志賀島・火焔塚
金印(漢委奴国王印)発見の地として知られる福岡県福岡市の志賀島(しかのしま)。鎌倉時代には、元寇(蒙古襲来)の際の第二次侵攻、弘安4年(1281年)の際には元軍に占領されたこともありました。その弘安の役で、高野山の僧侶が…
金印(漢委奴国王印)発見の地として知られる福岡県福岡市の志賀島(しかのしま)。鎌倉時代には、元寇(蒙古襲来)の際の第二次侵攻、弘安4年(1281年)の際には元軍に占領されたこともありました。その弘安の役で、高野山の僧侶が…
最初の蒙古襲来・文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。博多湾岸の東西に20kmにも渡って延び、9ヶ所ほどが現存(国の史跡)しますが、…
文永11年10月20日(1274年11月19日)、元軍は博多湾(現・福岡県福岡市)に襲来し、主力部隊となる蒙古・漢軍は百道原に上陸、祖原、鳥飼、赤坂の一帯が激戦の地となりました。元軍の一部隊が陣を構えた古戦場のひとつが祖…
福岡県福岡市東区にある陸繋島の志賀島(しかのしま)。古代、大陸への玄関口で、金印(漢委奴国王印)出土で有名ですが、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)では、元軍と日本軍(鎌倉幕府軍)との激戦地にもなっています。蒙古塚は、戦死した蒙…
二度にわたる博多湾への元寇(げんこう)のうち、文永の役後の建治2年(1276年)、鎌倉幕府執権・北条時宗が元軍の再襲来に備えて九州の諸武将に命じて築かせた石築地が元寇防塁。福岡市早良区の西新地区(にしじんちく)は、当時、…
高良大社(こうらたいしゃ)は、筑後国の一之宮で、福岡県久留米市の霊山・高良山(こうらさん/標高312m)の山上に鎮座し、山頂に高良山奥ノ院(奥宮)、中腹に高良大社が建っています。さらに山腹には古代の山城、高良山神籠石(こ…
福岡市中央卸売市場鮮魚市場(長浜鮮魚市場)に隣接する地上13階のビルが福岡市鮮魚市場市場会館。市場関係の1000人以上の人が働く場所ですが、1階には食堂街、2階には魚について楽しく学べる「市場PRプラザ」(愛称:魚っちん…
昭和30年、長浜3丁目の埋め立て地に誕生した福岡市中央卸売市場水産部。西日本有数の消費地市場として機能する福岡市中央卸売市場鮮魚市場ですが、金額では全国一の水揚高を誇る産地市場。地元では長浜鮮魚市場の通称で親しまれ、市場…
福岡市街を流れる那珂川の柳橋のたもとにある昔ながらの市場が柳橋連合市場。鮮魚店を中心に肉屋、乾物店、八百屋貨などなんでも揃う福岡市民の台所で「博多の台所」と呼ばれています。市民だけでなく、地元のプロもご愛用の店が多く、「…
「北九州の台所」と呼ばれる北九州市小倉の市場が旦過市場(たんがいちば)。大正の初め、神嶽川(かんたけがわ)を上る伝馬舟(てんません=艀・はしけ)が玄界灘で揚がったイワシを販売したのに始まるという歴史ある市場。海産物を中心…
海の上に人工島を築き、平成18年3月16日に開港した北九州空港(福岡県北九州市小倉南区)と九州本土側(福岡県苅田町)を結ぶ福岡県道245号(新北九州空港線)の道路橋が新北九州空港連絡橋。通行料無料の橋としては伊良部大橋(…
正月の初詣として、三つの神社を詣でる三社詣は西日本で行なわれ、とくに九州地方で盛んです。なかでも人気の三社詣が「福岡三社詣」で、筥崎宮(福岡市)、宮地嶽神社(福津市)、太宰府天満宮(太宰府市)を巡るもので、今も多くの巡礼…
福岡県福津市にある神功皇后(じんぐうこうごう=『日本書紀』に記載の仲哀天皇の皇后、新羅遠征の折りに当地に滞在したという伝承があります)を主祭神とする古社が宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)。大注連縄、大太鼓、大鈴の3つの日…
福岡市の西に突き出す糸島半島の北部、志摩地域に位置する福岡県糸島市の海岸に、150mほど沖合いに大きな注連縄で結ばれた夫婦岩があります。ここが伊勢の二見ヶ浦に似ていることから桜井二見ヶ浦(筑前二見ヶ浦)と呼ばれる景勝地。…
毎年12月1日~翌年2月末日、福岡県柳川市で『こたつ舟運航』。柳河城築城の際に築かれた堀を巡るのが柳川の川下り。運航する水郷柳川観光では冬季にこたつ舟を運航。コースは、下百町~御花または沖端までの片道(ただし2月中旬の水…
2024年11月1日(金)〜11月3日(日・祝)、福岡県柳川市で『第72回白秋祭水上パレード』が行なわれます。詩聖・北原白秋は、昭和17年11月2日に没(11月2日は白秋忌)で、故郷の柳川市では命日を挟んで『白秋祭水上パ…
『からたちの花』、『雨ふり』などの詩集で有名な北原白秋(きたはらはくしゅう)は、明治18年1月25日(戸籍は2月25日)に山門郡沖端村石場五五番地(現・柳川市沖端町55)の海産物問屋に生まれ、明治37年(20歳)まで柳川…
日本を代表する詩人、北原白秋は明治37年、20歳で上京するまでを現在の福岡県山門郡沖端村(現・福岡県柳川市)で過ごしています。少年時代、母方の叔父や出入り商人から内外の物語や珍しい話を聞き、文学への憧れを募らせていったと…