日本100名城 東海地区11城

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の地に建つ「日本100名城」は11城。

岐阜県の名城

岐阜の名城といえば、岐阜城が筆頭。
濃尾平野の「扇の要」に位置する稲葉山城(岐阜城)を奪うために織田信長は、居城を清洲城(愛知県清須市)から小牧山城(愛知県小牧市)へ。
そしてついに岐阜城と、濃尾平野を北へ北へと居城を移しています。
それほど岐阜城が信長の天下統一にとって重要な地勢だったことがわかりま
す。

岐阜城

「天下布武」を旗印に、信長が天下統一を目指した拠点

所在地:岐阜県岐阜市金華山天守閣18
旧国名:美濃国
築城年:鎌倉時代の建仁元年(1201年)、二階堂行政が稲葉山に砦を築いたのが始まり
内容:斎藤道三(斎藤利政)の築城した稲葉山城を織田信長が攻略し、岐阜と改名して修築
岐阜城は「天下布武」を旗印に、信長が天下統一を目指した拠点となった重要な城です

岐阜城

岐阜(ぎふ)の市街を見下ろす金華山(329m)の山頂に建つ山城。かつては斎藤道三の居城・稲葉山城でしたが、1567(永禄10)年、織田信長は小牧山城(愛知県小牧市)から本拠を移し、新たに山城を築城して岐阜城と改名しました。織田信長は、岐阜城

岩村城

日本三大山城に数えられる難攻不落の城

所在地:岐阜県恵那市岩村町城山
旧国名:美濃国
築城年:文治元(1185)年、源頼朝の重臣・加藤景廉(かとうかげかど)が築いたのが始まり
内容:標高721mの城山の山頂に築かれた堅牢な山城(高低差180m)
日本三大山城の一つに数えられる山城で、「女城主おつやの方」で目下売り出し中

岩村城

標高721mの城山の山頂に築かれ、高低差180mの地形を活かした堅固な山城が岐阜県恵那市岩村町にある岩村城。大和・高取城、備中・松山城と並び、「日本三大山城」のひとつに数えられています。地形的な要因で霧が立ちこめやすいことから「霧ケ城」とも

静岡県の名城

静岡県には家康が晩年を過ごした駿府城を筆頭に名城が数多く、「出世の城」として地元がPRする浜松城ですら「日本100名城」から漏れるという地。
山中城は箱根山中に眠る中世の山城です。

駿府城

家康が「大御所政治」を展開した駿府城

所在地:静岡市葵区駿府城公園1-1
旧国名:駿河国
築城年:天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、駿河(現在の静岡県東部)を領有した徳川家康が、駿河の府中(駿府)の城として築いたのが駿府城の始まり
ただしそれ以前には今川氏の居館がありました
内容:家康の命で天下普請で築城された城、名目上は、1609(慶長14)年に駿府藩主となった徳川頼宣(とくがわよりのぶ/徳川家康の十男、後に紀州藩主となり紀州徳川家の祖)による駿府藩50万石の藩庁として築かれていますが、家康はここで外交などを含めて大御所政治を展開
まさに駿河の府(府中)にある城で、家康は今川義元の居城時代にこの駿府で人質生活を送っています。

駿府城(駿府城公園)

静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四聯隊の兵営があった場

駿府城(豊臣秀吉築城)

【知られざるニッポン】vol.45 豊臣秀吉が築城した「駿府城」とは!?

静岡市街の中心地、駿府城公園は、将軍職を徳川秀忠に譲り大御所時代の駿府城の跡だとされています。全国の大名に命じて(天下普請)築城させたのが現在の駿府城です。それは歴史的事実なのですが、駿府城の天守台跡の発掘調査で、豊臣秀吉が築城を命じた「駿

家康は駿府城に3回、天守を建てている!(駿府城本丸を詳細に解説)

徳川家康は生涯のうち、3回駿府城に天守を建てています。最初に駿府に来たときは、天文16年(1547年)、今川氏全盛期である9代・今川義元の時代。家康も松平竹千代という幼名を名乗っています。人質として6歳から19歳までの12年間を駿府で過ごし

