法隆寺・大宝蔵院
法隆寺の大宝蔵院は平成10年に落成した数ある寺宝を収蔵する宝物館で百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる現代版の双蔵(ならびくら)。西院伽藍の北東に建ち、国宝や重要文化財に指定される宝物を収蔵、見学することができます。
法隆寺の大宝蔵院は平成10年に落成した数ある寺宝を収蔵する宝物館で百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる現代版の双蔵(ならびくら)。西院伽藍の北東に建ち、国宝や重要文化財に指定される宝物を収蔵、見学することができます。
世界遺産「法隆寺地域の仏教建築物」に登録される法隆寺の中で、飛鳥建築の粋を集めた建造物群が西院伽藍。西院の入口である中門とともに西院伽藍全体が国宝に指定されています。金堂と塔が横に並び、奥に講堂がある伽藍配置の形式を法隆…
法隆寺のなかで最大の建造物が西院伽藍にある大講堂。僧侶が学問を研鑽したり、法要を執り行なうための施設で、創建時のものは鐘楼とともに925(延長3)年の落雷で焼失。現存する建物は990(正暦元)年に再建されたもので国宝。元…
法隆寺の本尊を安置する堂が西院伽藍の金堂。本尊である金銅釈迦三尊像は、623(推古天皇31)年、聖徳太子の冥福を祈って、渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)に造らせたもの。中国北魏様式の影響を伝えるもので国宝。外観…
基壇からの高さ31.5mで、現存する日本最古の国宝五重塔が法隆寺西院伽藍の五重塔。五重塔の原形はインドのストゥーパーといわれ、本来は釈迦の遺骨を奉安するためのもの。中国で楼閣スタイルとなって仏教建築として日本に伝えられま…
世界遺産の法隆寺には南大門、西大門、そして夢殿のある東院の入口にある東大門と3つの門がありますが、正門にあたるのが南大門。創建時の建物は、1435(永享7)年に焼失し、現存する建物は1438(永享10)年の再建で、単層入…
法起寺(ほうきじ)は、別名、岡本尼寺、岡本寺、池後寺、池後尼寺とも呼ばれる寺で、聖徳宗の総本山。聖徳太子が法華経を講じたという岡本宮(おかもとのみや)を、その子・山背大兄王(やましろのおおえのおう)が638(舒明10)年…
法起寺(ほうきじ)は、606年に聖徳太子が法華教を講説した岡本宮を寺と改めたと伝わる古刹で、法隆寺、四天王寺などとともに聖徳太子建立七大寺(南都七大寺)のひとつ。江戸時代建立の四脚門である南大門が正門ですが、現在は寺の西…
1863(文久3)年に建立された堂で天平時代には金堂があった場所に建っているのが法起寺・聖天堂。1863(文久3)年、順光の発願によって建立されたもので、歓喜天像を安置しています。塔と金堂の位置関係が同時代に建てられた法…
法起寺の講堂は、寄棟錣葺き(よせむねしころぶき)の建物で、天平時代の講堂跡に建てられていることから講堂と呼ばれていますが、現在の建物は江戸時代に再建された法起寺の本堂。講堂の近くには旧講堂のものと推測される礎石も残ってい…
法起寺は、天平時代の記録に池後尼寺とあることから、もともとは尼寺として創建されたことがわかっています。伽藍配置は、塔を東に、金堂(現在の聖天堂の場所にあった)を西に配したもので、法隆寺西院伽藍とは逆の配置となっています。…
聖徳太子の誕生地と伝えられる地に建つ古刹で聖徳太子建立七大寺のひとつが橘寺(たちばなでら)。正式名は仏頭山上宮皇院菩提寺(ぶっとうざんじょうぐうこういんぼだいじ)で本尊は聖徳太子と如意輪観音。聖徳太子の父、用明天皇の別宮…
南都六宗の一つである律宗の総本山が唐招提寺。唐の高僧、鑑真和上(がんじんわじょう)が聖武天皇に招かれて苦難の末に来日し、759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)の旧邸を譲り受けて創建した寺。当初は唐律招提と…
唐招提寺の巨大な講堂の東にある南北に細長い建物が礼堂(らいどう)。鎌倉時代の築で国の重要文化財に指定されています。南北19間のうち、北側10間が東室、南側の8間が礼堂で、その間にある1間は馬道(めどう)と呼ばれる通路にな…
唐招提寺の金堂・講堂と礼堂に挟まれて建つのが鼓楼(ころう)。鎌倉時代の1240(仁治元)年築の入母屋造り、本瓦葺きの2階建ての楼閣で、国宝。西側の鐘楼と対をなして建つのですが、現在では鑑真和上が唐から請来した如来舎利三千…
唐招提寺の礼堂の東側に並んで建つのが宝蔵と経蔵。ともに奈良時代の校倉造りの倉庫で、並んだうちの北側が宝蔵。外観もよく似ているので、ほとんど区別がつきませんがいずれも国宝。その名の通り、宝物庫ですが、昭和45年に鉄筋コンク…
唐招提寺を開山した唐僧・鑑真和上は、大唐国揚州の高僧で、聖武天皇の招きに応じ、苦難の末754(天平勝宝6)年に渡来。その間12年を要し、両目を失明するという苦難も乗り越え東大寺に到着。この鑑真和上像に対面した芭蕉は「若葉…
唐の高僧・鑑真和上(がんじんわじょう)は、度重なる難航海と両目失明という苦難の末に渡来、754(天平勝宝6)年に東大寺に到着しました。759(天平宝字3)年、東大寺戒壇院を退き、唐招提寺を創建。国宝の鑑真和上像を安置する…