宇陀松山城・春日門跡

宇陀松山城・春日門跡

宇陀松山城(「続日本100名城」選定)は、奈良県宇陀市にあった中世の山城。城下町は、宇陀松山伝統的建造物群保存地区となっています。その松山城下町の出入口にあたる西口関門(黒門)から続く大手筋正面に位置するのが春日門。町人町と、屋敷町を分ける門でもあり、大手門として機能していました。

宇陀松山城の玄関口、大手門の跡

春日門という名は春日神社の入口(参道)に位置するため。
門は現存しませんが、虎口を固めた両脇の櫓台の石垣は現存。
春日門の築造は16世紀末〜17世紀初頭で、現存する櫓台は、17世紀後半の織田家宇陀松山藩時代の向屋敷・上屋敷造営に伴う再構築であることがわかっています。

往時には、西口関門から大手筋を歩くと、春日門東櫓がそびえ立っていたと推測できます。

宇陀松山城・春日門跡
名称宇陀松山城・春日門跡/うだまつやまじょう・かすがもんあと
所在地奈良県宇陀市大宇陀春日59
関連HP宇陀市公式ホームページ
電車・バスで近鉄榛原駅から奈良交通バス大宇陀行き20分、終点下車、徒歩10分
ドライブで西名阪自動車道天理ICから約30km
駐車場道の駅宇陀路大宇陀駐車場を利用
問い合わせ宇陀市農林商工部商工観光課 TEL:0745-82-2457/FAX:0745-82-8211
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