家康は駿府城で大御所政治を展開!(駿府城に手植えのみかんが現存)

慶長10年(1605年)、将軍職を子の徳川秀忠に譲り、駿府に隠居を予定した徳川家康は、天下普請によって駿府城を大修築。慶長12年(1607年)には駿府城を居城として「大御所政治」が始まります。駿府城は、名目上は徳川頼宣が城主(慶長14年から

山中城

箱根山中に築かれた西国を睨んだ北条氏の城

所在地:静岡県三島市山中新田
旧国名:伊豆国
築城年:永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)
内容:豊臣秀吉の小田原攻めの激戦の地となった小田原城の出城が山中城(出城ながら東西1.7km、南北2.6kmという大規模な城)
その名の通り、箱根山中にあり、急峻な箱根外輪山の地形を巧みに活かし、東西を結ぶ東海道を城内(三の丸)に取り込むようなかたちで築城

山中城

永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)で、箱根十城のひとつ。東海道の三島神社から箱根へと上る途中に位置する中世の山城跡で、箱根山外輪山から西に伸びる尾根を

ちょっぴり無名! 山中城は「日本百名城」のひとつ!

静岡県内にある「日本百名城」(財団法人日本城郭協会が選定する100の名城)は、どこでしょう?駿府城、浜松城、掛川城、そして円形の縄張りが珍しい田中城と、静岡県内には名城がたくさんあります。正解は、駿府城(静岡市)掛川城(掛川市)、そして山中

掛川城

山内一豊の居城として名高い東海道の名城

所在地:静岡県掛川市掛川1138-24
旧国名:遠江国
築城年:文明年間(1469年〜1487年)に守護大名・今川義忠(いまがわよしただ/今川義元の祖父)が築城したのが始まり
内容:東海道の要衝に位置する掛川城
豊臣秀吉の直臣・山内一豊が大幅に改修した城です
天守は高知城を模しての木造の再建天守(平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守)ですが、二の丸御殿が現存しています

掛川城

東海道の要衝を守る名城、掛川城。現在の天守は、平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守ですが、往時の様子を忠実に再現しています。近世城郭を築いたのは、平成18年のNHK大河ドラマ『功名が辻』の主人公・山内一豊。天下分け目の関ヶ原合戦前

掛川城御殿

掛川城の二の丸にある御殿。御殿とは、藩主や藩の重役が政務を司る城主の公邸、藩の役所、公式式典の場などとして使用された建物。藩政時代の御殿がそのままの姿で現存するのは非常に希少で、掛川城に登城するなら必ず立ち寄りたい場所です。黒澤明監督最後の

愛知県の名城

江戸時代には全国の大名の大半が愛知県出身者。尾張名古屋は城でもつといわれたとおりに、名古屋城は愛知県筆頭の名城です。
愛知県からは天守が国宝の犬山城、家康の生まれた岡崎城が「日本100名城」に選ばれています。

名古屋城

日本三名城のひとつ

所在地:愛知県名古屋市中区本丸1-1
旧国名:尾張国
築城年:大永年間(1521年〜1528年)に、尾張へ侵攻した駿河守護・今川氏親(いまがわうじちか=今川義元の父)が築城したのが始まり
内容:徳川御三家筆頭といわれた尾張藩の藩庁が名古屋城で、加藤清正(尾張国出身)などおもに西国の諸大名が天下普請(てんかぶしん)で築城
江戸城、大坂城と並び三名城のひとつ
現存天守は昭和34年に再建の復興天守ですが、屋根の上には金鯱がのっています
江戸時代以前の名古屋城は、信長の居城でもある那古野城です
平成22年に築城開始400年を迎え、総事業費約150億円をかけて本丸御殿を復元、内部が公開されています

名古屋城

1612(慶長17)年築城の名古屋城は、明治時代まで約250年間、徳川御三家の筆頭尾張家の居城。現在、名古屋城の城跡は名城公園として整備されています。金の鯱(しゃちほこ)で知られる大天守閣は戦災で焼失し、昭和34年に再建されたもの。江戸城、

