山本さんは、山の多い日本の地形から生まれた典型的な地形姓で、全国的に多い姓ですが、日本で一番多い苗字は佐藤さんで、2番目が鈴木さんというと、関西の人は、ホンマかいなと思う人も多いはず。関西で一二を争うのは山本さんと田中さん。なぜ関西に多いのか、実は山本さんのルーツに大いに関係しているのです。
まずは山本勘助生誕の地とされる愛知県豊橋市へ
歴史上の人物で山本といえば、時代劇好きなら真っ先に思い浮かぶのが井上靖の歴史小説『風林火山』の主人公、山本勘助(やまもとかんすけ)。
平成19年のNHK大河ドラマ『風林火山』では、内野聖陽が山本勘助を演じて話題となりました。
永禄4年9月10日(1561年10月18日)、川中島の戦いで戦死した武田信玄の軍師・山本勘助は行年69歳(『甲陽軍鑑』)。
身体には86を数える創傷があったと伝えられています。
山本勘助の墓は、愛知県豊川市賀茂町の本願寺にあり、「天徳院武山道鬼大居士」と戒名が彫られた勘助の墓と両親の墓が並んでいます。
本願寺の説明によると、「山本勘助の先祖は清和天皇の後裔、新羅三郎義光の3世・山本遠江守義貞(定)から出た」とのこと。
もしそれが真実なら、山本勘助の出自は数多い山本さんのなかでも最も有名なルーツのひとつということになります。
ちなみに山本勘助の生誕の地は、『甲陽軍鑑』(戦国時代に書かれた武田家の軍学書)などには三河国宝飯郡牛窪(愛知県豊川市牛久保町)と記されていますが、地元の豊川市では、謙虚にも逆に豊川ではなく八名郡賀茂村(愛知県豊橋市賀茂町)に生まれ、15歳で牛窪(豊川市牛久保町)の牧野家家臣大林勘左衛門貞次の養子になったとしているのです。
『甲斐国志』(江戸時代後期に記された甲斐国の地誌)には、山本勘助は駿河国富士郡山本(静岡県富士宮市山本)の生まれとあり、内野聖陽主演の大河ドラマ『風林火山』もこの駿河出身説を採用していました。
さまざまに脚色されてきた山本勘助、実際の生い立ちなど、よくわかっていません。
山本さんのルーツは琵琶湖の湖北
山本さんの発祥は、この遠江守義貞が近江国浅井郡山本(現在の滋賀県東浅井郡湖北町山本)を本拠にしたとき、初めて山本姓を名乗ったことに始まるとされています。
その息子は山本義経(やまもとよしつね)ですが、近江源氏の流れで源義経とも称したため、源頼朝の弟として有名な河内源氏の源義経と同姓同名であったため「義経二人説」が生まれています(永井路子の『二人の義経』など)。
山本山(325m)は、琵琶湖の東岸に沿って賤ヶ岳から南へ続く山系の南端に位置するちょうどお椀を伏せたような形の山。
山本山の山頂に築かれた山本山城は湖北には珍しく、平安末期築城の古い歴史を有しています。
源義家の弟、新羅三郎義光の流れを汲む清和源氏の一族がここを本拠地とし、水軍をもって琵琶湖をおさえたのだとか。
山本山城を築いて山本姓を称し、15代続いています。
近江国浅井郡山本発祥のこの清和源氏義光流山本氏一族は、山本勘助を一例として、その後、三河・遠江・信濃・甲斐に移って各地で活躍。
徳川の旗本である山本家の多くはこの係累とか。
山本山の山麓には山本交差点もあり、まさ山本山一帯は山本さんのルーツ、パワースポットになっています。
ルーツ中のルーツである山本山は、津里の宇賀神社から山頂まで遊歩道が整備され、徒歩で30分ほど。
山上には、本丸、二の丸、三の丸、馬の蹴り跡などが残り、参上から眺める琵琶湖と竹生島はまさに絶景。
山本は、山元と同じで山の麓を意味する言葉。
山は神が宿る聖なる地とされたため、山本さんは山の神の言葉を伝えるという大切な役目を担ったともいわれています。
