喜多院(川越大師)

830(天長7)年、慈覚大師・円仁(えんにん)により創建された古刹が喜多院(川越大師)。1296(永仁4)年、伏見天皇が尊海僧正に再興を命じ、慈恵大師(元三大師)を祀って関東天台の中心的な存在となりました。さらに1599(慶長4)年、27世の天海僧正(慈眼大師)が、徳川家康の信頼を得、500石を拝領し寺勢を極めました。

客殿、書院は江戸城から移築で「徳川家光誕生の間」が現存

1638(寛永15)年、川越大火により山門を除くすべてを焼失しましたが、3代将軍・徳川家光により江戸城の別殿を移築し客殿、書院として再建。
このため喜多院(川越大師)には客殿に「徳川家光誕生の間」、書院に「春日局化粧の間」などが残されています。

藩庁を前橋城から川越城に移した初代川越藩主(松平越前家)・松平朝矩(まつだいらとものり)から6代藩主・松平直侯(まつだいらなおよし)まで、歴代川越藩主の廟もあり、

客殿(徳川家光誕生の間・湯殿・厠)、書院(春日局化粧の間)、庫裏(くり)、山門、鐘楼門、慈眼堂は国の重要文化財。
とくに 1638(寛永15)年〜1639(寛永16)年建立の江戸城内にあった客殿、書院は、今では江戸城の初期の貴重な建築物となっています。

客殿・書院・庫裡・慈恵堂(本堂)・五百羅漢は、有料拝観施設となっています。

隣接して明治初年の神仏分離までは境内だった天海僧正創建の仙波東照宮、日枝神社もあり、こちらの本殿なども国の重要文化財。あわせて見学を。

関東三十六不動尊霊場28番札所、小江戸川越七福神の大黒天にもなっています。
大黒天は、慈恵堂(本堂)前に祀られているのでお見逃しなく。
毎月3日(慈恵大師ご縁日)、毎月第4日曜(8月休会、12月は変動あり)の13:30〜の『観音経読誦会』、毎月第3土曜(1月、8月休会、12月は変動あり)14:00〜の『写仏』は当日の申込みで体験が可能です。

五百羅漢の拝観も、ぜひ!

境内には535体の五百羅漢も安置され、「日本三大羅漢」のひとつに数えられています。
「日本三大羅漢」は、羅漢寺(大分県中津市)、建長寺(神奈川県鎌倉市)、徳蔵寺(栃木県足利市)など諸説あります。
喜多院(川越大師)の五百羅漢は、川越北田島の志誠(しじょう)の発願で、1782(天明2)年〜1825(文政8)年にわたって建立されたもので、538体の石仏が鎮座しています。
石仏はすべてが異なるポーズと表情ですが、深夜、羅漢の頭を撫でるとひとつだけ温かいものがあり、それは亡くなった親の顔に似ているという伝承も。

喜多院(川越大師)のおもな年中行事

1月1日/お正月初護摩=家内安全・厄除・身上安全等の護摩祈願。川越大師と結縁します
1月3日/初大師 だるま市=毎月3日は厄除元三大師(がんざんだいし)の縁日。年の始の縁日は初大師として賑わいます。名物だるま市が開かれ、周辺には交通規制も実施されます(9:00〜18:00)。川越駅から臨時バス増発
2月3日/節分会=本堂前で豆まきが行なわれます(豆まき式は13:20頃)
4月3日〜5日/長日護摩講=喜多院では前年の年末から100日間、祈願を続けていますが、その最後に「長日護摩講」を開催し、参詣者は100日間の功徳を得ることができます(護摩時間は喜多院のホームページを参照)
3月彼岸頃~4月上旬/春まつりと喜多院の桜=3月彼岸頃にしだれ桜が咲き、3月下旬~4月上旬にソメイヨシノが開花(年によって変動します)
5月ゴールデンウィーク前後/喜多院宝物特別展=宝物の風入れを兼ねて国の重要文化財などを鑑賞できます
10月~11月/七五三祝祷祈願=3歳、5歳、7歳を迎えた子供の健やかな成長を祈願します(護摩時間は喜多院のホームページを参照)
11月1日~23日/小江戸川越菊まつり=川越の秋の伝統行事で、喜多院境内特設会場に見事な菊が並びます(見学は無料)
11月中旬~12月上旬/喜多院の紅葉=喜多院は紅葉の名所としても有名で、紅葉の見頃は例年11月中旬~12月上旬頃(拝観時間8:50~16:00)

