江戸城 田安門(重要文化財/北の丸公園)

北の丸公園の日本武道館への入口に位置する門。太田道灌(おおたどうかん)築城時代の江戸城では、この場所が田安口(飯田口)で、上州(現・群馬県)・北関東方面への街道の玄関口となっていました。江戸時代初期、江戸城の総構が完成した時代の門が奇跡的に残され、国の重要文化財になっています。

現存する江戸城の遺構のうちで最古の建築物

田安門は江戸城北の丸の北側に位置する門。東隣の清水門と同様に、外側の優美な高麗門(こうらいもん)と、内側の防備を重視した渡櫓門(わたりやぐらもん)で構成されています。

現存する田安門は、江戸時代初期の1636(寛永13)年に建てられた門で(扉釣金具に寛永13年という刻銘が残されています)、火災などの難を逃れ、江戸城の総構えが完成した当時から残る唯一の遺構となっています。

ちなみに江戸城は、1636(寛永13)年、石垣担当6組62大名、濠担当7組58大名の合計120家による外郭建設が行なわれ、飯田橋、四谷、御茶ノ水に至る長大な外濠を築いて総構えが完成しています。

田安門の楼門上部は大正末期から昭和初年に破損により撤去されましたが、昭和36年〜昭和41年に解体修理が行なわれ、往時の姿を蘇らせています。

  • 江戸城 田安門
  • 江戸城 田安門
  • 江戸城 田安門

千姫、春日局、家康寵愛の英勝院の屋敷も田安門を入った北の丸に

名の由来は、築城以前には田安台といって、百姓地で田安大明神(現・築土神社)があったことに由来します。
家康の江戸城の築城とともに代官屋敷や大奥に仕えた女性の隠遁所となりました。

秀忠の娘・千姫、家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)、家康の寵愛した側室・英勝院の屋敷なども北の丸にありました。
1730(享保15)年、8代将軍・徳川吉宗の次男・徳川宗武は、分家して御三卿・田安家を興しましたが、この門内に邸を構えたのが田安家という名の由来。田安邸の隣も、清水門内に邸を構えた、御三卿の清水家です。

また、宗武の七男が陸奥白河藩第3代藩主・松平定信(白河楽翁)で、ここ、田安門内の田安邸で生まれ、暮らしています。その後、11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐となり有名な「寛政の改革」を行なっています。

江戸城 田安門
渡櫓門のなかから日本武道館を眺望

古地図で見る田安門&江戸城北の丸

古地図で見る田安門&江戸城北の丸
古地図で見る田安門&江戸城北の丸
江戸城 田安門
名称 江戸城 田安門/えどじょう たやすもん
所在地 東京都千代田区北の丸公園
関連HP 北の丸公園ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄九段下駅から徒歩3分
駐車場 北の丸公園第1駐車場(145台)、第2駐車場(107台)、第3駐車場・武道館前(260台)もあり/有料
問い合わせ 北の丸公園管理事務所 TEL:03-3211-7878
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
牛ヶ淵

牛ヶ淵

東京都千代田区、江戸城を取り囲む内堀のうち、現在、日本武道館のある北の丸(現・北の丸公園)の北東側部分、清水門と田安門の間が、牛ヶ淵(うしがふち)。江戸時代中期に編纂された江戸の地誌『江戸名勝志』によれば、銭を積んだ牛車(ぎっしゃ)が、濠に

北の丸公園

北の丸公園

東京都千代田区にある環境省の管理する国民公園が、北の丸公園。昭和44年に公園として開放された皇居の北側部分。園内には東京オリンピックの際、柔道場として建設された日本武道館など、多くの文化施設が点在。田安門、清水門は、江戸城の遺構で、国の重要

旧近衛師団司令部庁舎(重要文化財/北の丸公園)

旧近衛師団司令部庁舎(重要文化財/北の丸公園)

東京都千代田区、北の丸公園の一画に建つレンガ造りの洋館が、旧近衛師団司令部庁舎(きゅうこのえしだんしれいぶちょうしゃ)。明治43年、天皇と宮城(皇居)を警護する最精鋭の師団、近衛師団の司令部として建てられたもので、2階建て、赤レンガ造りの庁

大石正英の旅を切り撮る NO.7 千鳥ヶ淵・皇居周辺の桜

大石正英の旅を切り撮る NO.7 千鳥ヶ淵・皇居周辺の桜

首都・東京の中心、千鳥ヶ淵・皇居周辺、とくに人気スポットである千鳥ヶ淵は、桜の季節は早朝から人であふれて大混雑。メインの写真も、三脚を立てたカメラマンの列の隙間に少し入れていただいた際に、良い位置にボートがきてくれて撮影したもの。対して、皇

坂下門

江戸城 坂下門

坂下門は江戸城西の丸造営直後に築かれた門が坂下門。江戸時代には西の丸大奥に近く、西の丸の通用門として利用されていました。現在、西の丸は皇居となっているため、宮内庁の管理で、通常は立ち入ることができません。文久2年1月15日(1862年2月1

江戸城 桜田門(重要文化財)

江戸城の小田原口に1636(寛永13)年、外濠などを巡らせた江戸城総構(惣構=そうがまえ)の際に桝形門に改築したのが桜田門。1860(安政7)年、この桜田門の外で、水戸藩浪士らによる大老・井伊直弼(いいなおすけ)の暗殺事件が発生。これが映画

江戸城 清水門(重要文化財/北の丸公園)

江戸城北の丸(現・北の丸公園)の東門。高麗門と渡櫓門からなる門は、江戸時代のものが現存し、国の重要文化財に(文化庁の管理)。清水門という名の由来は、家康入府で江戸城が築城される以前、中世には清水寺が建っていたとか、清水が湧き出す土地だからと

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!

よく読まれている記事

こちらもどうぞ