北陸の山本さんは鯖江へ
一方、越前今立郡(いまたちのこおり)山元荘を発祥とする藤原利仁流の山本さんは北陸地帯に多いのが特長。
今立郡山元荘庄は、建武新政の際、後醍醐天皇が鎌倉・円覚寺に山元荘を安堵した(支配権を渡した)という歴史ある地名です。
山元庄は、現在の福井県鯖江市内の福井鉄道水落駅(みずおちえき)周辺。
北陸の山本さんなら一度は山元荘に出向いてみたいところですが、実際には円覚寺が領有したという山元荘を今に伝えるものは残されていません。
親鸞(しんらん)が越後へ配流の途中、山元荘で布教したといい、その子・善鸞が住したと伝える山元山證誠寺(しょうじょうじ=真宗山元派の本山)も今は鯖江市横越町に移転しています。
山元山證誠寺の跡地は嶺北忠霊場(旧鯖江陸軍墓地)になっているから、墓地一帯は南に山があるまさに山の元。
ルーツとなる地名のイメージはつかめるかも知れません。
千葉の山本さんなら館山市へ
先祖代々千葉県に住んでいるという山本さんなら、安房国安房郡山本村(館山市山本)発祥の清和源氏新田氏族の可能性も。
館山市立館野小学校(たてのしょうがっこう)と曹洞宗の寺・竜渕寺(りゅうえんじ)との間にある丘陵が、中世の山城、山本城。
堀切と土塁などが残され、山城の雰囲気が多少は感じられますが、整備されておらず、探訪もおすすめできません。
城主としては里見氏の家老で『里見分限帳』にも見える山本清七が想像されますが、正確にはわかっていません。
すぐ西側には安房国国分寺跡があり、実は一帯が千葉県で最も早くから拓けた地であることがわかっています。
有名な「山本山」のルーツは京都府宇治市に
元禄3年(1690年)に山本嘉兵衛が創業したお茶の「山本山」。
永谷宗円(現在の永谷園の創業者の先祖)によって煎茶が発明され、それを最初に販売したのが山本嘉兵衛商店(現在の山本山)です。
そのルーツは、山城国宇治山本村(京都府宇治市宇治山本)で、海苔の販売を手掛けるようになったのは、昭和22年のこと。
山本さんが1位の県はなんと西日本に10県も!
山本さんは全国第9位の大姓で、103万人を数えるお仲間がいますが、西日本では田中さん(1.32%/全国ランクは4位)に次ぐのが山本さん(1.12%)。
田中、山本、中村と西日本のTOP3が地形姓であるのは、都が置かれた古代からの歴史を考えると、興味深いものがあります。
全国では9位というのに山本さんが1位となる県は、占有率順に高知県、和歌山県、山口県、岡山県、愛媛県、石川県、奈良県、広島県、香川県、富山県と10県を数え、2位も鳥取県、福井県、滋賀県、京都府、兵庫県、大阪府、3位も三重県、島根県とすべてが西日本という結果に。
逆にいえば、東日本では静岡県でようやく5位というくらいで、進出が進んでいません。
富山県(越後)も関西との密接な関係性からTOPとなっていると推測できますが、親不知子不知を越えて、新潟県(越中)までは進出できなかったようです。
大リーグで活躍する山本由伸も岡山県備前市出身で、占有率1.43%でTOPを誇る岡山県です。
山本さんの家紋は、代表紋とも思える三つ巴を始め、対(むか)い鳩、鳥居に向い鳩、山本鳥居、石畳、烏など神社と関係の深いものが多い。 他に、山文字、杏葉牡丹、丸に立梶の葉、丸に一つ石、州浜、柏、九曜、銀杏など。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
山本さんのルーツを探せ! | |
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