森田さんのルーツを探せ!

大姓58位の森田さんは、全国で26万5000人ほどの暮らしていて、シェアは0.21%ほど。字句どおりに「森の近くにある田圃(たんぼ)」という地形姓。大姓第23位の森さんを筆頭に、森下、森山、小森、森岡さんなども森に由来するお仲間ですが2文字の森さん仲間では、森田さんがダントツに多い名前です。

森田さんのルーツの筆頭は那須の森田城

栃木県那須烏山市森田にある森田城は、文治3年(1187年)、那須光隆(なすてるたか=森田光隆)が築いた山城で、那賀川の支流荒川右岸の崖を利用した自然の要害で、難攻不落の竜崖城(りゅうがいじょう)ともいわれていました。
森田陣屋を構えた大田原氏の菩提寺・芳朝寺(ほうちょうじ)から東側の城跡へと遊歩道が延び、頂上には、今でも空堀や土塁の跡が残存。
晴れた日には那須連山が遠望できる景勝地にもなっています。

那須郡下庄森田(現・那須烏山市森田)を発祥とするこの那須氏族の森田氏は、那須資隆(なすすけたか)の長男である那須光隆がその地名から森田氏を称したので、森田さんのルーツということに。
まさに森の近くにある田という場所から森田さんが生まれたことに。

森田光隆は、弓の名手として知られている那須与一の長兄で、与一は那須資隆の11番目の子供でしたが、兄たちがほとんど平家側についたのに対し源氏側の与一が那須家家督を継いだのです。
一方、長男のなす光隆は森田家を起こしているのです。

那須氏ながら森田氏を称した森田光隆だが、弟・那須泰隆の子を養子にして後を継がせたものの、継嗣が無く2代で断絶。
その後、烏山城主・那須高資(なすたかすけ)の弟・那須資胤(なすすけたね)が森田に分地され、森田弾正左衛門と称して森田氏を再興しています。

その森田城は天正18年(1590年)、廃城となっていますが、以後、森田氏は、下野から常陸、磐城、出羽にかけて広がり、各藩に仕えています。

時代は下って、下野国・壬生城(現・栃木県下都賀郡壬生町)の城主・森田嘉助(もりたかすけ)は、鳥居家の武家指南役をつとめ、壬生藩において最強といわれた武士せしたが、鳥羽・伏見の戦いで戦死しています。

地形姓のため、全国に散らばる森田さん

森田銀行
越前三国にある旧森田銀行

北前船で栄えた越前三国(現・福井県坂井市)にあった森田銀行は、北前船の廻船業者・森田家当主の森田三郎右衛門(もりたさぶろうえもん)が明治27年に創業。

越前三国には大正9年に竣工した旧森田銀行本店が現存し、福井県県内最古の鉄筋コンクリート造りの銀行建築は、国の登録有形文化財になっています。
『森田正治家文書』によれば、その森田家の先祖は加賀より三国湊に来住、織田信長の配下として、朝倉軍と戦っているのだとか(織田信長からの朱印状が現存)。
系図によると、その祖は橘氏の出とのこと。

森田さんは奈良県(大姓16位)と鳥取県(23位)、高知県(24位)に多いのが特長。
青森県では盛田姓も多く、山口県や福岡県には守田姓もかなり見かけます。
筑前国(福岡県)には盛田庄 があり、そこから盛田さんが生まれたのだと推測できます。
ソニーの創業者・盛田昭夫の実家は、愛知県常滑市小鈴谷(こすがや)の酒蔵「盛田」です。

森田さんの家紋は、丸に下り藤などの藤紋や、立ち沢瀉(たちおもだか)、割り菱、茗荷(みょうが)、鷹の羽、揚羽町、丸に片喰(まるにかたばみ)、一の字、那須扇、巴、三つ柏、丸に四目結など。
福岡県福岡市南区出身のタモリ(森田一義)の家紋は、丸に五本骨扇とのこと。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

森田さんのルーツを探せ!
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