赤間神宮・芳一堂

赤間ヶ関阿弥陀寺(今の赤間神宮)に住む盲目の琵琶法師・芳一の演奏する壇之浦の下りに平家の亡霊がその調べに聞きいるという「耳なし芳一の話」。昭和32年に建立された赤間神宮境内の芳一堂。その名の通り、山口県防府市出身の彫刻家、押田政夫氏の芳一像が祀られています。

小泉八雲の「耳なし芳一の話」の芳一を祀る

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)がロンドンとボストンで出版した『Kwaidan(怪談)』の巻頭を飾るのが「耳なし芳一の話」(THE STORY OF MIMI-NASHI-HOICHI)ですが、その種本となったのは小泉八雲の蔵書(富山大学附属図書館蔵ヘルン文庫)でもある1782(天明2)年刊行の一夕散人著『臥遊奇談』巻2「琵琶秘曲泣幽霊」(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)。

『臥遊奇談』にも琵琶師の名は芳一であり、背景舞台は長州の赤間関、阿弥陀寺(江戸時代に赤間神宮の名称)と記されています。

毎年7月15日には、『耳なし芳一まつり』(『耳なし芳一琵琶供養祭』)が斎行されています。
会場となるのは芳一堂と七盛塚。

七盛塚は、芳一が平家の武将の前(実は怨霊の前)と錯覚した場所。
実際の七盛塚は、関ヶ原合戦(1600年)の頃、関門海峡で頻発する海難事故から「平家の怨霊が騒ぎ出した」と世間が騒ぎ、周囲の墓標を集めて建立されているので、残念ながら「耳なし芳一の話」も江戸時代に生まれた説話ということになるのかもしれません。

7月15日の『耳なし芳一まつり』(『耳なし芳一琵琶供養祭』)
赤間神宮・芳一堂
名称赤間神宮・芳一堂/あかまじんぐう・ほういちどう
所在地山口県下関市阿弥陀寺町4-1
関連HP下関市公式ホームページ
電車・バスでJR下関駅からサンデン交通バス山陽方面行きで10分、赤間神宮前下車
ドライブで中国自動車道下関ICから約3.6km
駐車場20台/無料
問い合わせ赤間神宮 TEL:083-231-4138
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
赤間神宮『耳なし芳一まつり』

赤間神宮『耳なし芳一まつり』|下関市

毎年7月15日18:00~、山口県下関市の赤間神宮で『耳なし芳一まつり』(『耳なし芳一琵琶供養祭』)が行なわれます。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)著『怪談』のなかで紹介されている有名な平家伝説の『耳なし芳一』を弔う祭礼。芳一堂、七盛塚で墓

安徳天皇阿弥陀寺陵

源平の最終決戦となった壇之浦の合戦で平家一門が敗れ、二位尼(にいのあま)に抱かれ、数え年8歳だった安徳天皇(平清盛の孫)は入水して命を絶ちます。赤間神宮の水天門は、入水した安徳帝を慰めるために竜宮城に見立てて建てられており、隣接して安徳天皇

赤間神宮・七盛塚

赤間神宮にある平教盛、平知盛、平経盛、平教経、平資盛、平清経、平有盛、平盛継、平時子(従二位尼)など平家一門を祀る七盛塚。彦島にある平清盛と合わせて盛の付く武将が7人いるのが七盛塚という名の由来とか。平家一門の供養塔を江戸時代に集めた塚関ヶ

赤間神宮

関門海峡を見下ろす高台に建つ赤間神宮。1185(文治元)年の壇之浦の戦で敗れて入水した安徳天皇を祀る神社です。もとは阿弥陀寺という寺で、1191(建久2)年、勅命で安徳天皇の御陵に御影堂が建立されたため、安徳天皇御影堂と呼ばれました。明治の

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