大姓41位の藤井さんは、全国32万人ほど暮らしていて、シエアは0.25%ほど。藤の花咲く井戸のあったムラから生まれた地形姓という単純なルーツではなく、古代の朝鮮の王族がルーツだったり、古代豪族の葛井氏(ふじいうじ)だったりと、古代の豪族がルーツの藤井さんが多いのです。
藤井さんのルーツをたどって、まずは古代へ
古代には百済(くだら=朝鮮半島南西部にあった国、倭国=ヤマト王権と同盟関係にありましたが対立する唐の侵入で滅亡)の王族の子孫に奈良時代の貴族・葛井宿禰(ふじいのすくね=葛井道依ふじいのみちより)がいます。
かつて吉備国で、白猪屯倉(しらいのみやけ=大和朝廷の直轄領で、銅・鉄の採掘が行われていた)の経営に当った白猪史(しらいのふひと)は、養老4年(720年)に葛井連(ふじいのむらじ)と名を変えていますが、この古代の豪族が藤井さんのルーツ。
白猪史は、百済王の末裔・王辰爾(おうしんに=渡来系氏族ですが生没年は不明)の甥です。
岡山県岡山市西大寺の安仁神社(あにじんじゃ)あたりがかつての藤井の地であると推測されていますが、諸説あり定かでありません。
安仁神社は、江戸時代に藩主・池田家の祈願所となる以前は、宮城山(みやしろやま=旧称は鶴山)の頂に鎮座していたという古社。
昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だったといい、鶴山には磐座(いわくら)など古代の祭祀の跡が残されています。
古代の山城・基肄城には葛井連大成の万葉歌碑が
佐賀、福岡県境に聳える基山(きざん/標高404m)には、古代朝鮮式山城の基肄(椽)城跡(きいじょうあと)があります。
天智4年(665年)、大野城(おおののき/福岡県太宰府市・大野城市・糟屋郡宇美町)とともに築かれた日本最古の本格的な山城で、基山とその東峰(標高327m)にかけて谷を囲み、延長4kmにも渡って土塁・石塁を巡らした城壁です。
白村江の戦いに敗れたヤマト王権が、朝鮮半島からの襲撃に備え大宰府を防衛するために巨大な城壁を築いていますが、その城跡に「今よりは 城の山道(きのやまみち)はさぶしけむ 我が通はむと 思ひしものを」という万葉歌碑が立っています。
作者の葛井連大成(ふじいのむらじおおなり)は、朝鮮百済系の渡来人で、神亀5年(728年)、従五位下となった大宰府の役人。
上司の大宰帥・大伴旅人(おおとものたびと)が愛妻・大伴郎女(おおとものいらつめ)を失った後、天平2年(730年)12月半ば、奈良の都に帰任した際、筑後守・葛井連大成が悲嘆して作った歌だと伝えられています。
「城の山道」(基山越えの道)は筑後国国府(現在の福岡県久留米市合川町)から大宰府(現・福岡県大宰府市)に向かうときに使う山道。
「これから先、基山越えの道は、楽しくないことだろう。君(大伴旅人)のいない大宰府へ通おうというのに」というロマンチックな内容の歌です。
歌碑は筑紫野市山口、九州自然歩道基山コース沿いに立っていますが、九州の藤井さんのルーツは、この歌人のような古代の渡来人にまで遡るのかもしれないのです。
藤井寺市には藤井さんの氏寺が!
さらに、河内国志紀郡からも古代豪族の葛井氏(ふじいうじ)が生まれ、葛井連広成(ふじいのむらじひろなり)が創建した大阪府藤井寺市藤井寺にある葛井寺(ふじいでら/藤井寺)は、葛井連(ふじいのむらじ)の氏寺となっています。
養老3年(719年)遣新羅使に任ぜられ、新羅(しらぎ=古代の朝鮮半島南東部にあった国家)に赴任したたという葛井広成は、元正天皇、聖武天皇、孝謙天皇に仕えています。
大阪の藤井寺の名はこの葛井広成が創建した葛井寺がその名の由来。
この葛井寺、寺によれば、「百済王族『辰孫王』の子孫・王仁(わに)氏一族の葛井給子(ふじいのきゅうし)が当時の天皇の仏教興隆政策に協力し、国家のためと称して創建されました」とのこと。
これを史実にあてはめると、王氏一族の白猪史(しらいのふひと)が元正天皇の養老5年(721年)に河内恵我長野邑(藤井寺近辺の旧名)に土地を賜り、名も「葛井連(ふじいのむらじ)」と改め、本拠地としたことがわかっています。
古代の藤井寺市には河内国の国府も置かれた地域の中心で、葛井連(ふじいのむらじ)の親族で帰化系文化人の船史(ふなのふひと)や津史(つのふひと)も周辺に居住して、古代の文化を支えていました。
ややこしいので、少し話を整理すると、第16代百済王・辰斯王(しんしおう/在位385年〜392年)の子・辰孫王(しんそんおう=学者・王仁と一緒に『論語』10巻と『千字文』1巻を携え、日本に渡って定住)を発祥とする渡来系氏族船氏の祖が王辰爾(おうじんに、王智仁)。
飛鳥時代の豪族・王辰爾には兄の味沙と弟の麻呂がおり、それぞれが葛井連、津連となるのです。
ただし、王辰爾が辰孫王の末裔というのは創作という説もあり、定かではありません。