名古屋城・天守礎石

名古屋城・天守礎石

愛知県名古屋市中区、名古屋城の本丸・天守横の不明門(ふめいもん)から北に歩いた、御深井丸(おふけまる)エリアにあるのが、天守礎石。昭和20年5月14日の名古屋大空襲で、名古屋城天守は焼失。天守台にあった天守礎石は、昭和34年の天守再建の際に

那古野城

那古野城

愛知県名古屋市中区、現在の名古屋城二之丸跡にあった中世の城が、那古野城(なごやじょう)。大永年間(1521年〜1528年)に今川氏親(今川義元の父)が築城した城ですが、織田信長が育ち、さらには徳川家康が駿府生活の前、人質生活を過ごした時代に

犬山城

国宝の天守は現存最古の天守

所在地:愛知県犬山市犬山北古券65-2
旧国名:尾張国
築城年:天文6年(1537年)、眺めがよく、天然の要害である現在の地に織田信長の叔父にあたる織田信康が平山城を築いたのが始まり(それ以前は木曽川に臨んだ砦)
内容:国宝に指定される「国宝五名城」(ほかは姫路城、松本城、彦根城、松江城)のひとつ
現在は天守のみが現存していますが、天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の天守といわれています

国宝犬山城

姫路城、彦根城、松本城、松江城と並ぶ国宝の天守が犬山城。天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式。木之下城(現・愛知県犬山市犬山愛宕・愛宕神社)から城郭

日本100名城 東海地区11城

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の「三英傑」を輩出した東海地方。信長が今川義元を破った桶狭間の合戦、織田・徳川連合軍が武田軍を撃破した長篠の戦い、そして信長亡き後の天下人を決めた小牧・長久手の戦いも東海地方が舞台。その激動の地に建つ「日本100

岡崎城

神君・家康が出生した城

所在地:愛知県岡崎市康生町561
旧国名:三河国
築城年:享禄3年(1530年)~享禄4年(1531年)頃、松平清康(徳川家康の祖父)が築いたのが始まり
内容:徳川家康は、三河松平家第8代・松平広忠の嫡男として天文11年12月26日(1543年1月31日)、岡崎城二の丸に生誕
神君・家康が出生した城として、江戸時代には参勤交代の大名も緊張感を持って通ったであろう岡崎の名城
天守などは昭和34年の再建ですが、産湯の井戸も残されています

岡崎城

岡崎城(愛知県岡崎市)は、徳川家康が出生した城として有名。天守は明治時代に取り壊され、現在の天守は、昭和34年の再建で、1617年(元和3)に本多忠利が再建したものをモデルとしたもの。2〜4階は、江戸時代の岡崎を紹介する資料館として公開され

「神君出生の城」岡崎城

大河ドラマなどで好評を博す徳川家康。名古屋市では織田信長、豊臣秀吉とともに三英傑に数えられていますが、出身は尾張国(愛知県西部)ではなく、三河国(愛知県東部)の岡崎。岡崎城を拠点に三河を統一、江戸幕府を開いていますが、「神君出生の城」といわ

長篠城

武田VS徳川・織田連合軍の長篠の戦いの舞台

所在地:愛知県新城市長篠
旧国名:三河国
築城年:今川氏親の家臣、菅沼元成が永正5年(1508年)に築城
内容:豊川と宇連川の合流点に位置し、自然の要害を巧みに利用した山城で、織田・徳川連合軍の鉄砲隊で有名な長篠の戦いで知られる名城
奥三河に位置する長篠は、武田信玄が上洛するためには避けては通られない場所にあったのです

長篠城

長篠城

長篠城(ながしのじょう)は、今川氏親の家臣、菅沼元成が1508(永正5)年に築いた城。1575(天正3)年の長篠の戦いで、時の城主・奥平貞昌(おくだいらさだまさ=奥平信昌)がわずか500の兵で籠城し、1万5000という大軍を擁した武田勝頼の

