日本人のお名前のうち大姓第5位が渡辺さん。国民の0.94%、およそ119万人の渡辺さんが暮らしています。ただし、関東や中部で4位の渡辺さんも、西日本では中国・四国地方を除けばTOP10にも入りません。そんな渡辺さんのルーツは、なんと1ヶ所しかないという超レアな名前です。
全国の渡辺さんのルーツは大阪に!
渡辺さんのルーツは、ほかの姓のように全国いろいろな場所で発祥した苗字と違って、特定の1ヶ所から発祥しているという、とてもレアなケース。
わずか1ヶ所の地名から生まれた姓がこれほど全国に広がるなんて、想像以上にすごいこと。
一部には渡辺さん絶倫説まで噂されるほど・・・。
その場所はどこなのでしょう?
実は、大阪のど真ん中の船場にあります。
地下鉄御堂筋線・中央線・四つ橋線の本町駅駅(ほんまちえき)は、高速道路下のビルに入った大商店街の「船場センタービル」(せんびる)で有名。
ブランド品や輸入品が数多く揃う1号館〜3号館、 繊維の卸問屋が軒を連ねる4号館〜9号館など、通しで歩くとへとへとになる長さですが、その近くにあるのが摂津国一之宮の坐摩神社(いかすりじんじゃ)。
大小三つの鳥居が横に組み合わさった珍しい三鳥居が印象的な坐摩神社が、全国の渡辺さんのルーツです。
正式には「いかすり神社」ですが、たいていは「ざま神社」と呼ばれています。
この神社のある所がかつての渡辺の地で、渡辺さんのルーツということに。
大阪府大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号というのが神社の住所となり、渡辺3号という部分に往時の地名をわずかに残しています。
少し前の姓氏事典には、渡辺姓の発祥地を摂津国西成郡渡辺、現在の大阪市東区渡辺町であると記していました。
しかし、最近の本には、現在は渡辺という地名はないなどとも書かれていたりもします。
そこで神社の住所を調べてみると「大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺3号」と、ちゃんと渡辺がついています。
元々、一帯は渡辺町だったのですが、昭和63年の地区統合に伴う地名変更の際、渡辺町は消えることに。
全国の渡辺さんのルーツである渡辺の名の消滅には当然反対も多く、丁目の次の番地の代わりに渡辺の名を残すことで決着をみたのです。
渡辺さんはプレイボーイの血筋!? しかも節分の豆撒きも不要
かつてこ坐摩神社の鎮座する地(現在の天神橋周辺)は、渡辺津(わたなべのつ)といわれて栄えた淀川河口の湊町(羽柴秀吉の大坂城建設で渡辺津から現社地へ遷座=旧社地には坐摩神社行宮が残されています)。
熊野詣などにもこの湊から出立したのです。
左大臣・源融(みなもとのとおる)を祖とする嵯峨源氏の源綱(みなもとのつな)が渡辺津に住んでこの神社を掌り、渡辺綱(わたなべのつな)と名乗ってのが、全国の渡辺さんの始まり。
源融は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏の実在モデルの有力候補なので、渡辺さんのルーツはプレイボーイとして名を馳せた光源氏で、件(くだん)の渡辺さん精力絶倫説にも通じるものがあります。
出雲神楽(いずもかぐら)の英雄的なキャラクター源頼光(みなもとのよりみつ)に仕えた渡辺綱は、頼光に仕えた四天王(渡辺綱、坂田金時、碓井貞光、卜部季武)随一の豪傑で、京の一条戻り橋で鬼の片腕を切り落としたことでも知られる伝説的なスター。
というわけで、全国の渡辺さんは、「節分に豆まきをする必要がまったくない!」ともいわれているのです。
なぜなら、渡辺さんを恐れて、鬼も寄り付かないから。
大阪市都島区善源寺町は、源頼光が支配する荘園・善源寺荘の跡。
この荘園の管理を任されていた渡辺綱が神社に詣でるとき、いつも馬をつないだ渡辺綱・駒つなぎの樟も戦前までは健在でしたが、残念ながら戦災にあい、今は枯死しています。
その後、渡辺綱の子孫の渡辺党は源頼政の配下として活躍。
南北朝時代から戦国時代にかけて各地を転戦し、その戦いぶりは勇猛をもって知られています。
この系統は戦国末期、武田・今川・織田・徳川・毛利など有力戦国武将に仕え、また、肥後の松浦党などの水軍として、渡辺さんは全国に広まっていったのです。
徳川十六神将のひとり、渡辺守綱(わたなべもりつな)は、三河国額田郡浦部村(現在の愛知県岡崎市)出身。
三河渡辺氏は、松平氏の譜代家臣で、渡辺守綱も徳川家康に仕え、「槍半蔵」と呼ばれる槍の名手として後世に名を残しています。
後裔は尾張藩の家老などとして活躍し、さらに紀州徳川家の家老を務めた渡辺若狭守家及び渡辺主水家も渡辺守綱の流れ。
愛知県や和歌山県い住む渡辺さんは、この三河渡辺氏がルーツかもしれません。
東京都港区には、渡辺綱の出生地伝説の「綱坂」が!
