法隆寺

法隆寺は、寺伝などでは607(推古15)年、聖徳太子と推古天皇により創建されたと伝わる古寺で、世界最古の木造建築群が飛鳥時代の姿を現代に伝えています。参道の松並木を抜けると、正門である南大門(国宝)。境内は西院と東院に分かれ、国宝や国の重要文化財の建築物だけでも55棟を数えています。

往時の姿を今に伝える世界最古の木造建築群

大宝蔵殿・百済観音堂には、日本の仏教美術を代表する百済観音をはじめ多くの国宝が並んでいます。
優れた仏教美術品を多数所蔵し、その数は国宝だけで115点、国の重要文化財では1955点を数えています。「法隆寺地域の仏教建造物」として法起寺とともに世界遺産に登録。

推古天皇と聖徳太子が607年に創建した古刹は、塔や金堂を中心とする西院伽藍、夢殿を中心とした東院伽藍が往時のままに残されています。

法隆寺境内図

西院伽藍

南大門を入ってすぐの伽藍が西院伽藍。南大門、中門、講堂が直線状に並び、回廊に囲まれた内側の西に五重塔、東に本尊を安置する金堂が配される「法隆寺式伽藍」となっています。

五重塔は『日本書紀』に天智9年(670年)の火災以降に再建されたとありますが、心柱の伐採が594年(聖徳太子が摂政の位についた翌年)であることが、年輪年代測定法により判明。いずれにしろ五重塔、金堂、中門は飛鳥時代のもの。
多くのドラマを秘めながら、聖徳太子の時代のままに美しさを誇っています。

中門(国宝)

法隆寺・中門

世界遺産「法隆寺地域の仏教建築物」に登録される法隆寺の中で、飛鳥建築の粋を集めた建造物群が西院伽藍。西院の入口である中門とともに西院伽藍全体が国宝に指定されています。金堂と塔が横に並び、奥に講堂がある伽藍配置の形式を法隆寺式と呼んでいます。

金堂(国宝)

法隆寺・金堂

法隆寺の本尊を安置する堂が西院伽藍の金堂。本尊である金銅釈迦三尊像は、623(推古天皇31)年、聖徳太子の冥福を祈って、渡来系の仏師・鞍作止利(くらつくりのとり)に造らせたもの。中国北魏様式の影響を伝えるもので国宝。外観からは二層に見えます

五重塔(国宝)

法隆寺・五重塔

基壇からの高さ31.5mで、現存する日本最古の国宝五重塔が法隆寺西院伽藍の五重塔。五重塔の原形はインドのストゥーパーといわれ、本来は釈迦の遺骨を奉安するためのもの。中国で楼閣スタイルとなって仏教建築として日本に伝えられました。建築年は定かで

経蔵(国宝)

法隆寺・経蔵

法隆寺の西院伽藍は、奈良時代の法隆寺式伽藍配置を体現していますが、大講堂の前(南側)で、西に経蔵、東に鐘楼と楼閣建築が対となって配されています。経蔵は、天平様式を基調とすることから奈良時代の建築と推測され、現存する楼造りの建物のなかでは最も

鐘楼(国宝)

法隆寺・鐘楼

法隆寺でもっとも巨大な建築物である西院伽藍・大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つのが鐘楼。奈良時代創建の鐘楼は925(延長3)年に落雷により講堂とともに焼失。現存する鐘楼は10世紀末頃に再建されたもので国宝。再建時に、隣接する経蔵にあわせ

大講堂(国宝)

法隆寺・大講堂

法隆寺のなかで最大の建造物が西院伽藍にある大講堂。僧侶が学問を研鑽したり、法要を執り行なうための施設で、創建時のものは鐘楼とともに925(延長3)年の落雷で焼失。現存する建物は990(正暦元)年に再建されたもので国宝。元は回廊の外に独立して

東院伽藍

東院伽藍は739(天平11)年、僧・行信が、聖徳太子の遺徳を偲びその宮殿だった斑鳩宮(いかるがのみや)の跡地に上宮王院夢殿を建立したのが始まり。
その後平安時代に入って、上宮王院夢殿を法隆寺が併合して法隆寺伽藍に取り込み、それが東院伽藍となって現在に至っています。

夢殿(国宝)

法隆寺・夢殿

601年に造営された聖徳太子の宮殿、斑鳩宮(いかるがのみや)跡に739(天平11)年、法隆寺東院の復興に尽力した行信(ぎょうしん)が創建した上宮王院(じょうぐうおういん=夢殿・伝法堂・絵殿・舎利殿からなる社殿)の聖堂が夢殿(八角堂)で国宝。

絵殿・舎利殿(重文)

法隆寺 絵殿・舎利殿

夢殿のある法隆寺の東院伽藍にある建物で、絵殿には江戸時代に描かれた聖徳太子の事績を描いた障子絵が収められ、舎利殿には聖徳太子が2歳の春に東に向って合掌した際、手の中から現れたという舎利(釈迦の遺骨)を安置しています。建物は鎌倉時代の建立でと

伝法堂(国宝)

法隆寺・伝法堂

法隆寺の東院伽藍にある講堂が伝法堂。建物は、739(天平11)年の建立で、聖武天皇の橘夫人の邸から移築したもので国宝。現存する奈良時代の貴族住宅で唯一の遺構です。平面が7間×4間、瓦葺きの建物ですが、創建当時は、5間×4間、檜皮葺き(ひわだ

