皇居東御苑

江戸城の本丸と二の丸、三の丸跡を整備し、昭和43年から一般に公開したのが皇居東御苑。「皇居附属庭園」というのが元来のスタイルで、今も宮内庁の管理です。

松之大廊下での殺傷事件の事件現場も!

見どころは何ヶ所かあり、江戸城正門の大手門脇にある江戸城最大の検問所、百人番所もそのひとつ。守衛にあたっていた同心一組の人数が100人であったので、この名が付いたといわれています。
本来、江戸城の各門には番所が配されていましたが、現存する番所は復元を含めて、同心番所(移築)、百人番所、大番所の3ヶ所にすぎません。

本丸には広大な芝生が広がっていますが、そこが実は御殿や大奥の跡。
『忠臣蔵』で知られる浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が吉良上野介(きらこうずけのすけ)を切りつけた松之大廊下も、それを記した案内板が立っているのみですが、江戸時代の大事件の事件現場だと思うと、感慨深いものがあります。

そんな芝生の奥にはひときわ高い石垣が組まれた場所がありますが、それが天守の建っていた天守台の跡。
江戸城には、徳川幕府の権威を示す意向もあって、日本一大きく、優美な天守が聳えていましたが、火事で焼け落ちてしまい、天守不要の近世へと移行していたため、再建されることはありませんでした。

江戸城本丸への出入りを厳しくチェックした百人番所

復元された二の丸庭園は大名庭園のひとつ

江戸城に天守があったのは、江戸時代初期のわずかな期間で、今も謎が多く残されています。

そんな天守台近くにある香淳皇后の還暦記念として昭和41年に建てられた音楽ホール「桃華楽堂」も、花弁の形の屋根と壁画の描かれた八角形の壁をもつ特徴ある建物です。

天守の代わりをした櫓の富士見櫓も現存していますが、今では江戸城から富士山を眺めることはできません。

3代将軍・徳川家光の時代につくられた池泉回遊式庭園の大名庭園である二の丸庭園も見事ですが、残念ながら復元された庭園です。

また代々皇室に受け継がれてきた美術品など約9500点を収蔵展示する「三の丸尚蔵館」では、企画展も実施されているのでお見逃しなく。

江戸城二の丸庭園
皇居東御苑園内図
皇居東御苑
名称 皇居東御苑/こうきょひがしぎょえん
所在地 東京都千代田区千代田1-1
関連HP 宮内庁公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ大手町駅から徒歩5分で大手門。東京メトロ竹橋駅から徒歩5分で平川門、北桔橋門
駐車場 なし/北の丸公園第一駐車場(144台・有料)など周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 宮内庁 TEL:03-3213-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

平川門

太田道灌が江戸城を築いた15世紀には、江戸湾に面した現在の平川門周辺には、上平川村、下平川村という村があったのが平川門の名の由来です。太田道灌の時代から門が築かれていたと推測され、3代将軍・徳川家光の治世である1635年(寛永12)年、高麗

桔梗門

江戸城桔梗濠に面した門が桔梗門(ききょうもん)で、「桜田門外の変」で井伊直弼(いいなおすけ)が暗殺された外桜田門に対して、内桜田門とも呼ばれています。この門を入ると江戸城三の丸で、大名などの登城は、大手門と内桜田門(桔梗門)と定められていま

西桔橋・西桔橋門跡

江戸城の西ノ丸吹上庭園から本丸の天守、大奥に通じる要所の門。往時には門ととも通常は跳ね上げていた橋がありましたが、今では固定の小さな橋に変わっています。しかも「皇居乾通り一般公開」の時以外には立ち入ることができません。「皇居乾通り一般公開」

北桔橋門

江戸城本丸の大奥、天守部分から外部に直接通じる門が北桔橋門(きたはねばしもん)。門の横の内濠(平川濠・三日月濠)は防御力を高めるためにほかよりも深く、石垣は最も堅固になっています。現在では大手門、平川門と同様に、宮内庁が管理する皇居東御苑(

桃華楽堂(皇居東御苑)

昭和41年2月に音楽好きの香淳皇后(こうじゅんこうごう=昭和天皇の皇后)の還暦記念として建設された200名収容の音楽ホール。キンポウゲ科の「テッセン」の花弁(八弁花)を形どつた屋根と八面体という珍しいフォルムで、江戸城本丸跡、天守台の横に建

諏訪の茶屋(皇居東御苑)

皇居東御苑内、二の丸庭園にある風雅な茶室。火災などで焼失後、11代将軍・徳川家斉(とくがわいえなり)の時に創建されています。かつては吹上御苑(西の丸西側、現在の御所などのある一帯)にありましたが、昭和43年、皇居東御苑の整備の際に移築されま

展望台(皇居東御苑)

江戸城本丸跡の西側、本丸休憩所の裏手から登った先、白鳥濠の脇に展望台があります。江戸城は本丸と白鳥濠を隔てた二の丸は標高差が10mほどあります。その標高差を活かして、かつての日比谷入江の海岸段丘のヘリに位置するのが展望台というわけなのです。

