静岡県牧之原市菅ケ谷にある太平洋側唯一の油田という、相良油田(さがらゆでん)の掘削した井戸の跡が相良油田油井(さがらゆでんゆせい)。明治5年、海老江村(えびえむら=現在の牧之原市大江地区)で石油の露頭が発見されたのがことの起こりで、翌年、菅ヶ谷地区で採掘が始まったもの。
太平洋側唯一の油田の遺構が牧之原市に!
相良油田は、明治5年2月に藩政時代には幕臣だった村上正局(むらかみまさちか)が海老江村で原油の露出を発見したことが始まり。
駿府学問所(廃藩置県後は静岡学問所)に勝海舟が招いた新進気鋭のアメリカ人教師・宣教師エドワード・ワーレン・クラークが3月に石油と判定しています。
7月にはのちに「日本の石油王」と呼ばれた石坂周造(いしざかしゅうぞう)が太平洋側における石油採掘の重要性に着目し、東京石油会社の相良支社を設置。
明治6年2月、石坂周造は菅ケ谷(すげがや)新田、時ヶ谷、大知ヶ谷に鉱区を取得し、手堀り掘削を開始しています。
明治6年10月には日本で初めてアメリカから輸入した蒸気機関綱堀り機による機械掘りを開始。
明治11年9月 大蔵卿・大隈重信が相良油田を視察・激励し、明治12年以降は「幕末三舟」の勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟(山岡鉄舟の義兄)らが度々相良を訪れ、明治17年には最盛期を迎えています。
その後、相良油田会社が結成され、明治37年 には日本石油も採掘に参入。
相良の一大産業となった石油ですが、徐々に産出量が減り、昭和30年に石油事業は幕が降ろされています。
日本で最初に「機械堀り」が行なわれた石油井戸も相良油田。
最盛期にはドラム缶で年間約3600本分が産出されましたが、原油とは思えないほど良質だったとか。
現在残されている櫓は、昭和25年開坑のもので、相良油田で最後の石油坑。
小型ロータリー式の機械で掘削され開坑した機械堀井で、310mの深さから原油を汲み上げていました。
相良油田油井のすぐ横が茶畑で、近くには油田の里公園も整備され、相良油田資料館が建っています。
経済産業省の近代化産業遺産にも認定
相良油田石油坑、相良油田資料館の所蔵物は、経済産業省の近代化産業遺産「新潟など関東甲信越地域で始まった我が国近代石油産業の歩みを物語る近代化産業遺産群」に相良油田関連遺産として認定されています。
日本の油田は、相良油田以外で近代化産業遺産になっているのは、すべて日本海側で、豊川油田(秋田県潟上市)、院内油田(秋田県にかほ市)、金津油田(新潟県新潟市秋葉区)、尼瀬油田(新潟県三島郡出雲崎町)などです。
日本の石油生産量は大正期にピークを迎え、当時の石油需要の半分以上を賄うほどになったのです。
大正時代は主にランプ用としての需要でしたが、電灯の普及に伴いその需要が減少し、それに変わって内燃機関の発達で燃料としての需要が高まり、「石油の一滴は血の一滴」と呼ばれるほど重要な国家戦略物資となったのです。
相良油田油井 | |
名称 | 相良油田油井/さがらゆでんゆせい |
所在地 | 静岡県牧之原市菅ヶ谷2861-1 |
関連HP | 牧之原市公式ホームページ |
電車・バスで | JR藤枝駅から静鉄バス相良営業所行きで58分、終点下車、タクシーで5分 |
ドライブで | 東名高速道路相良牧之原ICから約9km |
駐車場 | 油田の里公園駐車場(50台/無料) |
問い合わせ | 牧之原市商工観光課 TEL:0548-53-2623/FAX:0548-52-3772 |
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