現在の日高市は、古代、帰化人が先進の文明を伝えた土地。日高市が高麗の里(こまのさと)とも呼ばれているのは、716(麗亀2)年5月16日に高麗郡(こまのこおり)を置いたことに由来しています。その歴史を今に伝える神社が巾着田近くに鎮座する高麗神社(こまじんじゃ)です。神社では5月16日に『高麗郡建郡記念神恩感謝祭』を斎行。
帰化人が拓いた高麗郡の歴史を今に伝える古社
古代朝鮮にあった高句麗(こうくり、ハングル:고구려/コグリョ/紀元前37年〜668年)は、668(天智天皇7)年、唐と新羅の連合軍に破れ滅亡。
北に逃れた高句麗人は後に渤海を建国していますが、南に逃れた王族などは倭国(日本)に亡命したのです。
『続日本紀』には、716(麗亀2)年、甲斐、駿河、相模、上総、下総、常陸、下野7国に住む高句麗人1799人を武蔵国に移して高麗郡(こまのこおり)を設置したと記されています。
つまりは先進文化をもつ帰化人を高麗郡に集め、古代版の「学園都市」を築いたわけです。
そんな高麗郡を統治したのが、朝廷から高麗王(こまのこにきし)の姓(かばね)を受けた高麗若光(こまのじゃっこう)だと推測されますが、詳しいことはわかっていません。
高麗神社は、高麗人の首長、高麗若光が没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀ったもので、代々、若光の子孫が宮司を務め、現宮司は60代目を数えるという古社。
浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らは高麗神社に参拝後に総理大臣になったことから「出世明神」としても有名です。
授与品にも「出世開運御守」があるのでお見逃しなく。
入口に立つ「天下大将軍」「地下女将軍」と記されたチャングンピョ(将軍標=チャンスン)は、平成4年に大韓民国民団埼玉県地方本部が奉納したもの。
境内隣接地に建つ神職を代々務めてきた高麗家住宅は、慶長年間(1596年〜1615年)の建築と推測され、国の重要文化財に指定されています。
日高市新堀に建つ聖天院勝楽寺は、高麗若光の三男とされる高麗聖雲(こまのしょううん)が建立したという高麗氏の菩提寺です。
大磯町高麗にも高来神社(たかくじんじゃ)がありますが、こちらも高句麗からの渡来人に由来すると推測できます。
また群馬県高崎市にあった多胡郡も古代に新羅からの帰化人が拓いた地。
馬を牧(まき)に放牧するなど、先進の文化を古代日本に伝えたのです。
高麗神社 | |
名称 | 高麗神社/こまじんじゃ |
所在地 | 埼玉県日高市新堀833 |
関連HP | 高麗神社公式ホームページ |
電車・バスで | JR高麗川駅から徒歩20分 |
ドライブで | 圏央道狭山日高ICから約7.5km |
駐車場 | 150台/無料 |
問い合わせ | 高麗神社社務所 TEL:042-989-1403/FAX:042-985-2794 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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