大姓21位の山崎さんは全国に49万人ほど(シェア0.39%)。ヤマサキと読んでもヤマザキと濁っても、山崎さんであるなら多分ルーツは同じ。東日本では「ヤマザキ」ですが、西日本では「ヤマサキ」と濁らないで呼ぶことが多いのが山崎さんの特徴で、山の先端、崎の部分というのが由来の地形姓です。
ヤマザキさんなら東日本、ヤマサキさんなら西日本がルーツ
日本人の発明による「扇子(せんす)の家紋」は、佐竹氏が用いたのが始まりですが、以後様々に発展して160種もの紋になっています。
宮中で用いられた桧扇(ひおうぎ=)の中に四つ目を描いた家紋「山崎扇」(やまざきおうぎ)こそ、佐々木氏流山崎氏の家紋です。
有名人の出身をまずはチェックしてみましょう。
まずは濁ったヤマザキさんから。
俳優の山﨑努(やまざきつとむ=ザキは﨑)は、千葉県東葛飾郡松戸町(現:松戸市)出身。
ザキヤマことアンタッチャブルの山崎弘也(やまざきひろなり)はクレヨンしんちゃんと同じ埼玉県春日部市。
続いて、ヤマサキさん。
小説家山崎豊子(やまさきとよこ)は、大阪市の出身。
ちょっとマニアックなところでは、シンガーソングライターの山崎ハコ(本名・山崎初子)は、大分県日田市の出。
お笑いの山崎邦正(やまさきほうせい=月亭方正)は、兵庫県西宮市。
有名人もヤマザキ、ヤマサキ、ハッキリ東西に分かれているのが山崎さん。
というわけであなたがヤマサキさんなら西日本出身、ヤマザキさんならルーツは東日本だと推測できるのです。
徳川幕府編纂の『寛永諸家系図伝』に相州山崎発祥と記載
山崎とはやはり想像通りの地名由来の名前で、山すそが突き出した地形が地名になり、そこから姓も誕生しています。
温暖な縄文時代には海が内陸の奥まで入り込み、岬のような地形だった場所が山崎ということに。
例えば、佐々木氏流山崎氏について『寛永諸家系図伝』(寛永年間に江戸幕府が編纂した諸大名と旗本以上諸士の系譜集)では、「初め、始祖憲家、相州山崎に居り、後、近江国犬山郡山埼に居る」と記されています。
まず相州(今の神奈川県)で地名の山崎から山崎姓が誕生、その後、近江国(滋賀県)に移った時、山崎姓から山崎という地名が生まれたという解説に。
『寛永諸家系図伝』に記される山崎さんのルーツ、相州山崎は、鎌倉市山崎と推測できるので、鎌倉市山崎の鎮守社、北野神社は山崎さんの重要なパワースポットに間違いありません。
この佐々木氏流山崎氏は 、戦国時代に近江山崎城主・山崎片家(やまざきかたいえ=賢家、堅家とも)が豊臣秀吉に仕えたことで発展。
後に摂津国有馬郡三田城(さんだじょう)の城主となり2万3000石を領し、関ヶ原合戦後には山崎家治(やまざきいえはる)が讃岐丸亀5万石の初代藩主となっているので、大名となった山崎さんの出世頭がこ山崎家治ということになります。
山崎さんのルーツを訪ねて天下分け目の山崎へ!