長篠城址史跡保存館

長篠城址史跡保存館

長篠城は、豊川(寒狭川)と宇連川(三輪川)の合流地点に位置し、ふたつの川を堀に見立てた天然の要害。「長篠城址史跡保存館」は、国指定史跡の長篠城本丸跡脇に建つ城を模した博物館で、戦国時代の武具や出土品を収蔵展示しています。「長篠の攻防」に関す

三重県の名城

伊賀忍者で知られる伊賀上野、商都・松阪の発展の基礎となった松坂城の2城が選定されていますが、いずれも築城の名手が手掛けた城。
東海道の要衝を守った桑名城など100名城から漏れた名城も数多くあります。

伊賀上野城

築城の名手、藤堂高虎が大改修

所在地:三重県伊賀市上野丸之内106
旧国名:伊賀国
築城年:天正9年(1581年)に伊勢に侵攻した織田信雄(おだのぶかつ=信長の次男)の家臣・滝川雄利が平清盛が建立と伝わる平楽寺跡に城郭を築いた
内容:築城の名手、藤堂高虎(とうどうたかとら)が拡張した伊賀上野城
現存する天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城という名が付いています

伊賀上野城

1581(天正9)年に伊勢に侵攻した織田信雄(おだのぶかつ=信長の次男)の家臣・滝川雄利が平清盛が建立と伝わる平楽寺跡に城郭を築いたのが伊賀上野城の創始。1608(慶長13)年、伊賀・伊勢両藩の藩主となった藤堂高虎は津城には手を加えなかった

松坂城

信長の娘婿で築城の名手・蒲生氏郷が手掛けた名城

所在地:三重県松阪市殿町1385
旧国名:伊勢国
築城年:豊臣秀吉により近江・日野城主から伊勢・松ヶ島城に封じられた蒲生氏郷(がもううじさと)が、天正16年(1588年)に築城
内容:蒲生氏郷が築城した松坂城
日野に住む近江商人を町の中心部に呼び寄せて日野町とし楽市楽座を設けたのが商都として発展した松阪のルーツにもなっています。

松坂城

1584(天正12)年、豊臣秀吉により近江・日野城主から伊勢・松ヶ島城に封じられた蒲生氏郷(がもううじさと)が、四五百森(よいおのもり)に、1588(天正16)年に完成させた平山城が、松坂城。江戸時代初期には松坂藩の藩庁が置かれ、廃藩後は城

日本100名城 東海地区11城
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
岐阜県六大名城

岐阜県六大名城とは!?

肥沃な濃尾平野の扇の要となる美濃国(岐阜県南部)は、斎藤道三、織田信長の覇権争いの地。信長が天下布武を掲げた岐阜城、日本三大山城の岩村城が日本100名城。続日本100名城選定の郡上八幡城、苗木城、美濃金山城、大垣城の計6城が岐阜県六大名城と

静岡県七大名城

静岡県七大名城とは!?

旧国では県の西部が遠州、東部が駿河と伊豆に分かれる静岡県。戦国時代には今川氏の領有ですが、今川家滅亡後に徳川・武田の激戦地に。日本100名城の駿府城、掛川城、山中城、そして続日本100名城選定の興国寺城、諏訪原城、高天神城、浜松城の合計7城

愛知県七大名城

愛知県七大名城とは!?

地元で三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の出身県でもある愛知県。日本100名城選定の名古屋城、岡崎城、長篠城、犬山城(国宝天守)と、続日本100名城選定の小牧山城、吉田城、そしてちょっぴり無名の古宮城が愛知県七大名城といえる城です。名古

三重県六大名城

三重県六大名城とは!?

戦国時代に織田信長が一揆軍に手を焼き、江戸時代初期には徳川幕府が大坂城へ睨みを効かせた三重県(伊勢・伊賀)。日本100名城に選定の伊賀上野城、松坂城、続日本100名城の津城、多気北畠氏城館、田丸城、赤木城が三重県六大名城で、築城の名手、藤堂

 

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