中山さんのルーツを探せ!

大姓56位の中山さんは、全国に28万人、シェア0.22%です。中山さんは、中間にある山の意、つまりは中間山村(農林省的には中山間地域)に由来する地形姓で、中山という主要な地名だけで全国に70ヶ所を数えるため、ルーツも各地に点在しているのだと推測できます。

関東の中山さんのルーツのひとつが飯能に

飯能市にある中山家の菩提寺、能仁寺

千葉県船橋市にある有馬記念(GI)開催で知られる中山競馬場、住所は千葉県船橋市古作1-1-1で市川市中山にあるわけではないのに、なぜ中山競馬場というのでしょう。

高田馬場の決闘で知られる堀部安兵衛(ほりべやすべえ)は、その時、まだ中山安兵衛だったのに、映画などではなぜか堀部安兵衛になっている、などなど、少し中山さんの関連のルーツ探しでは混乱が予想されます。

中山さんの数あるルーツのなかでも重要なのは、武蔵国高麗郡(こまぐん)中山郷(現・埼玉県飯能市中山)。
南に名栗川、北は高麗川との間に隆起した台地の、まさに「中の山」という中山郷は、武蔵七党(横山党、猪俣党、野与党、村山党、西党、児玉党、丹党)のひとつ、丹党(たんとう)の中山一族の故郷にもなっています。

鎌倉時代、加治家季(かじいえしげ)は中山に居住し、加治家勝は、中山氏を名乗り、天文15年(1546年)には河越城の戦い(河越夜戦)にも参加しています。

中山家勝の子・中山家範(なかやまいえのり)は、小田原の後北条氏・北条氏照(ほうじょううじてる)に従い、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、八王子城に将として詰めて自刃しています。
武蔵を基盤とし活動する中山氏は、こうして戦国時代は山内上杉家、ついで後北条氏に仕えています。

中山家範の長男・中山照守(なかやまてるもり)は徳川家康に仕え、徳川秀忠の使番に、そしてその系列は代々大身の旗本に。
次男の中山信吉も兄ともども家康の小姓役となった後、家康の11男・徳川頼房が常陸国下妻10万石に配されるに伴い、家老となっています。

また中山照守の曾孫(ひまご)に当たる中山直邦は久留里藩3万石の大名黒田家の当主として栄え、中山照守の弟である中山信吉は水戸家の筆頭家老として事実上の大名格の家柄となっているのです。

この中山信吉は徳川光圀を見出し、水戸藩附家老として活躍したため、「飯能の偉人」ともいわれています。

飯能市中山にある中山氏の菩提寺の智観寺(埼玉県飯能市中山520)には中山信吉の墓があり、智観寺の北東には中山家範の館跡の堀跡が残されています。
能仁寺(飯能市飯能1329)に中山家勝・家範・照守3代の墓が現存。
池泉鑑賞蓬莱庭園が見事なので、関東の中山さんならぜひ一度、ルーツかもしれない能仁寺へ。

同じ武蔵七党でも児玉党阿佐美氏族中山氏は、上野国吾妻郡中山(吾妻郡高山村中山)の発祥といい。飯能の中山氏とは異なります。

公家の中山忠能は、王政復古の中心人物

他流では、出羽国村山郡中山を発祥とする中山氏や岩城の桓武平氏岩城氏族、下野の山内首藤氏族、常陸の大掾氏系馬場氏族、三河の阿部氏族、播磨の赤松氏族、肥後の菊地氏族、備前の国人の中山氏などがあり、実は中山氏は公家の名流も多いのが特長です。

そのなかでも、藤原北家花山院流中山氏が主流。
羽林家の一にして、洛東中山より起こる花山院(かさんいん)は、藤原氏の本流である関白道長の孫・藤原師実(ふじわらのもろざね)の子・藤原家忠(ふじわらのいえただ=花山院左大臣)が祖。
幕末、末裔の中山忠能(なかやまただやす)・中山忠光(なかやまただみつ)親子は尊皇攘夷派の公卿として活躍しています。
中山忠能は、明治天皇国母・中山慶子の父でもあり、孫となる明治天皇を支えて王政復古の中心人物となりますが、子の中山忠光(明治天皇の叔父)は過激な攘夷論者で、天誅組の首領ととなり、天誅組の変を起こしますが敗れて、後に長州藩の刺客により暗殺。

山形県上山市中山に伊達家臣・中山弥太郎の中山城跡があり、高萩市下手綱雉子尾には水戸藩筆頭家老の中山信正の居城であった松岡城跡が、山形県中山町には寒河江大江氏の家臣である出羽国村山郡の中山氏が築いた長崎城跡が、岡山市東区沼には浦上氏の家臣である備前国の中山信正によって築城された亀山城跡があり、いずれも中山さんゆかりの地になっています。

中山という名の神社も多く、さいたま市見沼区中川の中山神社、津山市一宮の中山神社、寺としては市川市中山の中山法華経寺、兵庫県宝塚市、福井県高浜町、伊勢市などに中山寺があります。
兵庫県宝塚市の中山寺は安産祈願・子授け祈願で名高く、聖徳太子の創建と伝わる観音霊場です。

中山競馬場の中山は、中山さんには関係がない

赤穂浪士四十七士の一人で、四十七士随一の剣客といわれた堀部安兵衛は、越後国新発田藩(現・新潟県新発田市)溝口家家臣、中山弥次右衛門の長男。
高田馬場の決闘の「18人斬り」(実際には助太刀で3人)が江戸市中で有名になり、赤穂浅野家家臣・堀部金丸が中山安兵衛との養子縁組を希望し、堀部安兵衛に。
つまりは赤穂藩へ仕官から堀部改姓なので、時代劇でも高田馬場の決闘時には「中山安兵衛」でなければならないのです。
新発田藩の中山家は名門の家系。

中山さんは、茨城県(大姓31位)、富山県(32位)、高知県(25位)、佐賀県(24位)、熊本県(36位)などに多いのが特長。

代表家紋は、公家中山氏が中山杜若、丹党は虎杖(いたどり)や枡に月。
ほかに、丸に丁の字、蔓柏、石持ち花沢瀉、四半幟、蔦菱など珍しい家紋が多数。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

中山さんのルーツを探せ!
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