山崎氏の古きを訪ねてみると、大伴氏族に山前(山崎)連(やまさきむらじ)があり、平安末期には山城国乙訓(おとくに)郡山崎郷(現在の京都府乙訓郡大山崎町字大山)から橘流山崎氏と赤松氏流山崎氏が生まれています。
この場所は、時代が下って豊臣秀吉と明智光秀が雌雄を決した「山崎の戦い」の激戦地に。
橘流山崎氏はやがて徳川家に仕え、赤松氏流山崎氏は越前朝倉家、加賀前田家に仕えて栄えています。
全国の山崎さんにとって、発祥の地かつ歴史的に有名な戦場として、山崎合戦で知られる山崎城(天王山城)は欠かせない場所。
山崎といえばのウィスキー好きならサントリーの山崎蒸留所を思い浮かべる人も多いかと。
京都府乙訓郡大山崎町天王山という、山陽道を摂津国から入京する際の要衝の地に山崎城跡が残されています。
後に羽柴秀吉が居城とするこの山崎城は、西国街道を眼下に見下ろす北摂山塊の最東端、天王山山頂に築かれ、山頂まではJR山崎駅からかなりきつい斜度の道を登ります(山崎合戦の舞台となった天王山は京都と大阪の境に位置し、まさに尾根の先端)。
途中の宝積寺や幕末の十七烈士の墓、酒解(さかとけ)神社をへて約1時間、「山崎合戦之地」と刻まれた石碑が建っている山頂の本丸下にようやく到着します。
展望台からは山崎の古戦場が真正面に俯瞰できますが、羽柴秀吉は織田信長が明智光秀に討たれたことを備中高松城の水攻めの際に知り、有名な「中国大返し」で謀反の地・京に戻ろうとします。
迎え撃つ明智光秀は京に入る際のまさに「ネック」となる狭隘な山崎で迎え撃つのです。
現在大山崎町と「大」を付けるようになったのは近代のこと。
廃藩置県後、大阪側に山崎村(現・大阪府三島郡島本町山崎)、京都側に大山崎村(現・大山崎町)が誕生して分断。
JRは山崎駅、阪急は大山崎駅と駅名も分かれていますがともに大山崎町に。
連節バス「ツインライナー」で山崎さんのルーツへ
武蔵国多摩郡山崎(現在の東京都町田市山崎一帯。鎌倉街道沿いに位置している)を発祥とする山崎氏は武蔵七党の一つ横山党で、関東各地に広まる山崎さんのルーツに。
関東出身の山崎さんならまず町田市へ。
面白いのは、平成24年5月から都内で初めての連節バス「ツインライナー」(急行バス)が神奈川中央交通の山崎団地センター路線(町田バスセンター〜山崎団地)に運行。
首都圏の山崎さんならこの連節バス「ツインライナー」に乗りがてら、山崎さんのルーツに出向くのもおすすめです。
鹿児島県にも山崎さんのルーツが
薩摩国伊佐郡山崎郷(現在の鹿児島県薩摩郡さつま町山崎)を発祥とする山崎氏は桓武平氏とのこと。
山前(やまざき)氏は、大伴氏族山前(山崎)連の裔なのだとか。
その山崎郷は江戸時代には川内川の舟運を利用して年貢を集積するための与(組)蔵も築かれた薩摩藩の直轄地。
山崎御仮屋が築かれ地頭が治めていました。
さつま町山崎は、明治維新後に山崎村となった地でしたが、最初の山崎村役場は、山崎御仮屋に置かれています(現・山崎郷地頭仮屋跡)。
九州の山崎さんなら一度は訪ねたい土地で、郷社は飯富神社(いいとみじんじゃ)。
高知県に多い山崎さん、ちゃんと理由が?
明治安田生命保険の調査(2008年8月)では全国で第22位だったのが、2018年7月には21位にワンランクアップしています。
山崎さんは、高知県で大姓2位(1.66%)という圧倒的なシェアを占めています。
そのほか、富山県で6位、石川県で10位、有名な海のアルプス・北山崎(岩手県下閉伊郡田野畑村)のある東北地方はやや少ない傾向に。
高知の山崎姓では、戦国時代に京から土佐に移住し、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)に仕えた在地領主・山崎山重(やまさきやましげ)が有名ですが、土佐国安芸郡室津村槇山の山崎名(みょう)へ土着後、山崎を名乗ったのだと推測できます。
つまり、高知県(土佐国)お平野部には「山の崎」地形が数多くあり、そこから山崎さんが生まれたとも推測できます(山に囲まれた土地だったので、ほかからの流入が意外に少ない場所)。
高知県のTOPは山本さんなので、山の麓、山の先がツートップということに。
山崎さんの家紋は、佐々木氏流が桧扇に四つ目(山崎扇)、亀甲に四つ目、九枚笹、橘系は橘、丸に三の文字。
ほかに笹竜胆、亀甲に花菱、木瓜など。
ちなみになぜ東日本では「ヤマザキ」で、西日本では「ヤマサキ」となるかという点に関しては、歴史的には「ヤマサキ」の方が古くからある読み方で、「ヤマザキ」は連濁による新しい読み方ということに。
地名も名字も西日本の方が歴史は古いため西日本では「ヤマサキ」ということに。
ただし大山崎町は、近代の村名を背景に「オオヤマザキ」と濁ります(歴史的には「ヤマサキ」の合戦だったはずです)。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
山崎さんのルーツを探せ! | |
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