兼六園
水戸の偕楽園(かいらくえん)、岡山の後楽園(こうらくえん)と並び、日本三大名園に数えられる兼六園。江戸時代の代表的な林泉回遊式の庭園で、国の特別名勝にもなっています。霞ヶ池の畔にある徽軫灯籠(ことじとうろう)は、兼六園の…
水戸の偕楽園(かいらくえん)、岡山の後楽園(こうらくえん)と並び、日本三大名園に数えられる兼六園。江戸時代の代表的な林泉回遊式の庭園で、国の特別名勝にもなっています。霞ヶ池の畔にある徽軫灯籠(ことじとうろう)は、兼六園の…
水戸の偕楽園(かいらくえん)、金沢の兼六園(けんろくえん)と並んで、「日本三名園」のひとつに数えられる岡山の後楽園。岡山藩主・池田綱政によって、14年もの歳月をかけて完成。造園当時は、岡山城の後に造られた園という意味で、…
社伝によれば、菅原道真の末裔にあたる初代別当の菅原大鳥居信祐が、道真ゆかりの「飛び梅」の枝で刻んだ天神像を祀ったのが始まり。1662(寛文2)年、4代将軍・徳川家綱が江戸の鎮守として社地を寄進、現在地に社殿が造営されまし…
江戸平河城の城主・太田道灌(おおたどうかん)が1478(文明10)年、江戸平河城内に天満宮を建立したのが始まり。徳川家康の関東入封で、江戸城の築城のため平川門外に遷座し、さらに1607(慶長12)年、2代将軍・徳川秀忠が…
正式名は獨鈷山光明寺愛染院で、真言宗豊山派の寺。空海(弘法大師)ゆかりの寺を巡る御府内八十八ヶ所霊場18番札所。『群書類従』、『続群書類従』の編者として名高い国学者・塙保己一(はなわほきいち)の墓、内藤新宿を開設し、問屋…
1575(天正3)年、法印祐賢上人(ほういんゆうけんしょうにん)が開基となって、大沢孫右衛門尉(おおさわまごえもんのじょう)が麹町(こうじまち)九丁目に開いた寺。江戸城の外濠開削、周辺整備のため、寺町全体として四谷に移り…
東京・四谷(四谷十八ヶ町)の鎮守である須賀神社。1634(寛永11)年、赤坂一ツ木村の清水谷に鎮座した稲荷神社を江戸城外堀普請のため四谷に遷座したことに始まります。新海誠監督の長編アニメーション映画『君の名は。』の舞台に…
街路樹の歴史は遠く奈良時代まで遡ります。759(天平宝字3)年、太政官符が発せられ、畿道七道に果樹並木が植栽されました。東京で最初の並木は、明治7年、近代的街路樹として銀座通りにクロマツ、桜が、そして内堀通りにニセアカシ…
徳川幕府の終焉の時代と、広く世の中が認識した幕末の大事件が『桜田門外の変』。江戸城西の丸入口、外桜田門で、安政7年3月3日(1860年3月24日)、水戸藩からの脱藩者らが、時の大老・井伊直弼(いいなおすけ)を殺害するとい…
江戸城の小田原口に1636(寛永13)年、外濠などを巡らせた江戸城総構(惣構=そうがまえ)の際に桝形門に改築したのが桜田門。1860(安政7)年、この桜田門の外で、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺事…
大手町のビル街のなかにひっそりと眠っているのが将門塚(しょうもんづか)と通称される平将門(たいらのまさかど)の首塚。もともと神田明神の祀られていた地でもあり、東京を代表するパワースポット。江戸時代には江戸城・大手門を守る…
江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良…
毎月24日は地蔵尊の縁日です。この日に参詣すると、御利益が多いとされていますが、東京・巣鴨の高岩寺(とげぬき地蔵)は、『初地蔵』となる1月24日のほか、5月24日、9月24日は例大祭が行なわれます。つまり、「正五九」の2…
江戸城本丸北隅にあった天守(天守閣)は、東西約41m、南北約45m、高さ11mの天守台に建てられていました。日本最高だったという高さ51mの天守を支えた江戸城天守台は黒田長政が築造を担当。石垣は、南部、津軽の二候が築いた…
2024年1月20日(土)〜3月31日(日)、東伊豆町の稲取温泉で『第27回雛のつるし飾りまつり』を開催。「雛のつるし飾り」とはひな祭りのとき雛壇の両脇に人形を飾る風習。伊豆の稲取地区、福岡県柳川市(「柳川さげもん」)、…
明治神宮の御苑に湧く湧水の井。水温は通年15度前後と一定で、毎分60リットルという豊富な水量を誇っています。この清正井は、江戸時代の初めに加藤清正が掘ったと伝えられる伝説の井戸ですが、井戸の写真を撮って、画像を待ち受け画…
伊東、そして伊豆高原のシンボル的な存在である大室山。 実は、伊豆屈指のパワースポットなのだとか。 どんなパワーが秘められているのでしょうか?
深川は仙台堀近くの寺町にある心行寺は、深川七福神の福禄寿を祀る寺。1616(元和2)年に京橋・八丁堀寺町に創建した浄土宗の寺で、1633(寛永10)年に現在地に移りました。境内には縁結びの地蔵様として江戸時代から信仰され…