東北地方の名城は、奈良時代に大和朝廷の北方警備の拠点となった多賀城から、新政府軍と幕府軍(奥羽列藩同盟)の激戦地となった若松城まで、古代から近世までの多様な城があるのが特長です。中世に築かれ八戸氏の拠点となった根城、伊達政宗の居城・仙台城(青葉城)、東北唯一の現存天守・弘前城など、個性派の名城が揃っています。
青森県
青森県は、藩政時代に南部氏の所領だった南部地方(青森県西部)と津軽氏が支配した津軽地方(青森県東部)に2分されます。
津軽地方には弘前藩と黒石藩があって、弘前藩の藩庁となったのが弘前城。現存12天守のひとつ、弘前城天守がシンボルとなっています。
そしてもうひとつ、南北朝時代の建武元年(1334年)、南朝の拠点としての願いを込めて築かれたのが根城(ねじょう)です。
弘前城
弘前藩津軽氏4万7000石の居城
所在地:青森県弘前市下白銀町弘前公園
旧国名:陸奥国
築城年:津軽藩の2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)が慶長16年(1611年)に築城
内容:天守の御三階櫓を含め現存する3つの櫓、5つの門が国の重要文化財
現在は弘前城公園となっていて、ゴールデンウィーク前後には日本屈指のお花見スポットとして賑わいます
司馬遼太郎は「日本七名城の一つ」(『街道をゆく-北のまほろば』/朝日文庫)と紹介
弘前城公園の桜が見事なのは、リンゴ栽培の手法を桜に生かしているからです
根城
南朝方の根本となる城という願いから「根城」と命名
所在地:青森県八戸市根城根城47
旧国名:陸奥国
築城年:南北朝時代の元弘3年・正慶2年(1333年)、後醍醐天皇の皇子・義良親王(のりよししんのう=後村上天皇)を奉じて陸奥国に下向した北畠顕家(きたばたけあきいえ)に同行の南部師行(なんぶもろゆき)が南朝方の拠点として築城
内容:中世の平山城は、本丸周辺が「史跡 根城の広場」として公園化され、本丸部分の建築物が復元されています
岩手県
岩手県は江戸時代には、伊達藩北部と南部藩南部。南部(盛岡)藩南部氏の居城となったのが現在の県庁所在地である盛岡市にある盛岡城です。
土塁の多いみちのくの城郭のなかでは巨大な石垣組の城郭に注目。建造物は現存していませんが見事な石垣が往時を偲ばせてくれます。
盛岡城
「東北三名城」のひとつで石垣が見事
所在地:岩手県盛岡市内丸岩手公園
旧国名:陸奥国
築城年:慶長3年(1598年)に南部信直によって着手され、その子で初代藩主・南部利直、2代藩主・南部重直と受け継がれ、寛永10年(1633年)頃に総石垣の城が完成
内容:鶴ヶ城(若松城)、白河小峰城と並び「東北三名城」のひとつで南部藩20万石の藩庁
花崗岩丘陵に築城された連郭式平山城で、石垣が実に見事
唯一現存する建造物は、江戸時代後期に建てられた彦御蔵(ひこおくら)で、年に1回公開
宮城県
古代に陸奥国の国府が置かれたのが宮城県。
古墳時代にはすでに奈良にあった王権の支配下にあったエリアで、藩政時代には仙台城が仙台藩の藩庁に。
伊達政宗(だてまさむね)は、豊臣家や徳川家への防御の要として天然の要害である青葉山に仙台城を築いたのです。
戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に奥羽越列藩同盟の拠点としても機能しています。
多賀城
古代の東北地方の政治・軍事・文化の中心地は、国の特別史跡
所在地:宮城県多賀城市市川城前
旧国名:陸奥国
築城年:東北から北海道を領有していた蝦夷(えみし)を制圧するため、神亀元年(724年)、按察使(あぜち=地方行政の監督官)大野東人が築城
内容:古代の陸奥国の国府が置かれ、大和朝廷の前線基地となったのが多賀城
貞観11年(869年)、貞観の大地震、それが原因の津波などの大きな被害を受け、10世紀後半には機能を失っています
平城宮、大宰府と並び日本三大史跡
仙台城
伊達政宗が青葉山に築いた東北の名城
所在地:宮城県仙台市青葉区川内1
旧国名:陸奥国
築城年:慶長15年(1610年)、伊達政宗が築城
内容:仙台藩の初代藩主となった伊達政宗が本丸、西の丸、2代藩主の伊達忠宗が二の丸、三の丸(東の丸)を建造、徳川将軍家の警戒を受けないため、天守は築かれませんでした
幕末の戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際には、奥羽越列藩同盟の盟主として幕府側の拠点となりましたが、戦火を見ることなく明治維新を迎えています
大手門脇櫓などが復元され、本丸の政宗公騎馬像の前に立てば、伊達政宗と同じ視線で、城下を眺望できる仕組み
秋田県
