鳥取県鳥取市の鳥取城扇御殿跡に建つ木造瓦葺き2階建ての白亜の洋館が、国の重要文化財に指定される仁風閣(じんぷうかく)。明治40年、鳥取池田家第16代当主・池田仲博(いけだなかひろ)侯爵の別邸として建てられたフレンチルネサンス様式を基調とした洋館。洋館ながらも日本庭園に調和する優雅な外観で、写真撮影にも絶好の地です。
宝隆院庭園を眼前にする見事な洋館
池田仲博侯爵は、明治10年8月28日、最後の将軍・徳川慶喜(とくがわよしのぶ)の五男として生誕。
従兄にあたる侯爵池田輝知が嗣子なくして死去したのに伴い、その次女・亨子(みちこ)と結婚し婿養子として池田侯爵家を相続しています。
明治40年、皇太子・嘉仁親王(よしひとしんのう/後の大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として、鳥取城扇御殿跡に仁風閣を建築。
設計は、赤坂離宮も担当した宮廷建築の第一人者、片山東熊(かたやまとうくま)工学博士によるも。
ジョサイア・コンドルの弟子で、ちょうど東宮御所の建築中でした。
仁風閣は皇太子・嘉仁親王が宿泊に際し、鳥取県下で初めて電灯が灯っています。
仁風閣と名付けたのは、その時皇太子に随行した海軍大将・東郷平八郎なので、池田仲博侯爵の別邸といいながら、山陰行啓時の宿泊施設として建築したことがよくわかります。
螺旋階段のための角尖塔、6つの赤レンガの煙突、1〜2階に吹き抜けとなったバルコニーが印象的な洋館で、フランス風ルネサンス様式が基調。
各室は、「御座所」、「謁見所」など、皇太子が宿舎とした当時の名称で呼ばれています。
1階では、鳥取池田家の歴史をパネルで紹介するとともに、池田家ゆかりの品々などを展示。
宝隆院庭園が仁風閣の後庭として機能し、庭園越しの洋館は実に絵になる眺め。
2階のガラス張りのバルコニーからは池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望にします。
支柱が無く、硬いケヤキを彫った厚板(ささらげた)で支えている螺旋(らせん)階段にも注目です。
眼前の宝隆院庭園は、幕末の文久3年(1863年)、第12代鳥取藩主・池田慶徳(いけだよしのり)が、若くして未亡人となった先代・池田慶栄(いけだ よしたか)の夫人・宝隆院(ほうりゅういん)を慰めるために造営したもの。
鳥取城の「山下の丸」(さんげのまる)の跡地となる仁風閣一帯は久松公園として整備され、春は桜、秋は紅葉の名所となっています。
仁風閣 | |
名称 | 仁風閣/じんぷうかく |
所在地 | 鳥取県鳥取市東町2-121 |
関連HP | 鳥取市文化財団公式ホームページ |
電車・バスで | JR鳥取駅から日本交通バス鳥取砂丘行きで8分、西町下車、徒歩5分 |
ドライブで | 鳥取自動車道鳥取ICから約6.5km |
駐車場 | 16台/無料、市営鳥取世界おもちゃ館駐車場(73台/有料)から徒歩15分。土・日曜、祝日は鳥取県庁駐車場(地上114台・地下79台/無料)も利用可能 |
問い合わせ | 仁風閣 TEL:0857-26-3595/FAX:0857-26-3595 |
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