近藤さんのルーツを探せ!

近藤さんは、大姓35位で、全国に38万人ほど近藤さんが暮らし、シェアは国民の0.30%ほど。伊藤さんが「伊勢の藤原氏」というように、近江(滋賀県)の藤原氏が近藤さん。「遠江(とおとうみ=静岡県西部)の藤原氏」の遠藤さんとは近・遠で、名前的はライバル関係ということに。

近藤さんのルーツは遠江、奥浜名に

近藤家の菩提寺・初山宝林寺
金指および気賀の近藤家の菩提寺・初山宝林寺

近藤さんのルーツは藤原秀郷流(ふじわらのひでさとりゅう)の近藤氏がよく知られています。
藤原秀郷の後裔である藤原脩行(ふじわらののぶゆき)が国司の下に仕える近江掾(おうみのじょう)になり、職名の近江(滋賀県)の「近」と藤原の「藤」とを結んで「近藤太」(こんどうた)と称したのが近藤氏の始まり。

つまり、近江の藤原さんで近藤さんということに。
近江掾は、当時の近江国、現在の滋賀県を治める役人の中で、近江守、近江介に次ぐ3番目の地位。現在でいえば滋賀県の部長クラスという感じでしょうか。
 
後、藤原脩行(近藤太)の孫・近藤景親(こんどうかげちか)は近江から駿河(現・静岡県東部)に移って駿河権守(ごんのかみ=国司の長官)となり、子孫は遠江や相模に広がって栄えています。
治承4年(1180年)。源頼朝の挙兵に加わり石橋山で惨敗、源頼朝らとともに真鶴(まなづる)から安房(あわ=千葉県南部)に逃れた近藤国平(こんどうくにひら/祖父の代から伊豆国が地盤)もこの一族の出で、藤原脩行(近藤太)(近藤太)の五代孫です。

『吾妻鏡』によれば、正治元年(1199年)、罷免された後藤基清に代わり、讃岐国守護に任ぜられているので、やはり後藤さんはライバルということに。

近藤直満の代に三河国八名郡宇利庄に住した近藤氏は、近藤秀用(こんどうひでもち)のとき遠江国井伊谷藩の藩主となり、やがて徳川家康に仕えて旗本に。
父は、今川家の家臣から徳川家康の配下に転じた近藤康用(こんどうやすもち)で、NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』では橋本じゅんが演じています。

近藤秀用の子・近藤貞用(こんどうさだもち)は、金指および気賀両近藤家の菩提寺となる初山宝林寺(静岡県浜松市北区細江町中川65-2)を建立。

近江がルーツのはずの近藤さんが遠江で栄えたというのも歴史の面白いところで、初山宝林寺は近藤さんの貴重なルーツといえるでしょう。

浜松市北区細江町気賀に、近藤氏の居館跡である近藤屋敷(気賀陣屋跡)があり、旗本の近藤家は気賀の領主で、姫街道を守る気賀関所も近藤家が治めていたのですから。

代々、近藤家が守った気賀関所
代々、近藤家が守った気賀関所

西条市にも近藤神社が

ほかにも近藤さんのルーツには、藤原利仁流の近藤氏や、阿波勝浦の新居見山城主の近藤氏、土佐国の尾川城主の近藤氏、出羽国や甲斐国、信濃国、讃岐国、筑後国、肥後国の近藤氏などがいます。

また、鎌倉時代から戦国時代にかけて、九州の豊後国を本拠とした大族の大友氏は、近藤氏の出。

愛媛県西条市中西新開にある近藤神社は、羽柴秀吉の四国攻めで討死にした横山城主・近藤長門守尚盛(こんどうながとのかみなおもり)を祀っています。
横山城は現在の西条市船形にあった城で、近藤神社の石碑には「近藤氏は藤原氏より出づ、代々阿波勝浦の新居見山城主」と刻まれています。

新居見山城(にいみやまじょう)は徳島県小松島市に源平の昔からあった山城で、源平の戦いのあった平安時代末期には、近藤六家親の居城でした。

近藤神社の神紋は鹿角紋(かづのもん)ですが、これは近藤さんの代表的な家紋。
まさに近藤さんの氏神、パワースポットということに。

近藤さんは四国と愛知県に多い

江戸時代後期に北方領土を探検した旗本・近藤重蔵(こんどうじゅうぞう)の墓は、JR湖西線・近江高島駅の西方の瑞雪院(ずいせついん=滋賀県高島市勝野)にあります。
さらに東京都文京区の西導寺にも近藤重蔵の墓があり、東京都北区の正受院には近藤重蔵の甲冑姿の石像が立っています。

近藤重蔵が長谷川平蔵とほぼ同じ時期に、火付盗賊改方としても勤務していたことはあまり知られていません。
近藤重蔵の墓が滋賀県にあるのは、目黒の別荘の管理を任せていた長男の近藤富蔵が、屋敷の境界争いから隣家の住民と対立し、7名を殺害する罪を犯したため、近藤富蔵は八丈島に島流しに、そして父である近藤重蔵は近江国大溝藩(現・滋賀県高島市)に預けられ、近江で病没したためです。

新選組局長の近藤勇(こんどういさみ)は百姓・宮川久次郎と母みよ(ゑい)の三男で、近藤周助(近藤周斎)の養子となったために近藤を名乗ったもの。
近藤周助(近藤周斎)も近藤三助の弟子となって、近藤の名を継いでいるので(もともとは坂本戸右衛門の長男)、複雑な系譜の近藤さんということに。

近藤さんは愛媛県(11位)、徳島県をはじめとする四国に多く、愛知県でも6位となっています。
東北、九州はやや少ない傾向に。

近藤さんの代表家紋は、鹿角(かずの)と下り藤。
ほかに、鳳凰の丸、二葉松、鷹の羽、巴、六窠(ろっか)、唐人笠、稲穂丸など。

近藤さんの代表紋である鹿角紋は、近藤さんの祖神が春日神社に祀られているところからきたとか、近藤乗直(こんどうのりなお)という剛の者が、狩りに出たとき鹿を捕まえて、角を引き裂いたことから家紋にしたともいわれ定かでありません。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

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掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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