造山古墳

造山古墳

岡山県立歴史公園、吉備路風土記の丘に含まれる古墳群のひとつで、国の史跡に指定されるのが岡山市北区にある造山古墳(つくりやまこふん)。古墳時代中期、5世紀初めの建造と推定される前方後円墳で、全長350m、高さ24m。日本で4番目の規模を誇り、近畿以外では最大の古墳で、立ち入り出来る古墳では日本で最大のもの。

全国第4位の規模を誇る前方後円墳は墳丘に立ち入ることが可能

造山古墳

大仙陵古墳(仁徳天皇陵/486m)、誉田御廟山古墳(応神天皇陵/420m)、上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵/360m/以上大阪府)に次いで4番目の大きさを誇る巨大な古墳です。

同時代に築造された大阪府の上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)とほぼ同じ大きさと形をしていることから、近畿地方の王と同じくらい力をもった豪族が、岡山にもいたことがわかります。
造山古墳の発掘調査は行なわれていないため、埋葬者は不明ですが、畿内のヤマト王権に対抗できる、古代吉備の大王の墓と推測できます。

表面から埴輪のかけらが見つかることから3段になった各段に円筒埴輪をめぐらせていたこともわかっています。
後円部の平になった墳頂は、豊臣秀吉に対峙した毛利軍が陣地を築いた場所。
上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵)のような水をたたえた周濠はありませんが、周濠および周堤の跡とみられる地盤の傾きが確認されています。

九州や朝鮮半島との交易を示すものも出土

周囲には榊山古墳(造山第1号墳)、千足古墳(造山第5号墳)など6つの陪塚(ばいちょう=王の親族、臣下、さらに王の副葬品などを埋葬)があります。

また墳丘に登ることも可能で(墳丘に立ち入りできる古墳としては日本最大)、前方部の墳丘の上には、集落の守り神、荒神社(こうじんじゃ)が祀られています。

荒神社の鐘突堂脇に長持ち型の石棺が手水鉢として設置されていますが、古墳前方部から出土したという説と、近くの古墳で発掘され現在の位置に運ばれたという説があり、定かでありません。
ただし、この石棺の石材、九州産の阿蘇凝灰岩であるため、九州までを影響下に置いていたのか、または九州の豪族と婚姻関係があったのかと考えられるのです。

陪塚のひとつ千足古墳(造山第5号墳)の横穴式石室は、九州北西部の装飾古墳に類似した構造で、九州産や四国産の石を使っていること、陪塚の榊山古墳(造山第1号墳)では朝鮮半島のものとみられる馬形帯鈎(うまがたたいこう=青銅製のバックル)が出土していることから、瀬戸内から九州、朝鮮半島への古代の交易すら推測されるのです。

造山古墳
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
造山古墳
名称造山古墳/つくりやまこふん
Tsukuriyama Tumulus
所在地岡山県岡山市北区新庄下
関連HP岡山市公式ホームページ
電車・バスでJR総社駅から中鉄バス山手経由岡山駅行きで16分、千足下車、徒歩3分
ドライブで岡山自動車道岡山総社ICから約3km
駐車場50台/無料
問い合わせ岡山市埋蔵文化財センター TEL:086-270-5066
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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