北海道・東北には財団法人日本城郭協会が「日本100名城」に選定する城郭が13あります。しかも栄えある「日本100名城」のNo.1は、根室半島チャシ跡群(北海道根室市)。100名城のうち唯一の近世アイヌの築いたチャシです。北海道・東北の13城のうち、往時の天守が現存するのは、松前城のみとなっています。
日本最北の現存天守は松前城!
東北の名城は明治維新の際に奥羽列藩同盟に加わり、新政府軍に抵抗したため、明治維新の際にことごとく破却されたという歴史があります。
松前藩も当然、幕府方でしたが、箱館奉行所の内陸移転の際に築かれた西洋式城郭の五稜郭も、榎本武揚率いる旧幕府軍が占領し、新政府軍の攻撃を受けています。
というわけで、最北の現存天守は、松前城ということに!
注目は宮城県多賀城市に残る多賀城です。
実はこの城、奈良時代の神亀元年(724年)頃に築かれたと推定される古代の城柵です。
このあたりが奈良時代、大和朝廷の勢力の及ぶ北限だったということがわかります。
No.1 根室半島チャシ跡群
場所=北海道根室市/
日本最北で最東端の「日本100名城」。
根室半島の断崖に守られた近世(16世紀〜18世紀)にアイヌが造営した砦(さらには見張場、祈りの地、チャランケ=談判の場)。
根室半島には24ヶ所のチャシ跡があり、根室半島チャシ跡群はその総称ですが、見学可能なチャシは、ノッカマフチャシ跡と納沙布岬に近い温根元漁港西側のヲンネモトチャシ跡に限られています。
「クナシリ・メナシの戦い」の戦場、処刑場にもなっています。
備考=国の史跡
スタンプ設置場所=根室市歴史と自然の資料館、根室市観光インフォメーションセンター(根室駅前)
No.2 五稜郭
北海道函館市/箱館奉行所
正確な意味での城ではなく、箱館開港に伴い、外国船からの砲撃を意識して箱館奉行所の内陸移転で築かれた庁舎。西洋式の城郭として知られ、五稜郭タワーに上れば、その全貌を視界に収めることができます。
備考=★国の特別史跡、西洋式城郭、日本の歴史公園100選
スタンプ設置場所=箱館奉行所付属建物「板庫(休憩所)」、五稜郭タワーチケット売り場
No.3 松前城
北海道松前町/松前藩(蝦夷地唯一の藩)
北海道で唯一の和式城郭。
ロシアの南進をも意識して江戸幕府の命で築かれた近世城郭で、三の丸には海に向けて7基の砲台が置かれ、さらに城外にも9砲台25門の大砲を配備。
三大兵学者の一人といわれた市川一学(いちかわいちがく)の設計です。
現存するのは本丸御門と寺町の一部のみ。
備考=国の史跡
スタンプ設置場所=松前城資料館施設内
No.4 弘前城
青森県弘前市/弘前藩(津軽藩)
天守、3つの櫓、5つの門が国の重要文化財に指定の弘前藩(津軽藩)の名城で、2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)が築城。
江戸時代には幕府への配慮から天守とは見なさず、櫓(御三階櫓)としていましたが、事実上は天守(「現存12天守」のひとつ)で、現存する「日本最北の天守」となっています。
ちなみに弘前という名は、天海大僧正の命名です。
備考=国の史跡、☆現存12天守、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選
スタンプ設置場所=天守(弘前城史料館)内(11月24日~3月31日は弘前公園緑の相談所内)
No.5 根城
青森県八戸市/中世城郭
後醍醐天皇の皇子・義良親王(のりよししんのう=後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した北畠顕家(きたばたけあきいえ)が南朝方の拠点として築城(連郭式の平山城)。
南朝方の根本となる城という願いから「根城」(ねじょう)と名付けられた中世の名城。
江戸時代に遠野城(岩手県遠野市)築城で廃城に。
備考=国の史跡
スタンプ設置場所=史跡根城の広場料金所、八戸市博物館受付、史跡根城ボランティアガイドハウス窓口
No.6 盛岡城
岩手県盛岡市/南部藩(盛岡南部藩)
不来方城(こずかたじょう)とも呼ばれ、南部藩(南部家)20万石の藩庁。
幕府への遠慮から天守は築かれず、天守台に御三階櫓が建築され代用天守とされていましたが、現存していません。
明治39年、日本人初の公園デザイナーといわれる長岡安平の設計で、岩手公園として開園(愛称は盛岡城跡公園)。
4月中旬〜5月上旬に『盛岡さくらまつり』の会場に。
宮沢賢治や石川啄木ゆかりの地として文学散歩も可能。
備考=国の史跡、東北三大城跡、日本の歴史公園100選、日本の都市公園100選
スタンプ設置場所=プラザおでって2階観光文化情報プラザ、もりおか歴史文化館
No.7 多賀城
宮城県多賀城市/古代城柵
陸奥国府や鎮守府が置かれ、古代、東北の政治・文化・軍事の中心地だったのが古代城柵、多賀城(たがじょう、たがのき)。