大宝蔵院

法隆寺・大宝蔵院

法隆寺の大宝蔵院は平成10年に落成した数ある寺宝を収蔵する宝物館で百済観音堂および東宝殿、西宝殿からなる現代版の双蔵(ならびくら)。西院伽藍の北東に建ち、国宝や重要文化財に指定される宝物を収蔵、見学することができます。国宝級の宝物を収蔵展示

その他の国宝建築

法隆寺にはまだまだたくさんの国宝建築があるので、お見逃しなく。

南大門(国宝)

法隆寺・南大門

世界遺産の法隆寺には南大門、西大門、そして夢殿のある東院の入口にある東大門と3つの門がありますが、正門にあたるのが南大門。創建時の建物は、1435(永享7)年に焼失し、現存する建物は1438(永享10)年の再建で、単層入母屋造の八脚門。門自

聖霊院(国宝)

法隆寺・聖霊院

法隆寺の西院伽藍、金堂、五重塔をぐるりと囲む大回廊の東西には、僧侶の住居であった南北に細長い僧房(東室、西室)がありますが、聖徳太子像(平安時代のもので国宝)を安置するために東室の南端部分を改造したものが聖霊院(しょうりょういん)です。鎌倉

三経院・西室(国宝)

法隆寺 三経院・西室

法隆寺の西院伽藍の西側に建ち、東側の聖霊院・東室とともに古代に全寮制の学問寺だった頃の名残の僧坊で、多くの律僧たちがここで生活し起居していました。現存する建物は、鎌倉時代の1231(寛喜3)年の建物で国宝。聖徳太子が著した三経義疏に由来する

西円堂(国宝)

法隆寺・西円堂

法隆寺、国宝文化財が建ち並ぶ西院伽藍の北西、小高い場所に、八角円堂の西円堂があります。薬師如来像を安置するため「峯の薬師」(峰薬師)と通称されるお堂です。718(養老2)年、光明皇后の母・橘夫人の発願によって、行基が創建したという伝承がある

東大門(国宝)

法隆寺・東大門

法隆寺の金堂、五重塔などがある西院伽藍から、夢殿のある東院伽藍への途中にある奈良時代建立の八脚門が東大門(とうだいもん)で国宝。西院伽藍、東院伽藍の間にあるもんということで「中ノ門」とも呼ばれています。現存する日本最古の門で、奈良時代を代表

綱封蔵(国宝)

法隆寺・綱封蔵

法隆寺の奈良時代の仏教建築の特色を示す双蔵(ならびくら)のひとつ、高床の倉が綱封蔵(こうふうぞう)で国宝。創建時には33ヶ所ありましたが現存するのは日本最古の食堂(じきどう)の南側、鏡池近くにあるひとつだけ。寺宝を保管するための蔵ですが収蔵

東室(国宝)

法隆寺・東室

東室(ひがしむろ)は、法隆寺・西院伽藍の東側にある僧坊で、『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』に記される4棟の僧坊のひとつ。奈良時代、伽藍中枢部に続いての建立と推測できますが、礎石や柱にはさらに古い転用材が用いられ、こちらは法隆寺創建時代にまでさ

食堂(国宝)

法隆寺・食堂

法隆寺の西院伽藍の東、宝物館である大宝蔵院の南側に、細殿(ほそどの)と並んで建つ「双堂」(ならびどう)のひとつが食堂(じきどう)。奈良時代の建築様式で、創建時には政所という法隆寺の寺務所だったもの。平安時代に入って、僧が食事をする食堂として

法隆寺
名称法隆寺/ほうりゅうじ
Horyuji Temple(The UNESCO World Heritage)
所在地奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
関連HP法隆寺公式ホームページ
電車・バスでJR法隆寺駅から徒歩20分。または奈良交通バス法隆寺門前行きで8分、終点下車すぐ。あるいは、近鉄橿原線筒井駅から奈良交通バス王寺駅行きで12分、法隆寺前下車、徒歩5分
ドライブで西名阪自動車道法隆寺ICから約2.5km
駐車場法隆寺観光自動車駐車場(20台/有料)
問い合わせ法隆寺 TEL:0745-75-2555
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
龍田神社

龍田神社

奈良県生駒郡斑鳩町龍田、聖徳太子が法隆寺を建てる際、その鎮守社としたのが、龍田神社(たつたじんじゃ)。法隆寺創建の地の選定に迷っていたところ、龍田明神が翁の姿になって現れ、斑鳩が適地と告げたと伝わる古社です。法隆寺を強風や台風から守護する聖

南都七大寺

南都七大寺とは!?

南都とは、奈良時代に都があった現在の奈良市のこと。和銅3年(710年)の平城京遷都後、南都(奈良)とその周辺にあった朝廷の保護を受けた東大寺、西大寺、法隆寺、薬師寺、大安寺、元興寺、興福寺の7ヶ寺が南都七大寺(なんとしちだいじ)。奈良時代、

【知られざるニッポン】vol.27「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」

「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、生涯に20万を超える句を詠んだ正岡子規の作品のうちで、もっとも有名なもの。『海南新聞』明治28年11月8日号に掲載された句で、「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きがあります。つまり、ある秋の日に、法隆寺の茶

よく読まれている記事

こちらもどうぞ