藩政時代には久保田藩(秋田藩)の藩庁が置かれたのが久保田城。
関ヶ原の戦いで西軍に内通していた佐竹義宣(さたけよしのぶ)が常陸国から転封され、久保田藩を立藩したのが始まりです。
横手城、大館城などがその支城。
ちなみに、古代に出羽国府が置かれたのが秋田城で、久保田城と秋田城は時代も場所も異なる城です。
久保田城
秋田藩20万石の藩主佐竹氏12代にわたる居城
所在地:秋田県秋田市千秋公園
旧国名:出羽国
築城年:初代秋田藩主となった佐竹義宣(さたけよしのぶ=佐竹氏19代当主・伊達政宗は母方の従兄)が、慶長8年(1603年)、現在の秋田駅にほど近い神明山(しんめいやま/標高40m)に久保田城(平山城)を築城、城下町を整備
内容:石垣ではなく土塁を築いて防御とした城で、天守もなく、「出し御書院」と呼ばれる櫓座敷が代用天守として機能
御物頭御番所が現存し、本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)、本丸表門が復元されています
山形県
藩政時代には、山形藩、庄内藩、新庄藩、上山藩、米沢藩、天童藩、長瀞藩(現・東根市)、出羽松山藩(現・酒田市)などがあり、米沢藩の上杉鷹山、庄内藩の清河八郎などを輩出しています。
「日本100名城」に選出されるのは、山形藩の藩庁、山形城です。
山形城
本丸、二の丸、三の丸が、同心円状に配された近世の平城
所在地:山形県山形市霞城町3
旧国名:出羽国
築城年:南北朝時代の正平12年・延文2年(1357年)、斯波兼頼(しばかねより)が羽州探題(うしゅうたんだい=室町幕府の役職で奥羽を統括)として山形に入り、築城
内容:霞ヶ城(かすみがじょう)とも呼ばれ、二の丸跡が霞城公園として整備
近世城郭としては最上義光(もがみよしあき=伊達政宗の伯父)が江戸時代初期に築城
国内では5番目の広さを誇った城ですが、実際には目まぐるしく変わる藩主、さらには厳しい藩財政であまり手入れが行き届かない城郭でした(二ノ丸の御三階櫓が代用天守)
二の丸東大手門、本丸一文字門などが復元されています。
福島県
藩政時代には会津藩、二本松藩、白河藩、棚倉藩、中村藩、三春藩、磐城平藩、福島藩、泉藩、湯長谷藩、下手渡藩などがあった福島県。
「日本100名城」選出は、会津藩の若松城、二本松藩の二本松城、そして白河藩の白河小峰城です。
二本松城
江戸時代は二本松藩の藩庁となった平山城
所在地:福島県二本松市郭内3-232
旧国名:陸奥国(岩代国)
築城年:畠山氏7代当主・二本松満泰が、応永21年(1414年)頃に築城
内容:標高345mの白旗が峰に城郭が築かれています
近世的な天守が築かれたのは、寛永20年(1643年)、丹羽長秀の孫・丹羽光重(にわみつしげ)が10万700石で入城した際
山頂に本丸が配され、穴太積みの石垣で組まれた天守台があります
若松城
戊辰戦争の白虎隊で知られる若松城は、蒲生氏郷が壮大な天守を創建
所在地:福島県会津若松市追手町1-1
旧国名:陸奥国
築城年:文禄元年(1592年)、キリシタン大名でもある蒲生氏郷(がもううじさと)が入城し、城郭と城下町を整備に着手
内容:寛永20年(1643年)、出羽国山形城から3代将軍・徳川家光に縁の深い保科正之が入城し、明治維新まで会津松平氏の居城に
戊辰戦争の際に天守は焼失を免れましたが、明治7年に陸軍が解体
現存する天守は昭和40年に再建された復興天守
東北三名城のひとつ
白河小峰城
総石垣造りの美しい城で、東北三名城のひとつ
所在地:福島県白河市郭内1
旧国名:陸奥国
築城年:鎌倉幕府の討幕で功を成した結城親朝(ゆうきちかとも)が後醍醐天皇の建武の新政後の興国・正平年間(1340年~1369年)に阿武隈川に臨む小峰ヶ岡に城を構えたのが始まり
内容:近世の城郭は、寛永9年(1632年)に初代藩主・丹羽長重(尾張国春日井郡児玉出身の丹羽長秀の長男)が4年の歳月を費やして完成させた梯郭式の平山城
丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の大名が居城としましたが、慶応4年(1868年)戊辰戦争・白河口の戦い(奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激戦)で炎上して落城、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との攻防の地となって焼失
代用天守の御三階櫓などが復元されています
日本100名城 東北10城 | |
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