近藤さんのルーツを探せ!

近藤さんのルーツは藤原秀郷流の近藤氏がよく知られている。
藤原秀郷の後裔である藤原脩行(のぶゆき)が国司の下に仕える近江掾(おうみのじょう)になり、職名の近江(滋賀県)の「近」と藤原の「藤」とを結んで「近藤太」と称したのが近藤氏の始まりという。
つまり、近江の藤原さんで近藤なのである(伊勢の藤原で伊藤さんと似ている)。
(近江掾=当時の近江国、現在の滋賀県を治める役人の中で、近江守、近江介に次ぐ三番目の地位。現在でいえば滋賀県の部長クラスか)。
後、脩行の孫の近藤景親(かげちか)は近江から駿河(現・静岡県東部)に移って駿河権守(ごんのかみ=国司の長官)となり、子孫は遠江や相模に広がって栄えた。

近藤さんのルーツは静岡に

直満の代に三河国八名郡宇利庄に住した近藤氏は、近藤秀用(ひでもち)のとき遠江国井伊谷藩の藩主となり、やがて家康に仕えて旗本となる。
近藤秀用の子・近藤貞用(さだもち)は、金指および気賀両近藤家の菩提寺となる初山宝林寺(浜松市北区細江町中川65-2)を建立した。
一方、相模に移った一族は後北条氏に仕え、有名な新選組の近藤勇は後北条氏の重臣・近藤出羽守の末裔という。

近藤家の菩提寺・初山宝林寺
近藤家の菩提寺・初山宝林寺

──浜松市北区細江町気賀に、近藤氏の居館跡である近藤屋敷(気賀陣屋跡)がある。旗本の近藤家は気賀の領主で、姫街道を守る気賀関所も近藤家が治めていた。

代々、近藤家が守った気賀関所
代々、近藤家が守った気賀関所

西条市にも近藤神社が

他に藤原利仁流の近藤氏や、阿波勝浦の新居見山城主の近藤氏、土佐国の尾川城主の近藤氏、出羽国や甲斐国、信濃国、讃岐国、筑後国、肥後国の近藤氏などがいる。
また、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国を本拠とした大族の大友氏は、近藤氏の出である。
愛媛県西条市中西新開にある近藤神社は、秀吉の四国攻めの天正陣で討死にした横山城主の近藤長門守尚盛を祀っている。

近藤勇の墓がある三鷹市大沢の龍源寺の門前には、近藤勇の胸像と天然理心流の石碑が建っている。
龍源寺のすぐ近くの調布市野水に近藤勇の生家跡があり、近藤勇を祀る近藤神社には真っ赤な新選組の幟が風に揺れている。

また、京都市中京区の新撰組屯所近くにあった壬生寺境内にも近藤勇の胸像があり、千葉県流山市流山に最後の陣営を敷いた近藤勇陣屋跡が残されている。

他にも、愛知県岡崎市の法蔵寺に首塚が、処刑場に近いJR板橋駅前にも永倉新八が建立した墓所があり、会津若松市の天寧寺には土方歳三が遺体の一部を葬ったとされる墓が、米沢市の高国寺にも墓がある。近藤勇の家紋は三つ引両。
近藤さんなら一度は親戚筋かも知れない近藤勇の墓を拝むのもいいだろう。

さらに、北方領土を探検した近藤重蔵の墓はJR近江高島駅の西方の瑞雪院(ずいせついん=滋賀県高島市勝野)にある。東京都文京区の西導寺にも重蔵の墓があり、東京都北区の正受院には重蔵の甲冑姿の石像がある。
近藤重蔵が長谷川平蔵とほぼ同じ時期に、火付盗賊改方としても勤務していたことはあまり知られていない。

近藤姓は徳島(大姓2位)や愛媛(11位)をはじめとする四国に多く、愛知でも6位となっている。東北、九州はやや少ないようだ。
近藤氏の代表家紋は、鹿角(かずの)と下り藤。他に、鳳凰の丸、ニ葉松、鷹の羽、巴、六窠(ろっか)、唐人笠、稲穂丸など。
近藤氏の代表紋である鹿角紋は、近藤氏の祖神が春日神社に祀られているところからきたとか、近藤乗直(のりなお)という剛の者が、狩りに出たとき鹿を捕まえて、角を引き裂いたことから家紋にしたともいう。西条市の近藤神社の神紋も鹿角紋である。

協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)

 

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