後藤さんのルーツを探せ!

後藤さんの「後」は後裔(代々血でつながってきた血筋)という意味。「藤」は藤原氏を指し、「藤原の末裔」を表している。後藤さんは、藤原家の末裔なのだ。
そんな後藤さんにもさまざまな系統があるが、後藤又兵衛を輩出した播磨(はりま=兵庫県)の後藤氏を始め、史上著名なのは藤原利仁(ふじわらのとしひと=平安中期の武将)の末裔とされる流れであろう。藤原利仁は、坂東(関東地方)の国司を歴任し、鎮守府将軍となっている。また、同じ藤原利仁の末裔の肥前(佐賀県・長崎県)の後藤氏、美作(岡山県)の後藤氏なども知られている。遠江(静岡県西部)の後藤氏、讃岐(香川県)の後藤氏、美濃(岐阜県南部)の後藤氏、桑名(三重県東部)の後藤氏、さらに後鳥羽院の西面の武士として承久の乱で切られた後藤基清(ごとうもときよ)と基清の子でありながら父を斬首しなければならなかった後藤基綱、金座・銀座を支配した後藤氏、装剣彫金家の後藤氏など多彩な後藤氏がいる。

後藤さんの有名人といえば、歴史的には東京の復興に務めた後藤新平と、戦国武将の後藤又兵衛(TOPの画像)だろう。
最近でいえばゴクミの愛称で知られる女優の後藤久美子は東京都出身。ゴマキこと後藤真希も東京だ。お笑い芸人(ジャルジャル)の後藤淳平は大阪府吹田市。フットボールアワーの後藤輝基は大阪市東淀川区出身。最近の有名人は東京と大阪に二分された。

201507260202
後藤新平

満鉄初代総裁、ボーイスカウト日本連盟初代総長、東京市第7代市長の後藤新平は、陸奥国胆沢郡鹽竈村(現・岩手県奥州市水沢区)の出身。
大正12年(1923)関東大震災が起こると、後藤新平は帝都復興院総裁として東京の復興にあたり、世界で初めて区画整理を基本とする都市計画を推進。東京から放射状に伸びる道路と環状道路からなる道路建設は、予算難のため縮小されながらも実行される。当初の案では道路の幅員は70m~90m、道路に緑地帯を持たせるという世界の都市計画史に残る快挙ともいえるものであった。ついでながら、後藤新平の故郷である奥州市に「奥州市立後藤新平記念館」がある。

兵庫、大分の後藤さんなら後藤又兵衛に注目

後藤又兵衛(後藤基次)もまた後藤姓の中の有名人物だ。黒田如水、豊臣秀頼に仕え、「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。出生は定かでないが、播磨国姫路近郊の神東郡山田村(現在の姫路市山田町)が有力。後藤又兵衛は、文禄元年(1592)から始まる朝鮮出兵や、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いなどに従軍。朝鮮出兵の第二次晋州城攻防戦では亀甲車で城壁を突き崩し、関ヶ原の戦いでは石田三成家臣の大橋掃部を一騎討ちで破るなどの武功を挙げるが、豊臣方についた大坂夏の陣で華々しく討死。
後藤又兵衛の遺跡としては、大阪府柏原市の玉手山公園(後藤又兵衛基次之碑)が筆頭。大坂夏の陣の際に後藤又兵衛が陣を構えた玉手山。公園内に戦死者の供養塔、後藤又兵衛碑や後藤又兵衛しだれ桜がある。薬師寺(奈良県宇陀市大宇陀区岩清水)境内には「法泉院量嶽安寿居士」と記された墓がある。ただしこちらは「紀州を廻って知人を頼り大和宇陀の当地へ来て、本郷の鉱泉で傷を癒し、豊臣家の再興を待った」という伝承にすぎない。
このほか愛媛県伊予市の長泉寺、鳥取県鳥取市の景福寺などもゆかりの地。後藤又兵衛の墓は大分県中津市(旧耶馬溪町)にもあるがこちらも後世の作か。墓には「義刃智光居士」と名が刻まれており、大坂夏の陣では死なずに放浪の旅で西下し、耶馬溪に落ち着いたという伝承だ。

兵庫の春日山城もルーツのひとつ

後藤氏関連の遺跡としては、最後の播磨国・春日山城主である後藤基信は、秀吉の中国征伐という時代の怒涛の中に消えていったが、兵庫県神崎郡福崎町に播磨後藤氏の居城であった春日山城跡が残っている。城跡廻りの散策コースには、城主後藤氏に厚く祀られていた余田大歳(おおとし)神社や後藤氏が建立した嶺雲寺も含まれている。
八千種富士と呼ばれる飯盛山山頂を主郭としたのが春日山城で、後藤基明が初代城主。

九州なら武雄神社が後藤さんのパワースポット

武雄神社の大楠
武雄神社の大楠

JR姫新線林野駅を下車して、東南方向に「天」の字をかたどった三星山が見えるが、それが、滅亡するまでの200年間守り続けてきた美作の後藤氏の居城三星(みつぼし)城跡である。さらに、佐賀県武雄市の武雄神社は、肥前後藤氏の祖が当地に地頭として下向したとき、京都の祇園社の分霊を携えてきたのが始まりという。武雄神社は、後藤家2代の後藤資茂が12世紀初頭に塚崎御船山城を築き、以来、武雄神社を尊崇したと伝えられる。武雄神社の御神木にもなっている大楠は、樹齢3000年以上で全国第6位の巨木。

さらに、美濃の後藤氏の加賀野城跡(大垣市)にはぽつねんと石碑が立ち、東近江市には六角氏の重臣であった後藤氏館跡がある。静岡市葵区金座町のかつての金座跡でもある後藤屋敷跡に日本銀行静岡支店が建っているのが面白い。

後藤姓は、大分で大姓2位、岐阜8位、山形9位となっている。

代表紋は琴柱(ことじ)、轡(くつわ)。他に、下り藤、上り藤、丸に違い鷹の羽、開扇、枝柏、三つ柏、横木瓜、あわび、五三桐など。後藤新平は下がり散藤(ばらふじ)。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

ABOUTこの記事をかいた人。

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