博龍軒
福岡県福岡市東区馬出にある博多ラーメンの「元祖」のひとつが博龍軒。地元の人が愛用する庶民派ラーメンの店ですが、創業者の山平進氏はうどん屋台を引いた屋台時代に「赤のれん」の津田茂氏とともに、現在の博多ラーメンの原型となる平…
福岡県福岡市東区馬出にある博多ラーメンの「元祖」のひとつが博龍軒。地元の人が愛用する庶民派ラーメンの店ですが、創業者の山平進氏はうどん屋台を引いた屋台時代に「赤のれん」の津田茂氏とともに、現在の博多ラーメンの原型となる平…
福岡県福岡市中央区大名にある博多ラーメンの老舗のひとつが元祖赤のれん節ちゃんラーメン本店。昭和21年創業で、豚骨スープを使った博多ラーメンの原型を築いた店ともいわれています。麺は極細ながら、平打ち。キクラゲではなく、メン…
札幌、喜多方とともに「日本三大ラーメン」に数えられる博多ラーメン。現在の白濁した豚骨スープ、細くストレートで固茹で、そして替え玉OKは、魚市場近くの「長浜ラーメン」に由来するスタイル。そんな博多ラーメンのルーツといえるの…
福岡県札幌、喜多方と並び、「日本三大ラーメン」にも数えられる博多ラーメン。今も営業を続ける店の中で、最古の歴史を有するのが中洲(福岡市博多区中洲)のど真ん中にあるらーめん博多荘。戦後間もない昭和21年に中洲に開店し、博多…
福岡県福岡市中央区、福岡市営地下鉄天神駅から徒歩3分、天神のどまんなか、警固公園(けごこうえん)に隣接して建つ社が警固神社(けごじんじゃ)。社伝によれば、仲哀天皇9年(西暦200年)、神功皇后が新羅征伐の際、警固大神が現…
城下町秋月の南、福岡県朝倉市三奈木にある黒田一成(くろだかずしげ/黒田美作)の別邸跡の庭園が旧三奈木黒田家庭園(きゅうみなぎくろだけていえん)。明治維新まで黒田家重臣として代々福岡藩の筆頭家老(大老)を務めた三奈木黒田氏…
福岡県行橋市の南西、標高216mと208.7mの双耳峰・馬ヶ岳山頂にある中世の山城が馬ヶ岳城。その築城は古く、天慶5年(942年)、源経基(みなもとのつねもと)による築城と伝えられています。天正15年(1587年)には、…
福岡県行橋市の南西部に位置する周囲約3㎞、面積35万㎡の大規模な古代山城跡が御所ヶ谷神籠石(ごしょがたにこうごいし)。ホトギ山(御所ヶ岳、標高246.9m)の山頂から山麓一帯に長大な花崗岩の石塁が築かれています。発掘調査…
明治16年、明治政府がお雇い外国人の一人、オランダ人技師ヨハニス・デ・レーケを招き、筑後川河口の土砂の堆積防止、若津港の航路確保のために築いたのが若津港導流堤(筑後川導流堤)。設計者のデ・レーケの名を採ってデ・レーケ導流…
熊本県阿蘇郡南小国町、阿蘇山の外輪山、瀬の本高原を流れる田の原川を源流に、熊本・大分・福岡・佐賀の4県を流れて有明海に注ぐ九州一長大な河川が筑後川。幹川流路延長は143kmで、日本第21位、流域面積2863平方キロも日本…
信州松本城主・小笠原忠真(おがさわらたださね)は、寛永6年(1636年)に細川忠利に代わって小倉藩に移封されていますが、そのときに信州から北九州・小倉にもたらした食文化が、「ぬか漬け」。江戸時代、大名の転封で、食文化が変…
福岡県福岡市東区にある筑前国一之宮が筥崎宮(はこざきぐう)。宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)と並び、日本三大八幡宮にも数えられる古社ですが、楼門は文禄3年(1594年)、名島城主・小早川隆景の建立で…
宇佐神宮(大分県宇佐市)、石清水八幡宮(京都府八幡市)と並び、日本三大八幡宮に数えられる筥崎宮(はこざきぐう/福岡県福岡市)。筥崎宮の一の鳥居(石鳥居)は、最も多い明神鳥居の一変形で、刻銘から慶長14年(1609年)、福…
金印(漢委奴国王印)発見の地として知られる福岡県福岡市の志賀島(しかのしま)。鎌倉時代には、元寇(蒙古襲来)の際の第二次侵攻、弘安4年(1281年)の際には元軍に占領されたこともありました。その弘安の役で、高野山の僧侶が…
最初の蒙古襲来・文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。博多湾岸の東西に20kmにも渡って延び、9ヶ所ほどが現存(国の史跡)しますが、…
文永11年10月20日(1274年11月19日)、元軍は博多湾(現・福岡県福岡市)に襲来し、主力部隊となる蒙古・漢軍は百道原に上陸、祖原、鳥飼、赤坂の一帯が激戦の地となりました。元軍の一部隊が陣を構えた古戦場のひとつが祖…
福岡県福岡市東区にある陸繋島の志賀島(しかのしま)。古代、大陸への玄関口で、金印(漢委奴国王印)出土で有名ですが、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)では、元軍と日本軍(鎌倉幕府軍)との激戦地にもなっています。蒙古塚は、戦死した蒙…
二度にわたる博多湾への元寇(げんこう)のうち、文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。福岡市早良区の西新地区(にしじんちく)は、当時、…