関西本線・坊谷隧道
三重県亀山市、関西本線の峠越えとなる関駅~加太駅(かぶとえき)~柘植駅(つげえき)間には、加太越え鉄道遺産群と称される金場、坊谷、加太という3つのレンガ造りの隧道(トンネル)が現存しています。そのうち加太駅にもっとも近い…
三重県亀山市、関西本線の峠越えとなる関駅~加太駅(かぶとえき)~柘植駅(つげえき)間には、加太越え鉄道遺産群と称される金場、坊谷、加太という3つのレンガ造りの隧道(トンネル)が現存しています。そのうち加太駅にもっとも近い…
三重県亀山市、亀山藩の藩庁があった亀山城内、亀山神社境内に建つのが、亀山演武場。幕末に山崎利右衛門(雪柳軒)が武術の錬成場で、明治15年、亀山演武場は、野村(現・南野町)から旧二の丸に移築、さらに明治40年、亀山神社境内…
三重県亀山市、亀山城西出丸跡に建つ亀山神社の入口に建っているのが、大久保神官邸宅門。亀山城(亀山古城)の鎮守社として鎌倉時代に創建した南崎権現社の神官・大久保但馬守邸の門。亀山西小学校裏門として利用されていましたが昭和3…
三重県亀山市、亀山城の西出丸跡に建つ神社が、亀山神社。祭神は亀山藩の旧藩主、石川氏の祖とされる源義家、源義時、元弘の役に奮戦して笠置山に散った石川義純(いしかわよしずみ)。江戸時代に城内に祀られた真澂神社(ますみじんじゃ…
三重県亀山市野村町にある東海道の一里塚が、野村一里塚。三重県内にあった12の一里塚のなかで唯一現存する一里塚で、国の史跡。江戸・日本橋から106里12町、京三条大橋から17里32町で、105里目の一里塚として築かれていま…
三重県亀山市、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された旧東海道関宿(全長1.8kmの大宿)の中心、中町地区にある資料館が、関まちなみ資料館。江戸時代末期に建てられた関宿を代表する町屋建築(旧別所家)を資料館として再生し…
三重県亀山市、亀山城本丸跡の亀山公園の北に建つミュージアムが、亀山市歴史博物館。古文書、生活用具、発掘品などのむかしの「モノ」に注目することによって、そこに秘められた亀山の歴史や地域性を探り出そうとする試みを続けている歴…
東海道五十三次の江戸・日本橋から数えて47番目の宿場が関宿。鈴鹿峠の東の麓に位置し、西の追分で大和街道が、東の追分で伊勢街道が分かれた重要な宿場が関宿。宿場は東の追分から西の追分まで1.8kmに渡る長大なもので、25.0…
三重県亀屋市、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定される東海道関宿。街道時代の旅籠「会津屋」が往時の建物を活かして「お食事処会津屋」として営業しています。レトロな建物の中で手作りおこわと、街道そばが味わうことができます…
東海道五十三次、江戸・日本橋から47番目の宿場が関宿(三重県亀山市)。関宿の家並みのなかに設けられた園地が百六里庭で、江戸から106里の地というのが名の由来となっています。旧東海道に面した眺関亭(ちょうかんてい)からは、…
旧東海道・関宿(三重県亀山市)にある街道時代に亀山藩が管理した高札場跡。キリシタン禁令などの法規的な内容から隣接宿場までの人馬駄賃の規定、生活に関わる様々な張り出しが行なわれた場所です。明治10年に撤去されましたが、江戸…
国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された三重県亀山市の東海道・関宿(せきじゅく)の中心、中町にある資料館が関宿旅籠玉屋歴史資料館。街道時代には、「関で泊まるなら鶴屋か玉屋、まだも泊まるなら会津屋か」と謳われた関宿を代表…
三重県亀山市、東海道の関宿にある真言宗御室派の寺が関地蔵院。天平13年(741年)、国中に流行した天然痘から人々を救済するため行基によって創建されたという古刹で、本尊の地蔵菩薩坐像は日本最古の地蔵菩薩といわれています。正…
三重県の伊勢には「鈴鹿アルプス」といわれる急峻な鈴鹿山脈が滋賀県境との間に連なっています。有名な伊勢茶はその山麓で作られていますが、東海道・鈴鹿峠に近い鈴鹿山脈南部の亀山市には美しい棚田があります。その代表格の坂本の棚田…
三重県亀山市、かつての亀山城の城下町に現存するのが加藤家長屋門。加藤家は江戸時代後期の亀山城主石川家の家老職を務めた家。屋敷は亀山城西の丸に位置しています。現存する長屋門は、屋敷の表門で、内部には男部屋、若党部屋など4部…
伊勢国鈴鹿郡亀山(現在の三重県亀山市本丸町)にあった伊勢亀山藩の居城、亀山城。現存する往時の遺構が亀山城多門櫓です。松江藩主・堀尾忠晴の勘違いから天守を寛永9年(1632年)に解体されてしまったため、小藩ということもあっ…
奈良時代に編纂された歴史書の『日本書紀』、『古事記』には日本武尊(やまとたけるのみこと)は東国遠征の帰路、伊吹山(岐阜県)で病となり、大和国(現:奈良県)へ向かう途中、能褒野(のぼの)で亡くなり、陵墓が築かれたとあります…
三重県亀山市にある能褒野古墳群(16基の円墳と能褒野王塚古墳)を構成する古墳のひとつが能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)。宮内庁により「能褒野墓(のぼののはか)」として第12代景行天皇皇子の日本武尊の墓に治定される古…