地獄温泉 青風荘
熊本県阿蘇郡南阿蘇村、阿蘇山の南麓(南阿蘇温泉郷)、鳥帽子岳の麓、標高750mの山中に建つ温泉が地獄温泉 青風荘(地獄温泉 清風荘)。江戸時代からその効能が知られ湯治場として開かれた温泉で、藩政時代には武士などしか入浴が…
熊本県阿蘇郡南阿蘇村、阿蘇山の南麓(南阿蘇温泉郷)、鳥帽子岳の麓、標高750mの山中に建つ温泉が地獄温泉 青風荘(地獄温泉 清風荘)。江戸時代からその効能が知られ湯治場として開かれた温泉で、藩政時代には武士などしか入浴が…
熊本県熊本市西区にある加藤家代々の菩提寺で、加藤清正が帰依した日蓮宗の名刹が本妙寺。天正13年(1585年)、加藤清正が父・加藤清忠の菩提を弔うため、発星院日真が大坂(おおざか・現在の大阪)に建立したものを、肥後転封後、…
熊本県山鹿市鹿央町、岩原古墳群(肥後古代の森鹿央地区)にある装飾古墳を解説するミュージアムが熊本県立装飾古墳館。装飾古墳室では、熊本県内の主要な装飾古墳のうちチブサン古墳、永安寺東古墳、井寺古墳など12基を選び、これらの…
熊本県荒尾市上井手を流れる関川に架る石造アーチ橋(眼鏡橋)が岩本橋。藩政時代の岩本番所が廃止された後、阿蘇凝灰岩の切岩を二重にして架橋された石橋で、熊本県の文化財に指定されています。江戸時代に霊台橋、通潤橋など、名橋を築…
熊本県天草市、天草諸島の上島と下島に挟まれた海峡、本渡瀬戸に架る人道橋が瀬戸歩道橋。瀬戸橋(跳ね上げ式可動橋)に変わって昭和49年に天草瀬戸大橋(ループ橋)が開通しましたが、その際に、昇降式可動橋の瀬戸歩道橋が架橋された…
熊本県天草市を流れる町山口川に架かる石造橋が祇園橋。天保3年(1842年)建造の石造桁橋で、町山口の祇園神社の前に架かるので祇園橋の名があります。5列9行の角柱45脚で支える日本最大規模の多脚式アーチ型石橋(桁梁円弧型多…
熊本県天草市本渡町を流れる町山口川に架かる石造アーチ橋が山口の施無畏橋(やまぐちのせむいばし)。明治15年に、染岳の霊場・染岳観音院への登山口にある無畏庵(むいあん)の参道に架橋されたもの。明治4年に眼鏡橋が架けられまし…
熊本県天草市楠浦町を流れる方原川(ほうばるがわ)に架る石造アーチ橋が楠浦の眼鏡橋(くすうらのめがねばし)。明治11年、天草の下浦石(砂岩)を使い、庄屋・宗像堅固(むなかたけんご)が架橋したもので、橋の完成で楠浦宮地往還の…
熊本県熊本市西区新港にある人工島に設置されたのが熊本港フェリーターミナル。島原外港とを結ぶ熊本フェリーの高速フェリー「オーシャンアロー」(1678t)と九商フェリーの「レインボーかもめ」(850t)と「フェリーくまもと」…
熊本県阿蘇市一の宮町の阿蘇神社から仙酔峡道路を走った終点が高岳・根子岳登山口の仙酔峡(せんすいきょう)。阿蘇カルデラの中央火口丘群、中岳と高岳の北麓にあり、中岳火口から上がる噴煙、阿蘇外輪山、九重連山まで望むロケーション…
熊本県人吉市土手町にある人吉藩(相良家)家老を勤めた新宮家の屋敷跡が武家蔵。西南戦争の際に西郷隆盛の宿営地となったため、往時(新宮嘉善の屋敷)の建物は官軍の砲弾で焼失、入口の堀合門(ほりあいもん)は人吉城から移築したもの…
熊本県玉名市に古くから伝わる伝統菓子「高瀬飴」の製造元が田尻飴製造本舗。高瀬津は室町時代に日明貿易で栄えた地。江戸時代、砂糖の入手が困難だったために、餅米を代用し糖分の供給源として明(中国)の商人の製法をヒントに考案され…
熊本県上天草市松島町、県営教良木ダム(けんえいきょうらぎだむ)上流、教良木川の支流に懸かる滝が祝口観音の滝。ウォータースライダーの様な形状のナメ滝で、白岳砂岩層の岩盤を流れ落ちています。教良木川支流が浸食によって岩盤を削…
熊本県上天草市、矢岳巨石群で知られる白嶽(372.4m)の南中腹に広がる白嶽森林公園にある滝が不動の滝。雲仙天草国立公園内にある白嶽一帯50haは白嶽森林公園になっていますが、内野河内川上流部には10の滝が連続し、もっと…
熊本県宇城市不知火町(しらぬひまち)を走る国道266号沿い、八代海(不知火海)に臨む道の駅が道の駅不知火。物産館がメイン施設で、観光の拠点になっています。不知火町(現・宇城市)はデコポン(「不知火」)の発祥の地で、物産館…
熊本県宇城市不知火町(しらぬひまち)、八代海(不知火海)に臨んで建つ神社が永尾神社(えいのおじんじゃ)。社伝によれば創建は和銅6年(713年)という古社で、祭神は海童神(わだつみのかみ)。旧暦8月1日の八朔(はっさく)に…
熊本県上天草市、天草上島の南端に位置する龍ヶ岳の中腹に、島原・天草一揆(島原の乱)後の植民政策で拓かれた9.5ha、平均勾配1/7の棚田が大作山の千枚田。棚田の全景を一望できる展望スポットからは、八代海の島々まで見渡すこ…
熊本県下益城郡美里町にある津留川を跨ぐ石造アーチ橋が大窪橋(おおくぼばし)。幕末の嘉永2年(1849年)、砥用手永(ともちてなが)の惣庄屋・篠原善兵衛(ささはらぜんべえ)が架橋したもので、担当した石工は岩尾野(現・美里町…