その後、中世になって永長元年(1096年)、大和国賀留の藤井安基が寺の荒廃を歎き、伽藍の大修理に尽力したため、藤井寺と通称されるようになったのです。
地名が藤井寺なのはそのため。
葛井寺に安置される千手千眼観世音菩薩坐像は日本最古の千手観音で国宝。
毎月18日、つまりは観音様の縁日に開扉されているので、藤井さんはこの日を狙ってぜひ参詣を。
関東の藤井さんのルーツは栃木県壬生町に
百済系の藤井氏は神職にも多く、河内、大和、肥前の国に分布。
さらに、公家の藤井氏は卜部氏(うらべうじ)の支流で、卜部兼忠の子・卜部兼国が藤井氏を称しています。
現在、関東の藤井さんは下野国都賀郡藤井(現在の下都賀郡壬生町藤井)より発祥した藤原秀郷流小山(おやま)氏族の流れが多いと推測できます。
源頼朝に挙兵の頃から仕えていた小山朝政(おやまともまさ)の後裔で「藤井小四郎」と呼ばれた小山政秀が下野国那賀郡藤井郷を領して藤井氏を名乗ったのが始まり。
13世紀(鎌倉時代)に小山氏5代・小山時朝によって藤井城が築かれ、城跡は現在、円照寺(栃木県下都賀郡壬生町藤井1240-02)、栃木県道183号(下野壬生線)を挟んで南側にある藤井小学校の敷地となっています。
円照寺の北側に、土塁と空壕が残され、境内西側の墓地に沿って土塁が確認でき、堀跡は用水路に転用されています。
愛知県安城市にも藤井さんのルーツが
三河国碧海(あおみ)郡藤井郷(愛知県安城市藤井町)からは徳川家譜代大名の藤井松平氏が生まれています。
松平宗家5代・松平長親の五男・松平利長(まつだいらとしなが)が藤井郷に住み、藤井松平家の祖となっています。
松平利長は、天文9年(1540年)、織田信秀(おだのぶひで=織田信長の父)の三河・安祥城(あんじょうじょう/愛知県安城市)攻めで、安祥城防戦に成功(落城したとの説もあり定かでありません)。
永禄3年(1560年)の「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)の丸根砦攻めで討死したと伝えられています(討死に関しても諸説あります)。
その後、子の松平信一(まつだいらのぶかず=藤井松平家2代)は徳川家康に従い、養子の松平信吉が大名となって土浦藩、高崎藩の藩主に、末裔は上山藩などの藩主を務める大名となっています。
安城市藤井町、藤井公民館前の秋葉社横に藤井城址の碑が立っています。
そこから北にいった県道294号藤井北山交差点の少し北に、藤井戸跡の碑が立っていますが、実はここに清らかな藤の花を思わせる泉が湧いていたといい、それが藤井という地名の由来。
全国の藤井という地名もこの藤の井戸という由来も多いのに違いありません。
藤井さんのルーツは多彩
さらに、藤井さんのルーツは多彩で、藤原利仁流の藤井氏もいます。
この斎藤氏族の藤井氏は、能登国藤井(石川県鹿島郡中能登町藤井)より発祥し、加賀、越中へと広がっていきました。
天文年間(1532年~1555年)、正霊山(しょうれいざん=岡山県井原市芳井町吉井)城主で神辺(かんなべ)城主山名理興(やまなまさおき)の二番家老を務めた藤井皓玄(ふじいこうげん)は、藤原秀郷流とも藤原利仁流ともいわれています。
常陸国那珂郡藤井(茨城県水戸市藤井町)から発祥した清和源氏佐竹氏族の藤井氏は、戦国大名で佐竹氏第16代当主・佐竹義篤(さたけよしあつ)の子・佐竹善貫が藤井氏を称したのが始まり。
藤井さんといって誰を思い出すでしょう?
元チェッカーズのリードボーカル・藤井フミヤ(藤井郁弥)は、福岡県久留米市の出身。
お笑いタレントの藤井隆は、大阪府豊中市の生まれ。
福岡ヤフオク!ドームの15番通路に「藤井ゲート」の名を残し、31歳の若さで夭逝した福岡ダイエーホークスの投手・藤井将雄(ふじいまさお)は、佐賀県唐津市出身。
将棋の藤井聡太は、愛知県瀬戸市出身。
洋菓子の不二家は、明治末期に創業者である藤井右林衛門(ふじいりんえもん)の藤にちなんで、不二家にしているのですが、出身は愛知県で旧姓は岩田。
明治18年、愛知県の農家・岩田林七の末っ子に生まれ、4歳の頃、近所の藤井家の養子となり、10歳で名古屋の商店に奉公。
横浜に出て、元町で明治43年に不二家を創業しています。
ここに挙げる有名人はすべて西日本で、九州が多い感じですが、実際には山陽地方に多く(中国・四国地方では7位と躍進)、なかでも広島県と山口県で大姓4位(1.24%)、岡山で6位となっています。
代表家紋は藤で、下り藤、下り藤に一文字、藤に二つ引両、藤丸、藤巴など。
秀郷流は下り藤や下り藤に三つ巴、秀郷流小山氏族は左三つ巴、百済系の藤井氏は上り藤、公家の藤井氏は丸に抱き柏、松平藤井氏は桜。
ほかに、九曜、井桁、片喰(かたばみ)、五三桐など。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
藤井さんのルーツを探せ! | |
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