宮内庁三の丸尚蔵館(皇居東御苑)

皇居東御苑内、大手門近くにあるミュージアム。天皇家から寄贈された絵画・書・工芸品などの美術品類に加え、故秩父宮妃のご遺贈品、香淳皇后のご遺品、故高松宮妃のご遺贈品、三笠宮家のご寄贈品など1万点近くを収蔵。明治以降に日本各地から皇室に献上され

白鳥濠(皇居東御苑)

江戸城の二の丸と本丸の間を東西に隔てる濠(ほり)が白鳥濠(はくちょうぼり)。南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。濠の北側は汐見坂で、築城初期にはこの坂から日比谷入江を眺めました。白鳥濠は、完全に独立した濠で、濠に湛える水は湧き水

汐見坂(皇居東御苑)

江戸城の本丸と二の丸をつなぐ坂道。江戸城築城の際には、江戸湾の日比谷入江が目の前まで迫り、坂の途中から海が見えたのが名の由来です。往時には坂の上には、汐見坂門がありました。また坂の横には白鳥濠があって、防御が堅いのがよくわかります。江戸時代

梅林坂(皇居東御苑)

皇居東御苑の梅の名所といわれるのが梅林坂。梅の開花期である2月上旬頃には石垣と梅の花という絶景スポットになっています。もともと、太田道灌(おおたどうかん)が江戸平河城を築城した際に、領地である川越の三芳野神社(みよしのじんじゃ)から祭神であ

富士見多聞(皇居東御苑)

多聞(たもん)とは城郭の石垣上に建てられた長屋のこと。通常の城壁より防御機能を高めたもので、富士見多聞は江戸城本丸に配された多聞。文字通り富士を眺めました(現在は眺望できません)。江戸城本丸には多聞が随所に築かれていましたが、現存するのは富

石室(皇居東御苑)

現在は皇居東御苑の一部となった江戸城の本丸。その本丸跡の蓮池濠沿いにあるのが石室。文字通り、石で組んだ室(むろ=部屋)で、内部は20平方メートルほどの広さとなっています。石は伊豆半島から船で運んだ安山岩(伊豆石)の切石で、隙間もないほどキッ

二の丸庭園(皇居東御苑)

江戸城二の丸は本丸の東側に位置し、3代将軍家光の命で1630(寛永7)年に小堀遠州の手により遊行のための庭園を造成。家光と秀忠との茶会が催されています。2代将軍・徳川秀忠が死去した後の1636(寛永13)年には二の丸御殿が建てられ東側に庭園

江戸城 桜田巽櫓

皇居参観へは桔梗門(内桜田門)の前にある広場に集合しますが、目の前の桔梗濠(ききょうぼり)の向かいにそびえる二重櫓(にじゅうやぐら)が桜田巽櫓(さうらだたつみやぐら)。江戸城本丸の東南(辰巳=巽)の方向にあることが名の由来です。富士見櫓、伏

江戸城 中之門跡(皇居東御苑)

江戸城の大手側(正面玄関側)の登城ルートをたどると、大手門を過ぎ、大手三の門を抜けると左手に百人番所、右手に中之門跡があります。中之門は、本丸の玄関となる中雀門と一体となって一つの大きな虎口(こぐち=曲折して出入りする狭い通路)を作り、百人

江戸城 中雀門(皇居東御苑)

江戸城の大手口の登城ルートで、本丸に至る最後の門が中雀門(ちゅうじゃくもん)。逆にいえば、ここが本丸・表御殿の玄関門となります。大手三の門、中之門を駕籠(かご)に乗ったまま通過を許された徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩)も、この門では駕籠

江戸城大手門(皇居東御苑)

1606(慶長11)年に江戸城の縄張りされ、翌年完成した江戸城の玄関。1620(元和6)年の江戸城修復に際し、伊達正宗(だてまさむね)らの力により現在のような桝形形式(ますがた=橋を渡ってから道は鍵型に屈曲する)の城門となった江戸城の正門。

江戸城 大手三の門跡(皇居東御苑)

江戸城登城の正面玄関である大手門を入ると江戸城三の丸。三の丸から濠(ほり)に架かった下乗橋を渡ると二の丸入口に大手三の門がありました。下乗橋の手前は広々とした空間で同心番所があり、大名のお供の者の監視をしていました。現在、大手三の門の石垣だ

江戸城本丸 松之大廊下跡(皇居東御苑)

江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこう

江戸城同心番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。同心番所は門の外から内

江戸城百人番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)から入苑できます。度重なる火災で江戸城内の建物はほとんど焼失してしまいましたが、富士見櫓、同心番所、百人番所は現存。百人番所は、本丸と二の

江戸城大番所(皇居東御苑)

江戸城本丸、二の丸、三の丸跡に整備された庭園が皇居東御苑。大手門、平川門、北桔橋(きたはねばし)門から入苑できます。大手三の門を入った中之門には江戸城の中でも最大級の巨石が使用されていますがその脇に位置するのが大番所。番所とは警備の詰所で江

江戸城天守台(皇居東御苑)

江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いたとされています。現在

 

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