如意輪寺
奈良県吉野町の吉野山からは谷ひとつ挟んで離れた地に建つ浄土宗の古刹が如意輪寺(にょいりんじ)。平安時代の延喜年間(901年~922年)創建で、後に後醍醐天皇が吉野に行宮(あんぐう)を定めた際に勅願寺となり、本堂背後には吉…
奈良県吉野町の吉野山からは谷ひとつ挟んで離れた地に建つ浄土宗の古刹が如意輪寺(にょいりんじ)。平安時代の延喜年間(901年~922年)創建で、後に後醍醐天皇が吉野に行宮(あんぐう)を定めた際に勅願寺となり、本堂背後には吉…
奈良県吉野郡吉野町の吉野山・中千本ある「陀羅尼助」(だらにすけ)の本家。「フジイ陀羅尼助丸」は江戸時代からの歴史を伝える胃腸薬。吉野山に伝わる「陀羅尼助」は、修験道開祖である役行者(えんのぎょうじゃ=役小角・えんのおづぬ…
奈良県奈良市、春日大社の社殿から少し離れた駐車場の西側にあるのが春日大社神苑萬葉植物園。昭和7年、『万葉集』にゆかりの深い春日野(かすがの)の地に「萬葉植物園」として開園した歴史ある万葉植物園。現在は、神聖な社の一部を公…
奈良県奈良市、若草山の山麓に明治13年に造られた東西4km、南北2km、660haにおよぶ広大な都市公園。奈良市街の東方、興福寺・東大寺・春日大社・国立博物館一帯から、さらにその東に広がる春日山原始林までを含む広域の公園…
奈良県五條市の五條市新町通りは、紀州街道に面した往時の家並みが残され、五條市五條新町伝統的建造物群保存地区に指定されています。吉野川下流沿いに開けた大和盆地の西南にあたる五條は、古くから大坂(大阪)と紀伊を結ぶ交通の要衝…
奈良県橿原市(かしはらし)にある今井町は、室町時代末期の天文年間の頃(1532年~1555年)、今井兵部卿豊寿(いまいひょうぶきょうとよひさ)が一向宗道場を設け、それを拠点にして一向宗徒が集まり、寺内町が形成されたのが始…
奈良県吉野郡十津川村の東南に位置する標高1076.4mの歴史ある名峰が玉置山(たまきさん)。大峰山系の一峰で、山頂直下の9合目、標高1000m付近に熊野三山の奥宮である玉置神社、出雲大社教社殿、神楽殿などが建っています。…
西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の入口、死者の魂が赴く地とされた二上山(にじょうさん/奈良県葛城市)の山麓にある古刹、當麻寺(当麻寺/たいまでら)。中将姫(ちゅうじょうひめ)が織ったという西方極楽浄土の様子を表し…
南都とは、奈良時代に都があった現在の奈良市のこと。和銅3年(710年)の平城京遷都後、南都(奈良)とその周辺にあった朝廷の保護を受けた東大寺、西大寺、法隆寺、薬師寺、大安寺、元興寺、興福寺の7ヶ寺が南都七大寺(なんとしち…
奈良県奈良市にある元興寺(がんごうじ)はかつて南都七大寺として栄えた寺。蘇我馬子(そがのうまこ)が飛鳥(あすか)に建立した日本最古の本格的仏教寺院・法興寺(現・飛鳥寺)が平城京遷都に際して平城京(奈良)に移転し、元興寺と…
奈良県奈良市にある南都七大寺のひとつに数えられる古刹が大安寺(だいあんじ)。聖徳太子が平群郡額田部に建立した熊凝精舎が創始で、推古天皇30年(622年)、推古天皇が田村皇子(後の舒明天皇)を派遣して聖徳太子の病気を見舞っ…
奈良県奈良市の奈良公園にある周囲360mの池が猿沢池(さるさわのいけ)。猿沢池から眺めた興福寺の五重塔は、奈良でもっとも人気のある景色で、「猿沢池月」 は、室町時代に誕生した南都八景のひとつ。池はもともと興福寺が行なう『…
生駒山(奈良県生駒市)に架かるケーブルカーで、近畿日本鉄道生駒鋼索線が正式名ですが一般には生駒ケーブルと呼ばれています。鳥居前駅~宝山寺駅の宝山寺線(全長948m、標高差146m、最大勾配227‰=大正7年開通、)と宝山…
昭和38年、奈良県吉野町、紀の川水系津風呂川に建設された津風呂ダムのダム湖が津風呂湖。利水専用の多目的ダムで、周辺地域の上水道や灌漑用水に利用されています。堤高54.3mで、ダム堰堤からは湖の奥に竜門岳(904.1m)を…
奈良県御所市にある巨大な方墳が、室ネコ塚古墳(猫塚古墳)。葛城地方では最大の前方後円墳である室宮山古墳(むろみややまこふん/5世紀初頭築造、墳丘長238m)の陪塚(ばいちょう)で、室宮山古墳の周濠に外にある周堤にのるよう…
奈良県御所市にある巨大な前方後円墳が室宮山古墳(むろみややまこふん)。墳丘長も200mを超える墳丘長238mで、全国の巨大古墳TOP20にランクインしています(国内18位の巨大古墳)。5世紀初頭の築造で、周濠が築かれ、周…
奈良県奈良市丸山にある巨大な円墳が富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん)。平成29年度の航空レーザ測量、平成30年度の発掘調査で、墳頂部に粘土槨 (埋葬施設) をもつ直径109mの造出し付円墳(日本最大の円墳)であることが…
奈良県橿原市鳥屋町にある一辺90mという巨大な方墳が桝山古墳(ますやまこふん)。宮内庁により、身狭桃花鳥坂墓(むさのつきさかのはか)として、第10代崇神天皇(すじんてんのう)皇子の倭彦命(やまとひこのみこと)の墓に治定さ…