深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)

富岡八幡宮の西に位置する深川公園。入口に自転車が駐輪され、子供を遊ばせる姿を目にする公園ですが、江戸時代は富岡八幡宮の別当(神社を管理する寺)、永代寺がありました。往時にはこのあたりが海岸線で、永代島という島の寺という意味で、永代橋の名の起こりにも通じる名刹でした。

江戸時代には成田山新勝寺の「出開帳」が11回も行なわれた地

  • 深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)
  • 深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)

深川公園には多目的広場、テニスコート(深川庭球場)、深川不動堂境内から移設された石造燈明台などがありますが、ポツンと富岡八幡宮別当永代寺跡碑が立っていることをお見逃しなく。

神仏混淆(しんぶつこんこう)だった江戸時代には、現在の深川公園・深川不動堂一帯が永代寺と塔頭(たっちゅう)の敷地。
永代寺は広く美しい庭園を有して、江戸でも有名な名刹だったのです。

江戸時代、成田山新勝寺に祀られた不動明王を尊崇する成田山信仰が隆盛します。江戸から船を利用して成田詣に出かけるというのが大店を構える商人の粋な旅ともなっていたのです。

富士山信仰と同様に、江戸の町にたくさんの講(信仰を持つ人々による結社)がつくられ、ついには成田詣に出かけられない江戸庶民のために成田山新勝寺不動明王像の「出開帳」とか、巡業開帳が行なわれるようになりました。

1703(元禄16)年、富岡八幡宮の別当・永代寺で最初の「出開帳」が行なわれました。

成田不動の「出開帳」は幕末の1856(安政3)年まで、合計12回を数えましたが、そのうち船橋宿・正福寺、平井村・燈明寺(現・江戸川区平井)、千住宿・勝専寺、品川宿・願行寺、江戸城内という巡行開帳の1回(認めたのは大岡忠相)を除いて深川の永代寺が会場となっているのです(明治14年になって成田山東京別院として深川不動堂が建立されています)。

出開帳は、本尊の不動明王像を成田山から運び、江戸の人々に公開するもの。
1703(元禄16)年の出開帳には5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院も参拝しています。

深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)
深川不動堂境内から移設された石造燈明台

永代寺は明治初年の廃仏毀釈の荒波で廃寺に

そんな永代寺ですが、明治維新の荒波には勝てませんでした。
明治政府の神道に傾倒する政策、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)、神仏分離で永代寺は廃寺に追い込まれてしまいます。

永代寺の建物も庭園も破却され、太政官布達によって明治6年10月19日、深川公園が誕生します。
実は、この公園、上野公園(徳川家ゆかりの寛永寺境内)、芝公園(徳川家ゆかりの増上寺境内)、浅草公園(浅草寺境内=現在の浅草寺から仲見世、浅草六区に至る広大なエリア)、飛鳥山公園(徳川吉宗が指定した庶民の遊興地)とともに日本で最初に造られた公園の一つだったのです。

明治42年には東京市立図書館(深川図書館)も公園内につくられました。
この図書館、日比谷図書館に次ぐ、2番目の東京市立図書館。図書館は当時、公園の西南に位置し、図書館の東側には梅園が北側には桜が植栽されていました。

当時の建物は、明治40年、上野公園一帯で開かれた『東京勧業博覧会』(内国勧業博覧会)の際に、不忍池の畔に瓦斯会社(現・東京ガス)の展示館「瓦斯館」として建てたものを移築再生したもの。ほぼ円形の多角形というモダンな木造洋館でした。関東大震災で焼失し、昭和3年に清澄庭園脇に移転。現在では江東区立深川図書館になっています。
(『東京勧業博覧会』の「瓦斯館」は建物外観に張り巡らしたガス管に2400燈の炎を灯して話題となりました)

ちなみに、江東区富岡1-15-1の永代寺(高野山真言宗)は、永代寺塔頭・吉祥院が、明治29年に名を引き継いで再興したもの。

深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)
西南の深川図書館跡からの眺め

江戸切絵図に見る永代寺

深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)
深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)
名称 深川公園(富岡八幡宮別当・永代寺跡)/ふかがわこうえん(とみおかはちまんぐうべっとう・えいたいじあと)
所在地 東京都江東区富岡1-14
関連HP 江東区公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄門前仲町から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
東京五公園

日本最初の都市公園 東京五公園とは!?

明治6年1月15日の太政官布達第16号「公園設置ニ付地所選択ノ件」で東京府に誕生した5ヶ所の公園が近代における日本最初の公園。浅草公園(浅草寺)、上野公園(現・上野恩賜公園/寛永寺)、芝公園(増上寺)、深川公園(富岡八幡宮)、飛鳥山公園(王

広重の浮世絵&『江戸名所図会』に見る永代寺(現・深川公園)

明治初年の神仏分離、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)で、廃寺となってしまった富岡八幡宮別当(別当=神社を管理する寺)・永代寺。永代寺境内では、江戸時代に11回も成田山新勝寺の不動明王像「出開帳」も行なわれた名刹で、見事な庭園を有していました。今

深川不動堂(成田山新勝寺東京別院)

千葉県成田市にある成田山新勝寺の別院で、深川不動として有名。江戸時代に明王の中でも中心的な存在で、力強い火炎で煩悩を焼き尽くす不動明王を信仰するブームが起こり、とくにその代表格である成田山新勝寺は、あまりの人気で、江戸で出張御開帳をすること

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