出雲の俊方という人が、ある日鹿を追って大山に入り、みごと鹿を射止めたところ、それは鹿でなくお地蔵さんだったそう。
俊方はハッとし、「殺生はいかん!」と悟り、出家したのだそうです。
それが、大山(大山寺)の始まり。
やがて、地蔵信仰の山となりました。
なので、大山へ行く道には、お

地蔵さんが数多い、というわけなのです。

 

●大山のヒミツその3「かつて、日本最大の牛馬マーケットがあった!」
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奈良時代からお地蔵さまを信仰していた大山。

お地蔵さまは牛馬の守護仏とされたことから、平安時代には、牛馬信仰も盛んになりました。

お寺(大山寺)では、牛馬安全のお守りを授けたといいます。

このお守りをもらおうと、人々は牛馬に荷物を乗せて大山寺を訪れるようになりました。やがて、「お、お前の牛いいな」「お前の馬もよく働きそうだ」と、互いの牛や馬を比べて交換するようになり、やがて牛馬市へ繋がっていきました。

マーケットとして発展したのは江戸時代。

暴れん坊将軍こと徳川吉宗が活躍したころの享保15年です。

その名も「大山博労座」と呼ばれました。博労とは、馬喰から来た言葉です。

大山自然歴史館の館長さんの話によると、当時の大山は、独立した寺領でした。
藩に属さない自由さはあるものの、年貢は自分の手で稼いでお上におさめなければならない。
しかし、急勾配の岩山ではお米はとれない。そこで、テラ銭を稼げる牛馬市に目をつけた、というわけです。
仏のご加護のおかげもあり、福島の「白河馬市」、広島の「久井牛市」と並んで日本三大牛馬市の一つと言われるまでになりました。

市は1年に数回開催され、一度に3、4千頭の取引があったとされています。

ただし、昭和12年大山が国立公園になったため、長い歴史に幕を閉じました。

その博労座があった場所こそ、今回訪れた大山自然歴史館なのです。
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(博労座があった大山自然歴史館から見た鳥取の夜景)

●大山のヒミツその4「なぜ、大山(ダイセン)は、山をセンと読むのか?」

大山はダイセンと読みます。

わたくし、東京の板橋区に住んでおり、東武東上線に大山(おおやま)という駅があるので、大山と書いてあれば反射的にオオヤマと呼んでしまう人間です。

なぜ、鳥取の大山はわざわざダイセンと読むのでしょう?

実は、大山のある大山町(これもオオヤマチョウではなくダイセンチョウと読む)は、全国に「山」を「セン」と読む山がいくつあるか調べたそう。

すると、70ほど存在したそうです。

そのほとんどが鳥取県と岡山県北部、そして島根県でした。

そもそも、山の「サン」は漢音。「セン」は呉音。

呉音とは、日本に古く伝来し、仏教関係の語に多い漢字の音だそう。

仏教は、中国や朝鮮から、日本海を通じて、伝わってきました。

なので、日本海側に、センと読む山が多いのも、うなずけます。

ですから、鳥取に行った時は、間違っても大山をオオヤマと呼ばないように。オオヤマと呼んだ瞬間に、「それは東武東上線の駅の名前だろ!」

と、突っ込まれる……ことは、まあ、ないと思いますが、

いずれにせよ、大山はとても宗教的な歴史を持つ、ありがた〜い山ということがわかりました。

そして、修験者(山伏)の厳しい修行の場としての顔も持っています。

遊びで登っちゃ怒られそうな雰囲気バリバリです。

そんな山に、いよいよ登山初心者の40過ぎのオッさんが、登ることになるわけです。

その様子は、次回!

※展示の内容は取材当時(2016年11月16日)のものです。

※大山のヒミツについては、一部、大山観光局のHP「不思議だいせん」を参考にしました。

 

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東京在住のライター・構成作家。ネタは歩いて探せ!がモットーの、自称”あるきにすと”。 ■「日刊ゲンダイ」にて「アンテナ新名物」(毎週水曜)、「平成の街道をゆく」(毎週金曜・しばゆうたろう名義)を連載中!■「おとなの週末」にて「東京タイムトリップ」(妄想歴史散策コラム)を連載中! ■NHK-Eテレ「Rの法則」にて企画構成を担当中! ■京大ウェブサイト「探検!京都大学」にて名物研究者をインタビューした「京大先生図鑑」公開中!http://www.kyoto-u.ac.jp/explore/ 日本旅のペンクラブ会員

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