『日本書紀』によれば、神功皇后が新羅出兵の際に、神託もあって戦争に勝利したと記されるのが底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の住吉三神。全国に600社ある住吉神を祀る神社の総本宮が大阪の住吉大社で、下関と博多の住吉神社をあわせて日本三大住吉です。
三大住吉の各社は、実は大陸との交易ルート途中にある!
住吉大神は伊邪那岐命が阿波岐原(あわきはら)で禊祓 (みそぎはらえ)を行なった際、海中より出現したため、海の神としての信仰されてきました。
そして神道でもっとも大事な「祓」(はらえ)を司る神でもあるのです。
また、底筒男命、中筒男命、表筒男命は、それぞれ河川の表面・中程・底部の守護神とされています。
現在では住吉ですが、『古事記』に「墨江」、『摂津の国の風土記』逸文に「須美乃叡」、『万葉集』には「清江」と記され、「清江」は清き江(入江=湊)ということなので、湊に適した水の澄んだ河口という立地を現しているのだと推測できます。
大阪、下関、博多という日本三大住吉神社を結ぶルートは、まさしく、古代の大陸との交易ルート。
朝鮮半島などとの交易に密接に関わった神々だということがよくわかります。
総本宮の住吉大社が大阪湾に向いて鎮座しているのも、そんな理由、歴史的な背景があったのです。
古代には遣唐使船にも祀られる航海安全の神様でもあり(住吉大社には江戸時代、廻船問屋から600基以上の石燈籠が奉納されています)、平安時代からは和歌の神として、さらに近世以降には庶民の信仰もあつめています。
福岡市博多区住吉に鎮座する住吉神社は、住吉神社のルーツ(「日本第一の住吉宮」)としていますが、これも大陸への玄関口だったからこそ。
三社すべてが式内社(名神大社)で、一之宮というのも、真のパワースポットたるゆえんです。
住吉大社|大阪府
住吉造りの本殿は国宝
所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
延喜式神名帳の記載:記載のある式内社(名神大社)
一之宮:摂津国一之宮
内容:全国2300の住吉社の総本社
鎌倉時代以降は武家にも尊崇され、寛正2年(1461年)、足利義政参詣、天正17年(1589年)、豊臣秀吉が大政所の延命治病を祈願など歴代天皇や武将の参詣祈願も数多く、元和9年(1623年)には、2代将軍・徳川秀忠が参詣
文化財:江戸時代後期の文化7年(1810年)再建の本殿(第一本宮〜第四本宮)は直線的な造りが美しい住吉造りで、すべてが国宝
慶長12年(1607年)、豊臣秀頼が寄進した石舞台、東楽所、西楽所、南門は、国の重要文化財
長門一宮住吉神社|山口県
九間社流造(きゅうけんしゃながれづくり)の本殿は国宝
鎮座地:山口県下関市一の宮住吉一丁目11-1
延喜式神名帳記載:記載のある式内社(名神大社)
一之宮:長門国一之宮
内容:海上守護の神として源頼朝、大内氏、毛利氏らにも尊崇された社で、大阪の住吉大社が住吉三神の和魂を祀るのに対し、当社は荒魂を祀るとも
宝物館には多数の宝物を展示
文化財:応安3年(1370年)、周防・長門・石見守護の大内弘世(おおうちひろよ)が建立した本殿は国宝
天文8年(1539年)、毛利元就(もうりもとなり)が寄進した拝殿は、国の重要文化財
住吉神社|福岡県
全国住吉神社の始源ともいわれる古社
所在地:福岡県福岡市博多区住吉3-1-51
延喜式神名帳記載:記載のある式内社(名神大社)
一之宮:筑前国一之宮
内容:『続日本紀』の天平9年(737年)に記録が残り、奈良時代から朝廷に崇敬された由緒ある古社
大宰府(だざいふ)衰退後の平安時代には、住吉神社などが日宋貿易(私貿易)に携わったとも
文化財:住吉造りの本殿は、福岡藩初代藩主・黒田長政が元和9年(1623年)に再建したもので、国の重要文化財
日本三大住吉とは!? | |
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