日本煉瓦製造会社旧変電室
渋沢栄一が明治21年に故郷に近い、埼玉県榛沢郡上敷免村(現・埼玉県深谷市)に創業した日本煉瓦製造会社。東京に近い現・深谷市はレンガ焼成の土が容易に手に入り、輸送に便利という利点があったのです。明治39年、蒸気機関から電動…
渋沢栄一が明治21年に故郷に近い、埼玉県榛沢郡上敷免村(現・埼玉県深谷市)に創業した日本煉瓦製造会社。東京に近い現・深谷市はレンガ焼成の土が容易に手に入り、輸送に便利という利点があったのです。明治39年、蒸気機関から電動…
埼玉県深谷市は、日本の近代化を、レンガ生産で支えた「レンガのまち深谷」。渋沢栄一が設立し、明治21年に創業を開始した旧日本煉瓦製造株式会社の敷地内にある明治20年築の洋館が、日本煉瓦製造会社旧事務所。国の重要文化財に指定…
渋沢栄一らが明治21年に埼玉県榛沢郡上敷免村(現・深谷市上敷免)に創業した日本煉瓦製造会社。生産されたレンガの大量輸送を可能にしたのが、明治28年に日本鉄道・深谷駅から敷設した4.2kmに及ぶ専用の引込線。途中、備前渠鉄…
現在の埼玉県深谷市にあった旧日本煉瓦製造会社(明治21年創業)で大量に生産されたレンガは、日本の近代化に多大な貢献を果たしていますが、大量輸送を可能にしたのが、深谷駅から敷設された専用の引込線。廃線跡は、遊歩道「あかね通…
明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯…
長野県茅野市(ちのし)、古くから別荘地として愛されてきた蓼科高原(たてしなこうげん)。そのシンボルといえるのが、昭和26年に完成した人造湖の蓼科湖です。面積8.5ha、最深部7mで、湖面の標高は1244m。緑に囲まれた高…
諏訪湖周辺にある4つの諏訪大社のなかで、もっともにぎわいをみせるのが、諏訪大社下社秋宮(しもしゃあきみや)。中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点、下諏訪宿(現・長野県下諏訪町)に建ち、江戸時代にも街道を歩く旅人や大名…
埼玉県秩父市にある曹洞宗の寺、常楽寺。秩父三十四所観音霊場・札所11番で、西武鉄道西武秩父駅、秩父鉄道秩父駅・御花畑駅から徒歩圏内にある札所。本尊は、十一面観世音で、明治初年までは天台宗の寺で、第18代天台座主で比叡中興…
長野県下諏訪町は、中山道(なかせんどう)と甲州街道の合流点。街道時代の面影を色濃く残しているのが、諏訪大社下社秋宮(すわたいしゃしもしゃあきみや)あたりの旧中山道です。本陣を務めた岩波家には、街道時代の建物の一部と庭園が…
長野県下諏訪町、諏訪大社下社春宮(すわたいしゃしもしゃはるみや)の脇を流れる、砥川(とがわ)沿いの畑のなかに鎮座する阿弥陀仏が、万治の石仏(まんじのせきぶつ)。高さ2m、どっしりとした椀形をした石の上に、小さな愛らしい頭…
昭和42年9月25日に発売された鶴岡雅義と東京ロマンチカのデビュー曲が『小樽のひとよ』。累計売上は150万枚を超える大ヒット曲ですが、北海道小樽市の小樽運河散策路に『小樽のひとよ』歌碑が築かれています。ご当地ソングの多い…
阿寒湖(北海道釧路市)といえば特別天然記念物のマリモですが、青函連絡船で北海道に渡った時代は、阿寒湖のマリモを見るというのは夢のような話でした。そんな昭和28年、大ヒットしたのが『マリモの唄』。阿寒湖畔に『マリモの唄』歌…
昭和47年2月に北海道札幌市で開催された『1972年札幌オリンピック』のテーマ曲が『虹と雪のバラード』(作詞:河邨文一郎、作曲:村井邦彦)。『虹と雪のバラード』歌碑は2月11日、札幌オリンピックのスキージャンプ競技90m…
岩手県和賀郡西和賀町(旧・湯田町)を流れる和賀川(わがかわ)を堰き止め、昭和39年に完成した重力式アーチダムが湯田ダム。堤高89.5m、洪水調節、不特定利水、水力発電を目的とした多目的ダムで、ダム湖は10月中旬~10月下…
大正7年、旧呉鎮守府水道の貯水池として、築造された水道用のダムが本庄水源地堰堤(本庄ダム)。堤高25m、堤頂長97mで、完成当時には東洋一の規模を誇っていました。稼働している水道施設としては全国初の国の重要文化財。通常時…
昭和9年に東海林太郎(しょうじたろう)が歌った大ヒット曲『赤城の子守唄』(作詞:佐藤惣之助・作曲:竹岡信幸)、そして昭和14年の『名月赤城山』(作詞:矢島寵児・作曲:菊地博)。国定忠治と赤城山をテーマにしたこの2曲の歌碑…
武田家滅亡の始まりともいえる長篠の戦い。愛知県新城市、新東名高速道路・長篠設楽原パーキングエリア近くの茶臼山(ちゃうすやま)にあるのが長篠設楽原古戦場(ながしのしたらがはらこせんじょう)の織田信長戦地本陣跡。織田信長は長…
愛知県新城市、長篠の戦いの設楽原決戦の地近くにのが新城市設楽原歴史資料館。織田・徳川連合軍が鉄砲3000丁、馬防柵を準備して武田の騎馬隊を退けたとされる「長篠・設楽原の戦い」と幕末の日米修好通商条約調印の立役者である岩瀬…