当時は平安海進(へいあんかいしん)により、内陸まで海水が浸入し(現在の海水面より50cmほど高かった)、現在とは違う地形でした。
大和朝廷が蝦夷(えみし=アイヌ民族とは異なります)を制圧するための軍事的拠点になっていました。
平城京、大宰府と並び日本三大史跡にも数えられています。
762(天平宝字6)年建立の銘がある(多賀城の修築記念)「多賀城碑」は、多胡碑(群馬県高崎市吉井町)、那須国造碑(栃木県大田原市)、宇治橋断碑(京都府宇治市)と並んで「日本三古碑」のひとつ。
備考=★国の特別史跡、日本三大史跡、日本三古碑
スタンプ設置場所=JR国府多賀城駅連絡通路(24時間押印可能)と多賀城跡管理事務所
No.8 仙台城
宮城県仙台市/仙台藩
青葉城の愛称で知られる仙台の名城。
慶長15年(1610年)、伊達政宗が築城(政宗の時代は本丸のみ)、2代藩主・伊達忠宗が山麓部に二の丸を造営しています。
天守の代わりに本丸、二の丸には62万石という大藩の政務を司る広大な御殿が並んでいました。
大手門隅櫓のみ外観復元されています。
備考=国の史跡、日本の歴史公園100選
スタンプ設置場所=仙台城見聞館展示コーナー
No.9 久保田城
秋田県秋田市/久保田藩(秋田藩)
秋田藩20万石の藩主佐竹氏12代にわたる居城。
本丸と二の丸の周囲に内濠を巡らせ、4棟の平屋と8棟の櫓を築いただけの城で、石垣も天守も築かれていません。
「出し御書院」と呼ばれる櫓座敷を代用天守として、本丸御殿を守る8棟の櫓を築いていました。
備考=御物頭御番所は市の文化財、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本の都市公園100選
スタンプ設置場所=秋田市立佐竹史料館、久保田城御隅櫓
No.10 山形城
山形県山形市/山形藩
山形城は、本丸、二の丸、三の丸が、同心円状に配された最上(もがみ)氏が築いた近世の平城。
その規模は姫路城、江戸城(内郭)に匹敵するほど広大です。
元和8年(1622年)、伊達氏などに睨みを利かす譜代大名として鳥居忠政(三河出身の家康の忠臣)が陸奥・磐城平から山形22万石に移封され、現存する城郭を築いています。
本丸には御殿がありましたが天守は造られることがありませんでした。
備考=国の史跡
スタンプ設置場所=最上義光歴史館、山形市郷土館受付窓口、二ノ丸東大手門櫓内部
No.11 二本松城
福島県二本松市/二本松藩
畠山氏7代当主・二本松満泰が、応永21年(1414年)頃に築城したのが始まり。
丹羽長秀の孫・光重が10万700石で入城した際に近世的な城郭に改築。
藩政時代には丹羽氏の居城に。
幕末に奥羽越列藩同盟に加盟し、新政府軍と闘ったため、明治維新ですべての建物が破却されています。
安土城の石垣を積んだ穴太衆(あのうしゅう)が積んだ天守台が現存。
備考=国の史跡、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選
スタンプ設置場所=二本松市歴史資料館受付窓口、JR二本松駅内観光案内所
No.12 若松城
福島県会津若松市/会津藩
豊臣秀吉の命で、蒲生氏郷の会津移封で(伊達政宗の封じ込み)築城された東北屈指の名城。
7重の壮大な天守は、幕末の戊辰戦争(会津戦争)で焼失。
明治7年に陸軍により城内の建造物は大半が処分となり、本丸「御三階」のみ阿弥陀寺に移されています。
現在の天守は昭和40年に復元されたコンクリート製。
屋根瓦は平成23年の改修工事で赤瓦に復元されています。
紅葉ライトアップ、冬の雪景色、2月の『会津絵ろうそくまつり』と秋から冬も風情豊かです。
備考=国の史跡、日本の歴史公園100選、日本さくら名所100選、東北三名城
スタンプ設置場所=天守閣内売店
No.13 白河小峰城
福島県白河市
白河の関がある白河に建つ奥州関門の名城。
寛永9年(1632年)、初代藩主・丹羽長重(尾張国春日井郡児玉出身の丹羽長秀の長男)が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城。
幕末の慶応4年(1868年)、戊辰戦争(ぼしんせんそう)・白河口の戦い(奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激戦)で炎上して落城し、現在の建物は復元されたもの。
『武士の一分』のロケ地にもなった前御門、三重櫓(天守に相当)などが復元されています。
備考=国の史跡、日本の歴史公園100選
スタンプ設置場所=白河集古苑、JR白河駅内観光案内所
日本100名城 「北海道・東北13城」 完全ガイド | |
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