喜多院境内図
喜多院(川越大師)
名称喜多院(川越大師)/きたいん(かわごえだいし)
所在地埼玉県川越市小仙波町1-20-1
関連HP川越大師 喜多院公式ホームページ
電車・バスで西武新宿線本川越駅から徒歩20分
ドライブで関越自動車道川越ICから約4km
駐車場明星駐車場(120台/有料)、1月3日休
問い合わせ喜多院拝観寺務所 TEL:049-222-0859
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
喜多院(川越大師)・五百羅漢

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埼玉県川越市にある、円仁(慈覚大師)創建と伝えられ、家康・秀忠・家光の徳川3代に仕えた天海大僧正ゆかりの名刹が、喜多院(川越大師)。境内にある五百羅漢は、天明2年(1782年)〜文政8年(1825年)の50年間にわたって建立されたもので、5

喜多院(川越大師)・庫裏

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喜多院(川越大師)・鐘楼門

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喜多院(川越大師)・山門

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喜多院(川越大師)・慈眼堂

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時の鐘

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埼玉県川越市の中心部、蔵造りの街並みに建つのが時の鐘。江戸時代初頭から城下の町に時を告げてきた川越のシンボル的な存在の鐘撞堂です。川越藩主・酒井忠勝(さかいただかつ)が初代の堂を創建し、現存する時鐘楼は、明治26年に起きた川越大火直後、店も

川越菓子屋横丁

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埼玉県川越市にある駄菓子屋が並ぶ横丁が川越菓子屋横丁。明治初期、気取らない菓子を製造したことが始まりといわれる菓子屋横丁。関東大震災で菓子屋が壊滅状態となった昭和初期には、東京に代わって製造を担い、60軒あまりの店が軒を連ねていました。現在

関東三大師とは!?

関東三大師とは!?

厄除け大師とも呼ばれる元三大師(良源)を祀る天台宗の寺のうち、関東を代表する3ヶ寺が関東三大師(関東の三大師)。栃木県佐野市の佐野厄除け大師(惣宗寺)、群馬県前橋市の青柳大師(龍蔵寺)、埼玉県川越市の川越大師(喜多院)です。平安時代の天台宗

龍蔵寺(青柳大師)

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群馬県前橋市にある天台宗の寺、龍蔵寺(青柳大師)。寺伝によれば延暦3年(784年)、日光開山の勝道上人(しょうどうしょうにん)によって創建されたという古刹。近世には天台宗の檀林(学問所)が設置され、関東八壇林のひとつとして栄えています。佐野

川越大師喜多院『初大師』(だるま市)

川越大師喜多院『初大師』(だるま市)

毎年1月3日、埼玉県川越市、川越大師喜多院『初大師』(だるま市)。1月3日は厄除元三大師(やくよけがんざんだいし=慈恵大師)の縁日。新年最初の縁日なので『初大師』(はつだいし)と呼ばれ、多くの参詣者を集めています。境内では有名な『だるま市』

佐野厄除け大師

佐野厄除け大師

全国的にも有名で、関東ではお正月のテレビCMでも知られるのが栃木県佐野市にある佐野厄除け大師。正式名は惣宗寺(そうしゅうじ)という天台宗の寺ですが、青柳大師(前橋市の龍蔵寺)、川越大師(川越の喜多院)とともに元三大師(がんざんだいし=良源)

日枝神社 (川越市)

830(天長7)年、円仁(慈覚大師)が無量寿寺(喜多院)を創建した際に、その鎮守として、860(貞観2)年に近江・坂本の山王権現(日吉山王社)を勧請して創建したという古社。天台宗・延暦寺の守護神として尊崇された山王権現を川越にも祀ったもの。

仙波東照宮

1616(元和2)年に没した徳川家康の法要は、久能山から日光山輪王寺に改葬される際の1617(元和3)年3月23日〜26日に川越の喜多院で執り行なわれています。その際に、後水尾天皇から東照大権現の勅額が下賜されていますが、それに伴って喜多院

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