三田の慶応大学裏にある「綱坂」に、渡辺綱誕生の地という碑が立っています。
東京に住む渡辺さんなら必踏の地といえますが、もう一度、渡辺綱を復習してみましょう。
渡辺綱(わたなべのつな/953年~1025年)は、平安時代の武将。
嵯峨源氏の源融の子孫で、正式な名は源綱(みなもとのつな)。
坂田公時、平貞道、卜部季武とならんで「源頼光の四天王」と称されています。
大江山の酒呑童子退治(しゅてんどうじだいじ)や羅生門の茨城童子の腕を切り落とした逸話は、神楽などでも有名。
くどいようですが、渡辺さんは、鬼が寄り付かないため節分にも豆まき不要です。
武蔵国足立郡箕田郷(現・埼玉県鴻巣市)が生誕地とされる通説。
摂津国西成郡渡辺(現在の大阪市中央区久太郎町4丁目渡辺)は、実は母方の故郷です。
源満仲(みなもとのみつなか)の娘婿である仁明源氏の源敦(みなもとのあつし)の養子となり、摂津に住み、渡辺源次綱(わたなべのげんじつな)と称して渡辺氏の祖となっています。
兵庫県川西市西畦野の小童寺の境内に綱の霊廟が。
さてさて、東京都港区三田2丁目の綱坂は、付近が渡辺綱の出生地という伝承があることから付いた名前。
長運寺(港区三田4-1-9)には渡辺綱大明神像があり、渡辺綱の額が寺宝として保存されています。
弘法寺(東京都港区三田1-4)の本堂横には「産湯の井戸」が復元されています。
事実とすれば、ここも渡辺さんのルーツのひとつとなりますが、はたして。
三つ星に一文字の「渡辺星」がトレードマーク!
「嵯峨源氏の後裔十六世。武田氏に仕えて功あり」と『甲斐国志』にも記され、古くから甲斐の豪族として勢力を誇っていた渡辺さん。
現在でも山梨県では大姓1位を占めなんと占有率も3.70%。
35人学級3クラスの小学校なら、クラスにひとりは渡辺さんがいるのが山梨県です。
栃木県(1.69%)、新潟県(2.55%)、静岡県(1.68%)では2位となっています。
静岡・山梨ルートに何か渡辺さんのルーツに関する秘密が隠されているのかもしれません。
また、東北地方や愛媛県、島根県などで「渡部」姓も多く見かけます(愛媛県では4位が渡部さん)。
苗字のルーツがひとつだけというだけではなく、渡辺姓の家紋も通称「渡辺星」と呼ばれる、三つ星に一文字がメイン。
渡辺さんの家紋は、ほかに、三つ星、重ね三つ星、丸に三つ星、渡辺扇、柏、蛇の目、笹竜胆、月に夕顔なども見かけますが、ほとんどは三つ星に一文字の「渡辺星」で、この家紋は渡辺さんの独占紋となっています。
三つ星に一文字は、戦場における一番槍、一番乗りを意味し、また、一文字は「カツ」とも呼ばれ、いかにも武人らしい家紋となっているのです。
取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
渡辺さんのルーツを探せ! | |
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