三多気の桜
奈良県との県境に位置する三重県美杉村(みすぎむら)の三多気(みたけ)地区にある国指定文化財(名勝)、「日本さくら名所100選」に選定された桜並木。ヤマザクラ500本余りの並木道が、伊勢本街道から真福院までの参道に1.5k…
奈良県との県境に位置する三重県美杉村(みすぎむら)の三多気(みたけ)地区にある国指定文化財(名勝)、「日本さくら名所100選」に選定された桜並木。ヤマザクラ500本余りの並木道が、伊勢本街道から真福院までの参道に1.5k…
江戸時代に五街道のひとつとして、日光参詣の折など、多くの人々に利用されてきた日光街道(国道119号)は、桜並木や杉並木が連なる美しい街道。宇都宮市戸祭町から日光市山口(旧今市市山口)に至る約16kmの沿道には、「さくら名…
東海道は宮宿(熱田宿=名古屋市熱田区)から「七里の渡し」で伊勢湾の海上を船で渡り(所要は3時間から4時間と推定されています)、揖斐川河口(桑名城の脇)に位置した桑名宿の渡船場に上陸しました。江戸時代の「海上国道」で、その…
江戸と京を結んだ東海道は宮宿(愛知県名古屋市熱田区)から桑名宿(三重県桑名市)まで伊勢湾を船で渡りました(海路を嫌った人のための佐屋街道もありました)。その距離から「七里の渡し」と呼ばれた航路で、その渡船場跡が「宮の渡し…
地鯉鮒宿(ちりふしゅく/現・知立市)と鳴海宿(なるみしゅく/現・名古屋市緑区鳴海町)の間にある東海道の宿場(間の宿)が有松宿で、間の宿ながら愛知県内の宿場では往時の様子をもっとも色濃く残している宿場です。1608(慶長1…
江戸時代に東海道の「間の宿」として栄えた有松(ありまつ/名古屋市緑区)の名物が有松絞り。その家並みは重要伝統的建造物群保存地区となっていますが、その一画に建つ有松鳴海絞会館は、絞りの歴史資料や技術を、実物で展示解説する資…
愛知県内に現在も残る5つの一里塚のひとつで、名古屋市内では唯一残っているもの。一里塚は1604(慶長9)年に徳川幕府が街道を整備し、一里(約4km)ごとに塚を築き、その上に木を植えて道しるべとしたもの。笠寺一里塚は、東海…
東海道島田宿は、対岸の金谷宿ともに、大井川の川留めで繁栄した宿場です。 大井川の通常の水位は、帯の位置ので帯通2尺5寸(約76cm)。これが脇まで増水の脇通4尺五寸(約136cm)を超えると川留めとなりました。 大井川の…
東京にはいろいろな原点、元標がありますが、中央区、日本橋の橋の上にあるのが日本国道路元標(Kilometer Zero)。その名の通り、道路の起点となるポイントを示したものです。日本橋にあるのは、徳川幕府が定めた五街道(…
江戸・日本橋から東照大権現(徳川家康)が祀られる日光まで続く「日光御成道」の、日本橋から2里目にあたる一里塚。徳川時代に設置されたままの往時の場所に残る貴重な一里塚ということで、国の史跡にもなっています。とくに都市化が進…
旧軽井沢のメインストリート(中山道軽井沢宿)の最奥に位置する二手橋(にてばし)。矢ヶ崎川の爽やかな清流に架かる橋ですが、ここが軽井沢宿の飯盛女(めしもりおんな)が客を見送り別れた場所。それで二手に分かれたのでその名がある…
中山道の難所のひとつ、上信国境(群馬・長野県境)に位置する旧碓氷峠。峠には国境をまたぐように熊野皇大神社(群馬県側は熊野神社)が鎮座していますが、その向かいにあるのが元祖力餅の「しげのや」。若主人の水澤貴文さんは、熊野皇…
幕末に「公武合体」あるいは「公武一和」という方針のもと、仁孝天皇の第八皇女・和宮を徳川家茂に嫁がせるという政略結婚が行なわれました。そのため、和宮は中山道を江戸を目指して下向します。その姿を再現したのが『皇女和宮御下向行…
島田市は静岡県中部に位置し、市の中央を大井川が流れています。 江戸時代には東海道五十三次の日本橋から数えて第23番目の宿場・島田宿(嶋田宿)、大井川の川越の宿場として栄えました。 島田市のマンホールの絵柄には「大井川の輦…
静岡県のほぼ中央部に位置する藤枝市。 藤枝は、江戸時代には東海道五十三次の江戸から数えて22番目の宿場・藤枝宿の宿場町として発展。遠州の交通の要衝、商業地としても賑わいを見せました。 藤枝市のマンホールの絵柄は「市の花」…
取材班が白馬村・小谷村・大町市・池田町・松川村を縦横無尽に調べた結果、取材班が選んだ【白馬・大町歩かず眺める絶景BEST33】を選定。第14位は塩の道・千国街道途中、小谷村(栂池高原)にある絶景です。