熱田神宮・信長塀

信長塀

織田信長は、永禄3年5月19日(1560年6月12日)、今川義元迎撃に桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)出陣の際、熱田神宮に必勝祈願をしますが、見事に義元を討ち果たし歴史的な勝利を収めたため、そのお礼として築地塀(ついじべい)を奉納しています。それが熱田神宮境内にある信長塀です。

桶狭間戦勝のお礼に信長が寄進した築地塀

現在では120mが現存(往時には400mあったとも)、西宮神社(えびす宮総本社/兵庫県西宮市)の大練塀、三十三間堂(京都市)の太閤塀とともに日本三大土塀の一つに数えられています。

『信長公記』によれば清洲城を数騎という手勢を連れて出立し、熱田神宮に到着した信長は、摂社・上知我麻神社の前で、東方に二条の煙が立ち上るのを見て鷲津砦(大高城の北東700mにあった/現在の鷲津砦公園)、佐久間盛重が守る丸根砦が陥落したことを知ります。

もはや絶体絶命の窮地となりますが、武井夕庵(たけいせきあん)に命じて熱田大神の力を借りて、この戦に勝利したいとの願文を書かせ、集結した兵の前で戦勝を祈願。
当時の街道は熱田を中心に延びていたので、実はこの地は兵の集結にも最適だったのです。

熱田神宮・信長塀
名称熱田神宮・信長塀/あつたじんぐう・のぶながべい
所在地愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1
関連HP熱田神宮公式ホームページ
電車・バスで地下鉄名城線熱田神宮西駅から徒歩7分
ドライブで名古屋高速大高線堀田ランプから約1km
駐車場東門駐車場(300台/無料)・西門駐車場(40台/無料)・南門駐車場(60台/無料)、12月31日~1月5日、6月5日は駐車場利用不可
問い合わせ熱田神宮 TEL:052-671-4151
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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