西宮神社・大練塀
兵庫県西宮市にある全国3500社のえびす神社の総本社とされるのが、西宮神社。「西宮のえべっさん」の表大門(赤門)は、桃山建築の遺構で、その両脇に全長247mにわたって続く大練塀(土塀)とともに国の重要文化財に指定されてい…
兵庫県西宮市にある全国3500社のえびす神社の総本社とされるのが、西宮神社。「西宮のえべっさん」の表大門(赤門)は、桃山建築の遺構で、その両脇に全長247mにわたって続く大練塀(土塀)とともに国の重要文化財に指定されてい…
アヤメ科アヤメ属の植物、カキツバタ。日本列島各地の湿原や池沼に自生する植物ですが、開発などで群生地は希少に。小堤西池のカキツバタ群落(愛知県刈谷市)、大田ノ沢のかきつばた群落(京都市北区、大田神社)、唐川のカキツバタ群落…
京都市北区上賀茂本山に鎮座する平安時代編纂の『延喜式神名帳』記載の式内社が大田神社(おおたじんじゃ)。上賀茂神社(賀茂別雷神社)の東500mにあり、現在は上賀茂神社の境外摂社のひとつですが、参道脇のカキツバタ群落は、「大…
鳥取県岩美郡岩美町唐川にある低層湿原が唐川湿原。標高370m〜400m内外の東西230m、南北800mに広がり、大沢池や流れる小川に沿って低層湿原が発達しています。100種類の湿原植物が自生していますが、下流側の0.6h…
愛知県刈谷市井ヶ谷町にある広さ2haの農業用溜池が小堤西池。刈谷市から知多半島にかけての丘陵地帯は溜池の集中する場所ですが、小堤西池はカキツバタが自生し、「小堤西池のカキツバタ群落」として国の天然記念物に指定。さらに「日…
広島県福山市北吉津町の寺町を流れる水路が御手洗川(みたらいがわ)。福山城の築城に際し鬼門守護の目的で創建された観音寺などの寺町群の門前の道路脇を流れる水路で、現存する小さな石組の扉門は、福山城下・寺町で利用する上水の重要…
兵庫県赤穂市、JR播州赤穂駅(ばんしゅうあこうえき)から赤穂城に向かう駅前通りの途中、赤穂駅南交差点(五差路)あるのが赤穂藩上水道モニュメント。江戸時代の初期に掘削された赤穂水道の遺構で、神田上水、福山上水と並んで日本三…
九州北部で行なわれる秋祭りが『くんち』。日本三大くんちに数えられるのは、博多おくんち(福岡県福岡市)、唐津くんち(佐賀県唐津市)、長崎くんち(長崎県長崎市)。名前の由来は、旧暦の9月9日(重陽の節句)に行なわれたから、収…
長崎県島原市にある島原藩主・松平忠誠(まつだいらただなり)が幕末に築いた御薬園跡が旧島原藩薬園跡。奈良の森野旧薬園(森野吉野葛本舗/奈良県宇陀市)、鹿児島の佐田旧薬園(鹿児島県肝属郡南大隅町)とともに「日本三大薬園跡」の…
農業限界地(緯度や標高の高い寒冷地)で栽培されるそば。美味しいそばは、霧が立ち込める「霧下」、火山灰土などが条件とされていますが、日本三大そばに選ばれるのは、わんこそば(岩手県)、戸隠そば(長野県)、出雲そば(島根県)で…
今やB級グルメの代表格として君臨する焼そば。日本三大焼そばといわれるのが、富士宮やきそば(静岡県富士宮市)、横手やきそば(秋田県横手市)、上州太田焼そば(群馬県太田市)の3ヶ所。焼そばの発祥は、昭和10年代に東京・浅草で…
豊臣秀吉以来のお茶文化は、江戸時代に松江藩、加賀藩など諸国で開花し、城下町では、お茶に合う菓子と干菓子が誕生し、藩主の御用達となったのです。それが今に伝わる日本三銘菓。出雲松江(島根県松江市)、風流堂の「山川」は、日本三…
あまり耳慣れない言葉ですが、「日本三大ラーメン」といわれるのが、博多、札幌、喜多方。いずれにも共通するのが屋台から始まったという点です。博多ラーメンは、森堅太郎氏が中洲で屋台「三馬路」を開業。札幌ラーメンは西山仙治氏の屋…
北海道の根室本線・狩勝峠越え(現在は廃線で、「狩勝ぽっぽの道」に転用)、篠ノ井線・姨捨駅(おばすてえき)、そして肥薩線・矢岳越えが日本三大車窓。狩勝峠越えは、訪れたロイター記者がロッキー山脈越え、ウラル山脈越えに匹敵する…
北海道の根室本線・狩勝峠越え(現在は廃線で、「狩勝ぽっぽの道」に転用)、篠ノ井線・姨捨(おばすて)とともに日本三大車窓に数えられたのが肥薩線矢岳越え(宮崎県えびの市)。加久藤カルデラ外輪山の矢岳山(739.2m)・矢岳高…
横浜、神戸、長崎は、安政五カ国条約によって開港し、香港、広東、上海の西洋商館で働いていた中国人(華僑)が、通訳(西洋人の言葉を理解し、日本人とは筆談)、貿易商として来日。西洋と日本との橋渡しに活躍しましたが、華僑たちが築…
長崎県長崎市新地町にある長崎新地中華街は、横浜、神戸に並ぶ日本三大中華街のひとつ。唐船専用の倉庫を建てるために埋め立てられた新地に、明治以降にチャイナタウンが形成されたもの。 東西南北全ての入り口に牌楼(ぱいろ…
横浜中華街(神奈川県横浜市)の起源は、安政6年(1859年)の横浜開港。開港とともに上陸した西洋人の仲介役として活躍したのが、漢字を理解できる広東を中心とする中国人。やがて外国人居留地に近い横浜新田に、日本や外国商館にと…