全国47都道府県と同じ名前を持つ苗字はどのくらいあるのだろうか。石川さん、宮崎さん、千葉さんもいらっしゃるが、なんといっても多いのが山口さん。14位の大姓で、65万人(0.51%)の山口さんが暮らしています。地形姓としては聖なる山の入口を守護する重要な役割の地ということに。
山口県がルーツの山口氏は牛久に!
ぐっさんこと山口智充は、大阪府四條畷市出身。
山口百恵は東京都渋谷区、タレントの山口もえは東京都台東区、元TOKIOの山口達也は埼玉県草加市と実は山口県出身の有名人はほとんど見あたりません。
必死に探して、戊辰戦争に奇兵隊嚮導役として従軍、明治末の陸軍大将・山口素臣(やまぐちもとおみ)くらい。
山口県は、廃藩置県の際、県庁が置かれた山口町(現・山口市)の町名がそのまま県名に採用。
山口県教育委員会にそのあたりを確認すると、
1.長門国(ながとのくに)の方へ行く山道の入口であったことから山の口。
2.『続日本紀』(しょくにほんぎ)にある逵理山(きりやま)、現在の東鳳翩山(ひがしほうべんざん=長門山地の主峰、山口県山口市と山口県萩市に跨る標高734.2mの山)にあった銅鉱山(吉敷郡切畑の銅山)の入口であったことから里人が山口と称した。
3.もともと山口氏という豪族が古城山に城を構かまえていた。
と3つの説があるとのこと。
ちなみに山口さんの数でいえば、山口県では90位と断然少ないのだから、豪族の山口さんは滅亡したのでしょうか?
いたいた、といっては失礼ですが、山口を居城とした戦国大名・大内氏の子孫が、江戸時代牛久藩主の山口氏となり、明治維新まで12代にわたって譜代大名として存続しています。
牛久藩12代の大名である牛久山口氏は、室町時代の守護大名・大内義弘(おおうちよしひろ)の次男・大内持盛(おおうちもちもり)を祖とし、大内氏の本拠地周防国山口の地名をとって山口氏と称したとのこと。
初代・山口重政(やまぐちしげまさ)は、尾張で生誕、尾張に移り先祖の出身地を苗字にしたのです。
織田信雄(織田信長の次男)の家臣・佐久間正勝に仕え、小牧・長久手の戦いに参戦。
以後は徳川秀忠に仕えています。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に従って真田昌幸が守る信濃上田城攻撃に参加。その戦功により、上総国5000石、武蔵国5000石の所領を与えられ合計1万石を領する大名に出世しています。
その後、下野国に5000石を加えられ、1万5000石の大名に。
第2代藩主・山口弘隆(やまぐちひろたか=山口重政の四男)のとき領地が常陸国、下総国に集められ、牛久に陣屋を構えて牛久藩は山口氏の支配で明治時代まで続いています。
牛久陣屋は旧牛久城外郭内の西端、牛久沼に接する台地端にあり、3720坪の敷地。
寛文9年(1669年)、牛久藩2代藩主・山口弘隆が築き、牛久藩の藩庁が置かれた牛久陣屋跡(茨城県牛久市城中町/下の地図参照)。
牛久沼の畔にある陣屋内には13室を備えた御殿も築いていました。
現在、陣屋跡地は小公園となっていて見学も可能。
ちなみに牛久藩の江戸上屋敷は、現在のアメリカ大使館の場所。
牛久の陣屋には藩主が半年(2月〜8月)江戸に滞在した際に上屋敷を使っていました。
名古屋市の鳴海と笠寺もルーツ
同じ周防大内氏の流れの山口氏では尾張国笠寺(名古屋市南区)付近の土豪・山口教継(やまぐちのりつぐ)も。
織田信長の父・織田信秀に従い、駿河国の今川義元に備えるべく鳴海城(なるみじょう)を守備しています。
信秀没後は織田信長に反旗を翻し、今川義元に通じ、子の山口教吉に鳴海城を任せていますが、教継父子は義元により切腹に追い込まれています。
笠寺観音と呼ばれる古刹、笠覆寺(りゅうふくじ)は山口家が尊崇した寺。
東京の山口さんは所沢がルーツか?
東京近郊の人なら、山口といえば山口県でなく遠足で出かけることもある山口貯水池を思いだすかもしれません。
山口貯水池というのだから、当然土地の名前も山口だし、山口さんの一つのルーツの可能性も大。
実は、武蔵国多摩郡村山を領した平頼任(たいらのよりとう)をが武蔵七党の村山党の祖となり、その孫の村山家継(平安時代末期の武将)が入間郡山口に住み山口を名乗ったのが武蔵山口氏の始まり。
村山貯水池の南岸に村山党の村山氏の本拠地があり、北岸に山口氏の居城跡があります。
平安時代末期に武蔵七党村山党の山口家継(やまぐちいえつぐ=武蔵山口氏の祖)の築城したという山口城には堀と土塁の一部が現存。
山口氏の歴代居館として戦国時代まで利用されていました。
また、山口城跡の近くに山口氏の菩提寺の瑞岩寺(埼玉県所沢市山口)も建っています。
瑞岩寺は室町時代の創建で、山口氏3代の墓とされる3基の五輪塔・宝篋印塔などが残されています。
埼玉・東京周辺の山口さんなら大切なルーツといえるでしょう。
古代からの歴史を伝える奈良県
ここまで、山口という名前から山口氏のルーツを追いかけてみたのですが、実は山口姓は、大和国城上郡長谷郷山口を発祥地とする古代の豪族で、武内宿禰(たけしうちのすくね)の子孫が本筋。
山口臣(おみ)、山口直(あたい)、山口忌寸(いみき)など、古代の山口さんも様々な場所で登場しているのです。
奈良県桜井市初瀬字手力雄に鎮座する長谷山口坐神社(はせやまぐちにいますじんじゃ)。
天平2年(730年)の『大和大税帳』には長谷山口の名があり、本殿東の山上には磐境(いわさか=神を祭るための神聖な場所)も残されるので、古代からの歴史が続くことがわかります。
宮殿造営のための御料材伐採のため、あるいは水源確保のため山の入口を守る大切な役割があったのかもしれません。
そのほか、大和国(奈良県)には、穴虫大坂山口神社(奈良県香芝市穴虫)、畝火山口神社(奈良県橿原市大谷町)などといった由緒正しい神社が揃っています。
山口氏はほかに、駿河国三浦郡山口を発祥とする桓武平氏三浦氏族、陸奥国遠野保山口を発祥とする遠野阿蘇沼氏族、信濃国の清和源氏赤井氏族、但馬国の日下部氏族、周防国の菅原氏族など多彩。
山口がつく神社を探してみれば、尾張国山田郡山口の山口神社から古代氏族の山口氏が生まれています(尾張国山田郡山口郷は現在の瀬戸市山口町一帯)。
山口さんは全国ランキングでは14位ながらも、長崎県の大姓1位(2.06%)で、佐賀県で2位(1.98%)、近畿から東北にかけても広く分布しますが、山口県では90位というから面白いところ。
家紋は、主家の大内菱や山口菱が有名。
ほかに唐菱、山口撫子、山口笹、牡丹、丸に雁金、鷹の羽、笹竜胆、飛雀、片喰(かたばみ)、桔梗など。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です
山口さんのルーツを探せ! | |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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