富山港展望台
富山県富山市、富山外港の岩瀬港のシンボルとなっている展望台が富山港展望台。建つ場所は、かつて北前船の交易で栄えた神通川河口の東岩瀬地区。高さ24.58mの展望台は、近くに建つ金刀比羅社(琴平社)の常夜燈をイメージ。常夜燈…
富山県富山市、富山外港の岩瀬港のシンボルとなっている展望台が富山港展望台。建つ場所は、かつて北前船の交易で栄えた神通川河口の東岩瀬地区。高さ24.58mの展望台は、近くに建つ金刀比羅社(琴平社)の常夜燈をイメージ。常夜燈…
富山県富山市のキャッチフレーズは、「立山あおぐ特等席」。特等席のなかの特等席が、富山市役所展望塔で、エレベーターで上がった地上70m(床高68.55m)の展望塔からは、富山湾、富山平野、立山連峰を一望にします。音声ガイド…
古代、越中国の国府(国庁が置かれた場所)は、現在の富山県高岡市伏木にありました。歌人としても名高い大伴家持(おおとものやかもち)が越中国の国守として在任中の天平18年(746年)、宇佐神宮から宇佐八幡神を勧請して創建した…
芸予諸島を眼前にする広島県呉市川尻町。海岸沿いの市街から野呂山(最高点は膳棚山839.1m)山上に向かう広島県道248号(野呂山公園線)、通称「さざなみスカイライン」途中、標高390m地点にある展望台がハチマキ展望台。こ…
鹿児島市街の中央に位置する、標高108mの小高い山、城山。鹿児島本線は城山隧道で直下を抜けています。その城山の市街地に迫り出した崖の上にあるのが城山展望台。桜島、薩南諸島へのフェリーが発着する桜島港を眼下に、錦江湾や桜島…
山口県下関市、赤間町(下関の古名は赤間関)にある商売繁盛にご利益のある稲荷社が末広稲荷神社。社伝によると大同4年(809年)の創建という古社で、下関では最古の稲荷社となっています。現在は赤間町ですが往時には稲荷町と呼ばれ…
山口県下関市にある浄土宗の寺で、晩年、豊臣秀吉に信任された小早川隆景(こばやかわたかかげ)の菩提寺が引接寺(いんじょうじ)。一帯の唐戸地区は文字通り、唐(中国)への戸(玄関口)。山陽道の起終点にもあたる交通の要衝で、江戸…
島原半島の南端、早崎半島(長崎県南島原市)の突端の高台に建つのが瀬詰崎展望台。幅5kmほどの早崎瀬戸を挟んで天草下島と向き合う場所にあり、ワイドなパノラマが期待できます。眼下の岩礁地帯に瀬詰埼灯台があり、有明海の入口を見…
島原半島の南端にある天然の良港、口之津。永禄10年(1567年)、ポルトガル船3隻が入港して以来、戦国時代には南蛮貿易の拠点ともなりました。そんな口之津の歴史を紹介するのが南島原市の口之津歴史民俗資料館・海の資料館。レト…
南有馬運動公園にある南島原市の施設が南島原市有馬キリシタン遺産記念館で、島原の乱(島原・天草一揆)で知られる国指定史跡で世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産でもある原城跡の発掘で出土した遺物を…
長崎県南島原市、口之津港の入口、土平崎の高台に建つのが口之津灯台。明治13年5月10日に初点灯という歴史ある灯台です。明治時代に三池炭鉱で採掘された石炭の積出港として栄えた長崎県南島原市口之津港の入口に建設された、八角形…
弓張岳展望台(長崎県佐世保市)は、標高364mの弓張岳にある絶景の展望台。佐世保市街と佐世保港を一望にし、西海国立公園に指定される九十九島(くじゅうくしま)の島々までの大パノラマを得ることができます。昼間の景色はもちろん…
キリスト教伝来以来、カトリック教徒が多い土地だった長崎市の浦上地区。キリシタン弾圧の時代を経て、明治維新後、信仰の自由を得た浦上地区の信者達の手によって、33年の歳月を掛け大正14年にようやく完成したのが浦上天主堂です。…
円覚寺山内にあり、円覚寺を開基した北条時宗および北条得宗家(ほうじょうとくそうけ=鎌倉幕府執権の北条時政を初代に高時までの7代)の廟所が佛日庵(仏日庵)。大佛次郎(おさらぎじろう)の『帰郷』にも描かれています。北条氏滅亡…
建長5年(1253年)、鎌倉幕府の執権・北条時頼(ほうじょうときより)が建立した鎌倉五山第1位の巨刹が建長寺。境内最奥に標高145mの勝上嶽があり、中腹に建長寺の鎮守として、静岡県の方広寺(現・浜松市北区引佐町奥山)から…
平成14年、江ノ電(江ノ島電鉄)開業100周年事業として建設され、平成15年4月29日に開業した江の島(神奈川県藤沢市)の展望灯台が江の島シーキャンドル。昭和26年に日本初の民間灯台として設置された江の島灯台が前身で、…
寛永8年(1631年)、東叡山寛永寺を開山した天海大僧正が京の清水寺に倣って建立した清水観音堂。元禄7年(1694年)に現在地に移されていますが、「清水の舞台」の前に配されているのいるのが、歌川広重も浮世絵に描いた月の松…
日本100名城に数えられる小田原城(神奈川県小田原市)。現存する小田原城天守閣は、昭和35年、小田原市制20周年記念事業として総工費8000万円をかけて建設された復興天守。宝永3年(1706年)の再建の際に作られた模型や…