薬師寺・休ヶ岡八幡宮

薬師寺の南大門を出たすぐ南に鎮座するのが休ヶ岡八幡宮で、薬師寺を守護する鎮守社。寛平年間(889年~898年)、薬師寺別当栄紹が宇佐八幡宮から分霊を勧請して創建されたという古社で、今なお神仏混淆時代の名残があります。祀られる三神像は国宝。

現在の社殿は豊臣秀頼による再建で国の重文

中心に僧形八幡神(そうぎょうはちまんしん)、右に神功皇后(じんぐうこうごう)、左に仲津姫命(なかつひめのみこと)を配した三神一具の像(八幡三神像)です。
平安時代初期の作で、仏像の影響を受けて作り始められた現存最古の神像で、国宝。
現在は奈良国立博物館に委託されています。

現存する社殿は、1596(慶長元)年の地震で倒壊した後、1603(慶長8)年、豊臣秀頼の再建で国の重要文化財。

薬師寺・休ヶ岡八幡宮
名称薬師寺・休ヶ岡八幡宮/やくしじ・やすみがおかはちまんぐう
Yakushiji Temple,Yasumigaoka-hachiman Shrine
所在地奈良県奈良市西ノ京町457
関連HP薬師寺公式ホームページ
電車・バスで近鉄橿原線西ノ京駅から徒歩2分。またはJR奈良駅から奈良交通バス六条山行きで18分、薬師寺下車すぐ
ドライブで西名阪自動車道郡山ICから約7.5km。第二阪奈道路宝来出口から約5km
駐車場薬師寺駐車場(100台/有料)
問い合わせ薬師寺 TEL:0742-33-6001/FAX:0742-33-6004
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

薬師寺

薬師寺は680(天武天皇9)年、藤原京に天武天皇が菟野讃良皇后(うののさららひめみこ=のちの持統天皇)の病気平癒のため発願し創建された法相宗の寺で、平城京遷都とともに奈良に移されたもの。日本に仏教が伝えられた時代のままの伽藍(薬師寺式伽藍)

薬師寺・西塔

薬師寺西塔は、1528(享禄元)年の兵火により焼失、礎石のみが残されていたものを昭和56年に453年ぶりに再建。国宝の東塔とほぼ同じ形で、白鳳様式を用いて建てられています。よく見ると東塔は裳階(もこし=軒下壁面に付いた庇状構造物)部分が白壁

薬師寺・東塔

薬師寺・東塔は、730(天平2)年に造営されたと伝わる三重塔。高さ33.6mで各層に裳階(もこし)を付けているため六重に見えるのが特徴。薬師寺は、数度の災害と1528(享禄元)年の兵火により多くの堂宇は焼失していますが、東塔は当時の建造物で

薬師寺・東院堂

薬師寺の東院堂は養老年間に吉備内親王(きびないしんのう)が平城京に遷都した女帝・元明天皇(げんめいてんのう)の冥福を祈り建立したもの。境内東側、東回廊の外に位置しています。973(天禄4)年の火災で焼失後、1285(弘安8)年に再建された建

薬師寺・回廊

薬師寺の金堂、大講堂、西塔、東塔を取り囲むのが東西の回廊。薬師寺式と呼ばれる伽藍配置は白鳳時代そのままなのです。回廊のエンタシス風の列柱はヘレニズム文化の影響を残したものともいわれてきましたが、現在では否定的な意見が多いのも事実。昭和43年

薬師寺・大講堂

平成15年3月に四百数十年ぶりに奈良、薬師寺に復興したのが大講堂。正面41m、奥行き20m、高さ17mという巨大な建物で、薬師寺の中では最大の建造物。大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、講堂にはたくさんの学僧が参集して経典を講讃した

薬師寺・金堂

世界遺産「古都奈良の文化財」に登録される薬師寺の伽藍のうち、昭和51年に再建された白鳳伽藍の一部が金堂。金堂は1528(享禄元)年、土地の豪族の戦火で焼失。豊臣秀吉が再建を計画しましたが叶わず、復興は長年の悲願だったもの。国宝・薬師三尊像を

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