名古屋城 二之丸庭園

名古屋城の二之丸庭園は、尾張藩の初代藩主、徳川義直が築いた庭園で、元和年間(1615年〜1623年)に二之丸御殿の造営にともない御殿の北側に聖堂(金声玉振閣)を中心として作庭された大名庭園です。御三家筆頭の尾張藩の大名庭園は、江戸の藩邸の庭園も江戸随一だったので、名古屋城も素敵な庭園だったと推測できます。

木々茂る森の庭から枯山水へと変化したワケは!?

作庭当初は、築城の際に余った石を使い、尾張藩内にあった木曽の景勝地である「寝覚の床」(ねざめのとこ/現・長野県木曽郡上松町)を模したといわれる名園で、ヒノキ茂る木曽の山々と水運で物資を運んだ木曽川への造詣を庭に込め、深く険しい谷と高い山を築いたのです。
ちなみに、有名な木曽檜は、尾州檜(びしゅうひのき)と通称されるように、当時、木曽は尾張藩の領地だったのです。

二之丸庭園は、江戸時代半ばの享保年間(1716年〜1736年)以降に改修され、枯山水庭園になりました。
当初は険しい山と谷だった庭園を江戸中期以降に枯山水に改めたのは、当初の庭園が名古屋城本丸防備の役割を担っていたから。鬱蒼と茂る森、深い谷は戦時には大軍の進軍を阻む役割をも担っていたと推測されるのです。

天下泰平の江戸の中期になってその役割を終え、使いやすい枯山水に変更されたのです。

明治期に三の丸に陸軍の名古屋鎮台が置かれたために荒廃、さらに戦火で木々が焼け落ちています。

戦後、昭和28年に「名勝」の指定を受け、昭和41年に名古屋市により整備され公開。
現存する庭園は1554坪で旧庭園の一部だった北庭と、旧陸軍将校集会所の前庭として旧庭園の材料で作庭された南庭とに分かれている。二之丸庭園(北御庭)は、平成30年の本丸御殿の完成するのにあわせて名勝指定区域の石組の積み直し、植栽の整備、削られた築山の復元が実施され、往時の雰囲気を取り戻しつつあります。

なお、織田信長の生まれたともいわれる那古屋城は名古屋城の二の丸付近にあったと推定されています(織田信長生誕の城としては稲沢市の勝幡城が有力視されています)。

名古屋城 二之丸庭園
名称名古屋城 二之丸庭園/なごやじょう にのまるていえん
所在地愛知県名古屋市中区二の丸1
関連HP名古屋城公式ホームページ
電車・バスで地下鉄名城線名古屋城駅から徒歩5分
駐車場202台/有料、二之丸東駐車場=東門駐車場/8:30〜18:30、さくらまつり期間中は20:00まで、宵まつり期間中は22:00まで
問い合わせ名古屋城総合事務所 TEL:052-231-1700/FAX:052-201-3646
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