文永11年10月20日(1274年11月19日)、元軍は博多湾(現・福岡県福岡市)に襲来し、主力部隊となる蒙古・漢軍は百道原に上陸、祖原、鳥飼、赤坂の一帯が激戦の地となりました。元軍の一部隊が陣を構えた古戦場のひとつが祖原山(標高33m)。眺めのいい山頂部は、祖原元寇古戦場跡として整備され、記念碑が立っています。
元寇(文永の役)で元軍が陣を築いた地のひとつ
元軍に対し、日本軍(鎌倉幕府軍)は、総大将・少弐景資(しょうにかげすけ)、肥後の御家人・菊池武房(きくちたけふさ)、竹崎季長(たけざきすえなが)らがこれを迎え討ち、勝敗が決しないまま元軍は引き上げています。
これが文永の役(ぶんえいのえき)。
この経験から御家人を動員し、20kmにも及ぶ元寇防塁(石築地)を博多湾岸に築いたことで、弘安4年(1281年)、第二次侵攻である弘安の役で、元軍は防塁での防備体制に苦戦し、正面攻略を避け、志賀島に上陸しています。
記念碑の文面は「元寇麁原戦跡」。
麁原(そはら)というのは当時の名で、現在は祖原。
小さな丘の祖原山全体が祖原公園として整備されています。
この地に陣取った元軍は、「てっぽう」、「毒矢」などを使い、集団戦法で日本軍を翻弄します。
その後、麁原(そはら)から出陣した元軍を竹崎季長、白石通泰、福田兼重ら御家人たちが鳥飼潟で迎撃し、元軍指揮官の一人・劉復亨と思われる人物が矢傷を受けたこともあり、博多湾の船団へ、さらには母国へと引き上げています。
祖原公園一帯は市街地のため、駐車場がないのでご注意を。
画像協力/福岡市
祖原元寇古戦場跡 | |
名称 | 祖原元寇古戦場跡/そはらげんこうこせんじょうあと |
所在地 | 福岡県福岡市早良区昭代1-7 |
関連HP | 福岡市公式ホームページ |
ドライブで | 福岡都市高速百道ランプから約2.5km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 福岡市経済観光文化局 TEL:092-711-4666 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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